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【心の旅】屋久島旅行記(原生林を見たくて縄文杉に一人で初めて挑戦した全記録)

【目次のかわりに】
この文章は17章、7,000字くらいです。ぜひお時間ができた折に、ゆっくり丁寧にお読みください。

 原生林・・・この言葉が、ずっと自分の胸にあった。原生林。人の手が入っていない、自然のままの森の姿。
 私たちの周りに自然と呼ばれるものは数多くあると思う。家の近くには木々が植えられた公園や、雑木林がある。もちろん、これらは人が作ったり管理しているものだ。
 さらに東京から少し離れると山々が見えるだろう。実はこうした山も、人の手によって木が植えられており、よく見ると同じ木が一様に生えているのが分かる。
 いつの頃からか、自分が目にする自然はすべて人工的な自然ではないかと考えるようになった。そして、せっかく地球に生まれてきたのに本当の自然を知らないなんて、もったいない。いつか、本当の自然を見てみたい。これが今回の旅の動機であった。

 手始めに、身近なところで原生林を探してみると、東京にある明治神宮が目にとまった。
 今は豊かな緑を湛える明治神宮であるが、実はこの森は100年前に荒地から作られた人工的な森である。しかしその誕生から、針葉樹、広葉樹の成長や遷移を経て、今では森が自らの力で維持されている「極相林」となっている。
 さっそく電車で明治神宮に行ってみた。原宿駅から降りてすぐの所に、立派な白木の鳥居があり、その後ろに木々が茂っている。都会ではなかなか見ない木々の大きさに迫力を感じる。明治神宮の中を少し歩いて「御苑」という、より緑の多い場所に入ってみる。すると、様々な種類の木々に加え、笹や紫陽花などの低木も茂っていて、多様性のある植生や土壌の豊かさをそれとなく感じることができた。明治神宮の森はたしかに永遠に続く森であり、それは原生林に近いものだと思う。だとすれば、もっともっと大きな原生林は一体どんなものなのか、なおさら興味が湧いてきたのであった。

明治神宮 一の鳥居

 ちなみに「原生林」をネットで検索すると、知床半島、白神山地、屋久島など世界遺産に登録されている場所の情報が出てくる。どれも東京から近くはないが、なかでもジブリ映画の『もののけ姫』のような世界観を持つという屋久島に強く興味を持った。ただ自分はあまり遠方への旅行経験がなく、ここ数年は猫がいることもあって遠くに行くといっても1泊くらいだった。屋久島に行くとなると短めに見積もっても、移動に1日、現地の探索に1日、帰りに1日という3日間の旅になる。
 となると、ペットシッターさんを探さないとならないな・・・。ひとまず自宅から近いペットシッターさんとお会いして、いざとなったらお願いできる準備を整えた。そして、屋久島に行ったらぜひとも晴れの日に探索したい。当てになるか分からない月間天気予報とにらめっこし、ゴールデンウィーク直前4月下旬の3日間を屋久島旅行の日と決めた。

 2泊3日の日程はかなり弾丸スケジュールだったと、今でも思う。ただ猫を飼っていて何日も家を空けられない事情から、これが妥当であっただろう。
 東京を出発する日、朝早く自宅を出て、羽田空港に向かう。飛行機に乗るのなんて何年ぶりだろう。最近は「タッチアンドゴー」なるものがあり(前からあったよね?)、スマホを空港のゲートにかざすだけで搭乗手続きが済む。現代のテクノロジーに追いつかないと!(笑)羽田を離陸したら、鹿児島空港でプロペラ機に乗り換えて、その日の午前中には予定どおり屋久島空港に着陸。無事に屋久島の地を踏むことができた。
 空港に到着してからも少し忙しくて、歩いて10分ほどの距離にあるレンタルショップに行き、登山靴、リュック、レインウェアなど主要な登山グッズを借りた。杖となるトレッキングポールを借りるかどうか迷ったが、脚に不安もあるためこれもレンタル品に含めてもらった。後にこのポールが自分を大いに助けてくれることになる。またすぐに歩いて空港まで戻り、昼過ぎに来るホテルの送迎バスに乗り込んで移動すると、宮之浦港にある瀟洒なホテルに到着した。自宅を出てからずっと腕時計をチラチラ見ながら時間を気にしていたが、ホテルの部屋に入ってようやく自由時間になった。ほっと一息。
 その日は、ホテルのフロントの女性から教えてもらった、近所にある益救神社(やくじんじゃ)に行ったり、地域猫と触れ合ったりして時間を過ごした。見慣れない土地で、猫と戯れるなんていう日常的なやり取りに癒される。ありがとう、猫ちゃん。明日は、ついに縄文杉トレッキングに行ってくるぜ。

