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連載日本史276 構造改革

2001年から2006年にわたって政権を維持した小泉純一郎首相は、「聖域なき構造改革」を旗印に掲げ、郵政民営化や道路公団4社の民営化など、政府による公共サービスを民営化などによって削減し、市場に委ねる領域を拡大することで経済の活性化を図った。「官から民へ」の大きな流れは、バブル崩壊後の日本経済の低迷を上向かせる契機とはなったものの、格差拡大などの副作用も生むことになった。

小泉構造改革の概要(www.jcp.or.jpより)

小泉構造改革の天王山は郵政民営化を巡る攻防であった。郵便・郵便貯金・簡易保険の郵政三事業の民営化は、350兆円に及ぶ巨額の郵貯資金を民間の市場に放出することで経済の活性化を図るというものであり、市場の自由に重きを置く新自由主義経済学の流れが背景にあった。そこには米国からの強い要望もあったという。日本の潤沢な郵貯資金は、米国の多国籍企業や投資家にとっても魅力的な資産だったのだ。

郵政民営化の概要(Wikipediaより)

北朝鮮からの拉致被害者帰国で外交面での成果を上げた小泉政権は、2005年の郵政民営化を問う解散総選挙でも圧勝し、郵政民営化法案が可決された。郵政民営化を含む一連の構造改革は確かに日本経済への大きな刺激になったが、同時にそれは経済のグローバル化を加速させ、国際的な流動性を更に高めることになった。すなわち、海外での経済の変動が、よりダイレクトに日本経済に影響を及ぼすようになってきたのである。

小泉純一郎(首相官邸HPより)

小泉政権の後を受けた第一次安倍晋三内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣はいずれも1年の短命政権に終わった。その要因はさまざまであろうが、ひとつには小泉構造改革がもたらした副作用に十分に対応仕切れなかった点があるのではないか。かつての自民党の経済運営は、護送船団方式による金融管理政策と郵便貯金等を財源とした財政投融資による公共事業等による利益誘導が主軸であった。小泉構造改革はその地盤を大きく揺るがすものであっただろう。小泉首相は良くも悪くも、古い自民党をぶっ壊してしまったのだ。

構造改革によって流動化し、グローバル化の度を強めた日本経済は、海外とりわけ米国の経済変動の影響を、より強く被るようになる。その象徴的な事件が、2007年の米国サブプライムローンの焦げ付きに端を発した世界同時株安と、それに続く翌年のリーマン・ショックであった。

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