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連載日本史262 高度成長期の生活文化

高度成長期の生活文化において最も存在感を放ったのはテレビである。一般家庭にテレビが普及する以前の1950年代後半には、街頭テレビに多くの人々が群がり、プロレスやプロ野球の中継を楽しんだ。プロレスに空手チョップを持ち込んだ力道山は、当時の民衆のヒーローであった。映画では石原裕次郎主演の日活アクション路線が全盛期を迎えていた。核兵器の時代の恐怖と不安を反映した特撮映画「ゴジラ」が制作されたのもこの頃である。一方で「原子力の平和利用」が唱えられ、茨城県東海村に日本初の実験用原子炉が建設された。

ゴジラ(1954年)のポスター(Wikipediaより)

テレビの普及は多くの人々が同じ番組、同じCMを見て、同じような暮らしに憧れるという生活様式の均質化をもたらした。それが大量生産・大量消費に拍車をかけ、家庭電化製品を中心とした耐久消費財を一気に普及させた。スーパーマーケット、インスタントラーメン、プレハブ住宅など、手軽さとスピードがもてはやされ、人口の増加とともに郊外の開発が急速に進んだ。高層団地が次々と建設され、ダイニングキッチンに象徴される洋風の生活スタイルが広まった。マンガ雑誌が相次いで創刊され、1963年には手塚治虫原作の国産初のTVアニメ「鉄腕アトム」の放映が始まった。「科学の子」であるアトムの活躍と、ストーリーの随所に醸し出された哀愁は、科学技術への憧憬と懐疑という時代のアンビバレンスを反映しているような気がする。

ONコンビと呼ばれたジャイアンツの王と長嶋(www.sankei.comより)

「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉がある。高度成長期に、大衆や子供の好むものの代名詞として使われた言葉である。王貞治・長嶋茂雄のON砲を擁して川上哲治監督のもとで9年連続の日本一を成し遂げたプロ野球の読売ジャイアンツ、大相撲で優勝32回という大記録を打ち立てた横綱・大鵬、インフレの中でも安定した価格を保ち「物価の優等生」と呼ばれた卵、いずれも時代を象徴する存在であった。

1970年の大阪万博(smtrc.jpより)

1965年には朝永振一郎がノーベル物理学賞、68年には川端康成がノーベル文学賞を受賞した。1966年にはビートルズが来日し、日本武道館でのコンサートで熱狂的な歓迎を受けた。翌年にはモデルのツイッギーが来日し、ミニスカートの大流行をもたらした。経済成長に伴って盛んになった国際交流の象徴が、1970年に大阪で開催された万国博覧会であった。前年にアポロ11号が月面探索で持ち帰った月の石が展示されたアメリカ館には、連日、長蛇の列が並んだ。お祭り広場の中心には、岡本太郎の強烈なデザインによる「太陽の塔」がそびえ立ち、77ヶ国の参加を得て「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた万博は、のべ6400万人もの入場者を集めた。高度経済成長期の頂点を示し、最後を飾る大博覧会であった。

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