 さて、ここからはこの旅のメインイベントである縄文杉トレッキングについて書いていきます。だいぶ長い文章ですが、私が挑戦したトレッキングも11時間半と相当長いので、ぜひ最後までお付き合いください(汗)

 早朝3:45。外は真っ暗だ。ホテルの部屋を出て、フロントで頼んでいたお弁当をふたつ受け取り、4:02のバスに乗って「屋久杉自然館」に向かう。そこからバスを乗り継いで「荒川登山口」に到着。ここが、このトレッキングの実質的なスタート地点となる。
 そして5:45、ついに荒川登山口から歩き始めた。事前にネットで多少の下見をしていたので、あまり不安を感じずにスタートできた。屋久島には、かつて行われていた杉の伐採と運搬のために、トロッコ軌道なるものが造られている。現在では、2本のレールの間に人が歩けるような木板のカバーがかけられており、大した苦労なく歩くことができる。トレッキングの前半は、このトロッコ道にそって平坦な道を延々と歩く。そういう意味では、後半に来る急勾配の登山に比べてまだ楽だ。道の途中には、川を渡るための手すりのある橋、そして手すりのない橋があり、眼下に流れる川の景色や高所のスリルを楽しむことができる。

トロッコ道

 1時間くらい歩いたか、最初のランドマークである「小杉谷集落跡地」に着いた。トロッコ道の右方、学校の校庭くらいに四角く整地された空き地が見える。登山者のための看板が設けられていて、小杉谷集落の歴史について説明がある。読むと、ここ屋久島ではかつて杉の伐採が盛んに行われており、最盛期の1960年には540名の人がこの集落に住み、小学校と中学校もあった、という内容だ。
 そうだ、ここで朝ごはんのお弁当を食べよう!と思った私は(良いのかな?)、集落跡地に足を踏み入れた。小学校、中学校の跡と思われる空間があり、その間に背丈の2倍ほどはありそうな巨石が鎮座している。この石は、小学校、中学校のシンボル的な存在だったのかな。近くにある台座の上で先生が演説して、このあたりで生徒たちが話を聞いていたのかな。などいろいろ想像がふくらむ。
 看板の説明を読み進めると、1970年に屋久島における杉の伐採が法律で禁じられ小杉谷集落は閉村したとある。その後、屋久島は、自然景観保護の道へと大きく舵を切っていくのであった。

 再び、トロッコ道を進む。途中の橋から、眼下を流れる川を覗いてみる。川なので当然かもしれないが、両側を森に挟まれた谷の部分に水が流れている。その川の流れにそって丸みを帯びた多くの石が集まっているのだが、その石がハンパなく大きい。人の背丈を優に超える石がゴロゴロ転がっている。昔に学校で習った気がするが、川原には多くの石が転がっていて下流になるほどその石が小さくなる。しかし屋久島の山上は川の始まりにあまりに近いから、ここまで石が大きいのか。
 ・・・鹿児島の南の海上で、天から雨を受け継ぎ、川を通して、海に還す。その神秘さを体現するような川原の風景だ。『もののけ姫』で、アシタカが川をはさんでサンと山犬に初めて出会うシーンがある。この石の大きさは、あのシーンの絵コンテに受け継がれたのだろうか。

屋久島の川原の風景
『もののけ姫』のワンシーン

 再び再び、トロッコ道を進む。あまりに長い道のりなので、前を見ても後ろを見ても誰もいない時間が続く。私が屋久島を訪れた日はゴールデンウイーク直前の平日であり、たしかに登山者は少なかった。道に迷うことはないが、自分が正しく移動できているか不安にもなる。心の持ち方として、単純かもしれないが移動中はできるだけ何も考えないようにした。実際に後から振り返っても、何も考えずに歩き続けるというのが、思いのほか楽な気持ちで進めるコツだと思う。 
 無心で歩き続けること3時間、ついにトロッコ道の終点、そして本格的な山登りの始まりである「大株歩道」入口に辿り着いた。ここでトイレ休憩と、持ってきた行動食を少し口にする。ここから先の往復4時間はトイレも無いらしい。10分ほど休んだ後、重~い腰を上げて登山道に足を踏み入れた。

