恐ろしい

川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節があります。序章が始まってすぐのことです。

昭和二年(一九二七)生まれの作家、吉村昭は随筆集『昭和歳時記』(文藝春秋 一九九三年)の中で書いている。
「昭和三十年代は、日本の生活史上、重要な意味をもっているように思える。江戸時代から明治、大正、昭和へとうけつがれてきた生活具や習慣が、この時期にかなり消え去っているのである

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「昭和の高度成長期と男はつらいよ。」

昭和の高度成長期の私たち家族は、色々あった中、父は厳格ながら、お茶目な部分あり、映画の大好きな人だった。

私の記憶で特に思い出深いのは「猿の惑星」

これは、クリスマスか?年末にTVでの放送があり、家族で見た記憶がある。先に映画館で見ていた父と母は、私たち姉妹の反応が楽しみだったようだけど、私はともかく、妹は早々に寝てしまった。(笑)アメリカの自由の女神のシーンだけは忘れられない。

父は多方面

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三井Uハウス|飯塚五郎蔵と集成材住宅の夢

ハウスメーカーが手がけるプレハブ住宅とはどんなものか。まだそのカタチもイメージも模索段階だった1960年代はじめに登場した「三井Uハウス」。湾曲した集成材を骨組みに取り入れた大胆な住宅は、その後すっかり忘れ去れてしまいます。それは一体どんな提案でどんな夢が込められていたのでしょうか。

夢のプレハブ住宅

東京オリンピックを間近に控えた1964年4月、主婦と生活社が発行する月刊誌『主婦と生活』は、

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3-3*移住計画| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

私はこの問題に対しての提案を行なうために、父が継がなかった長野の空家に移住する事を目指している。

高度経済成長期に若者たちは仕事を求めて都市へ流出した。
しかし好景気が終わった今、仕事のために都市に住み続け、高い家賃や住宅ローンを払い続ける生活に本当の豊かさはあるのだろうか。

現代ではインターネットの普及により高度の情報社会が実現されつつある。また、交通機関の発達により行動圏が大幅に拡大し、時

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3-2*工業の発展による都市への人口流出、農業の衰退| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

なぜ、私たちの生活は食物の生産現場から遠くなってしまったのか。

私の実家はトヨタ自動車の社員が中心に住んでいるニュータウン(新興住宅街)にある。農業を営んでいる人は皆無だ。

だが、祖父母は父方・母方ともに農家だった。
私の父は、トヨタ自動車に就職するために長野県の実家を出て愛知県へ流出した。

高度経済成長期に工業が発達し、農業が衰退した。
1950年には就業人口の約45%が農業に従事していた

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3-1*年中行事と行事食| 3章 都会の生活で感じた現代の問題点ー食と住居|ニューロマン都会編

私は営業時代、朝食と昼食はコンビニで購入し、会社のデスクで仕事をしながら食べていた。

夕食は何を食べていたのか記憶にない。
それ程、食に対する意識が薄かったと思う。

転職して時間の余裕ができてからは、スーパーで食材を買って自炊をするようになった。
旬の食材は安価に購入できるので、旬を意識した料理をするようになった。
すると、季節ごとに食べたい料理や食べるシチュエーションをイメージするようになっ

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2-3*現代に提案する豊かな装い|  2章 都会の生活で感じた現代の問題点ーなぜ現代の服装は無彩色のコーディネートが多いのか|ニューロマン都会編

季節ごとに身につけたい色について考えるようになってから、四季のある日本で暮らす生活の幸福感が増した。

そもそも日本に洋服が入ってきたのは明治時代であり、たった150年前のことだ。女性にいたっては庶民が洋服を着出したのは戦後なので、わずか70年の歴史。

それ以前の約1400年もの間、日本人は和服を着ていた。
着物には襲の色目(かさねのいろめ)という重ね着をする衣裳の配色の仕方を年齢、季節、行事な

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雑踏の中で目を閉じれば。

日々忙しい中、ふと私は、私の子どもの時代にタイムスリップした感覚になることがある。それは、まるでタイムスリップの如く、生き生きと甦る私自身の思い出に相違ない。

父がいて、薬屋の店先で、おおらかに

「いらっしゃいませ」とお客さんに声をかける。その姿は白衣だ。若い父は、優しくたくましく、澄んだ目をしている。お商売に夢中になる姿は、まるで昨日のようだ。母は、父と一緒に「いらっしゃいませ」の声を高らか

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「男はつらいよ。寅さんとカーペンターズとお父さん」

今日は、土曜日なので、「あの日から。」を更新するか?ラフな話にするか迷った挙句、この父の「男はつらいよ。寅さんとお父さん」にした。

あの、高度成長期の私たち家族は、色々あった中、父は厳格ながらお茶目な部分あり、映画の大好きな人だった。特に好きなのが「寅さんシリーズ」で、父が動けなくなった時に、この映画をTVなどでやっていた時、録画して、郵便で送ってあげた私だった。最終的には、全部のシリーズを、知

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父のエピソードとして食べる事の話が続きますが、、。

我が家は(実家)は、薬の販売を生業とする、家だったので、私が子どもの頃はそれなりに、お金には、困ってなかったのです。一ヶ月に、一回、休日に家族で、外食を楽しみましたが、私達、姉妹が一番に喜んだのは、洋食のレストランだったと思います。

私も妹も、父も母も、よそ行きの服を着て、レストランに行くのですが、楽しかったですね。やっぱり。(笑)

その中で、父に対しての、エピソードは、やはり、「フォークの上

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