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連載日本史143 元禄文化(3)

大和絵では琳派・土佐派・住吉派が、それぞれ独自の作風を競った。尾形光琳は「燕子花(かきつばた)図屏風」や「紅白梅図屏風」で大胆なデフォルメや華麗な色彩のコントラストを見せ、大和絵に新風を吹き込んだ。土佐光起は朝廷絵師として土佐派を再興し、伝統的な大和絵の手法を守った。住吉具慶は幕府の御用絵師となり、江戸に大和絵を広めた。浮世絵の世界では、菱川師宣が見返り美人図を残し、後の浮世絵全盛時代の端緒を開いている。

燕子花図屏風(根津美術館HPより)

工芸の世界でも、尾形光琳は八橋蒔絵硯箱で、箱を展開すると八橋の両側に咲き乱れる燕子花の図が広がるという斬新な表現を見せた。陶芸では野々村仁斎が「色絵藤花文茶壺」で自作の壺に初めて個人名を入れた。陶芸に限らず、この頃から作品に個人名を冠するのが一般に広まっていく。近代へとつながる個人意識の芽生えと言ってもいいだろう。京都の宮崎友禅が始めた手描きの染め物は友禅染、素朴な鉈彫(なたぼり)で十二万体もの仏像を彫った円空の作品群は円空仏と、さまざまな分野で作者の個人名が表に出る傾向が見られる。

友禅染(kimono-rentalier.jpより)

建築では、世界最大の木造建築である東大寺大仏殿の再建が行われ、長野には重層の大建築である善光寺本堂が建立された。岡山には東京ドームの三倍の規模を持つ大庭園である後楽園が十四年の歳月をかけて築造され、加賀の兼六園、水戸の偕楽園と並んで日本三名園のひとつとなった。

岡山・後楽園(後楽園HPより)

元禄文化というと華やかなイメージがあるが、こうして見ると落ち着いた質実な面も併せ持っているような印象を受ける。それはやはり江戸時代の思想的バックボーンであった儒学の影響なのかもしれない。孔子の言葉を集めた「論語」には「質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子なり」というフレーズがある。中身(質)と外見(文)のバランスが大切だということだ。元禄の美は決して文のみの美ではなく、質を伴った均整の美であったといえよう。

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