 登山道は自分にとって完全に未知の領域だ。基本的には、足場として置かれている石や、木で作られた階段を登っていくのだが、斜面はやはり急勾配。まともな登山経験の無い私は、山を登ることで息がハアハアとあがることを初めて知った。そして、あっという間にゼーハーゼーハーと汗だくで登るようになった。
 顔を上げて次の数メートルがどのような状態になっているか確認したら、足元の石を見ながら一歩一歩進む。時おり後ろから自分より速いグループが来るので、スペースを見つけたら横によけ、彼らが先に行くのを待ってから、また歩き出す。
 自分のように縄文杉トレッキングに初挑戦、しかも一人でやって来る人間は、かなり珍しいと思う。まわりの多くの登山者は、ガイドが付いている、もしくはガイドが付いていなくても数名でなるグループだ。・・・などと書くと、自分は孤独だと思われるかもしれない。しかし、登山中はこうした他の登山者の存在にも助けられた。ツラい登山において誰かの声が聞こえるというのは、それだけで安心する部分がある。また、登山のペースは自分の方が遅いものの、ガイドの標準的なペースはどのくらいか、自分はそれと比べてどれほど遅れているのか分かるというのも、貴重な情報である。

 途中、休憩するのにちょうど良いタイミングで、屋久杉の巨木たちが現れる。仁王杉、翁杉、ウィルソン株、大王杉、夫婦杉・・・。数千年の樹齢でつくられた、非常識な太さの屋久杉の存在感に引き込まれる。
 この「屋久杉」の定義であるが、屋久島の標高500メートル以上に生える杉、さらに樹齢1000年以上の杉を特にそう呼ぶらしい。歴史を振り返ると、江戸時代から現代まで屋久島の杉は多く伐採されてきた。しかしそのなかで、形がいびつなものや、ウロと呼ばれる大きな割れ目や空洞がある杉は商品価値が低いため、伐採されずに残された。それが今日、私たちが目にする屋久杉だ。だからこそ、それぞれの屋久杉は、ユニークな形と大きな存在感で私たちを迎えてくれるのだろう。

夫婦杉 2本の屋久杉が太い枝でつながっている

ⅩⅠ

 若い人たちの楽しそうな会話を耳にして励まされながら、一歩一歩足を上げる。前を向いてルートを確認して、また足を上げる。ついに膝がツラくなってきたら、リュックに付けてきたトレッキングポールを取り出して地面を突いて、3本の「足」で自分を支える。まさに両手両足を使って、山登りの動作を繰り返す。
 ふだんの生活を思い返すと、電車に揺られながらスマホをいじったり、歩きながら音楽を聴いたりと、ここまで何かに集中する場面ってあまり無い。しかし登山では、体力を消耗しながら、一歩間違えれば怪我するかもしれないという状況で、歩くことに意識をひたすら集中させる。それが登山を、なにか神聖な行為だと感じさせるのかもしれない。

ⅩⅡ

 木の階段も上ったり下ったりと、いよいよ急になる。上の方で複数の登山者グループの気配がある。縄文杉の見学デッキが目に入る。
 11:50、ついに縄文杉に到着した。あー。やったかな!やったかな!ついに到達したのかな!!縄文杉が山の斜面から、空に届くような勢いで伸びている。
 たしかに、私の関心は屋久島の自然そのもので、縄文杉だけにフォーカスしたものではない。それでも、トレッキングのゴールとして位置づけられた縄文杉と出会えた喜び、一人で初めて挑戦した登山を無事に成功させた喜びはめちゃくちゃ大きかった。出発してからすでに6時間が経過している。縄文杉をいろいろな角度で見ながら、スマホをパシャパシャ操作する。デッキに腰を下ろして、縄文杉を眺めながら、2つ目のお弁当をムシャムシャ頬張る。

縄文杉

ⅩⅢ

 屋久島に来る前、ここは手つかずの原生林の島というイメージを持っていた。ただ、屋久島の歴史を見れば、杉の伐採は盛んに行われてきたし、高度経済成長期の日本で木材の提供を担ってきた役割もある。ここまでのトレッキングにおいても、巨大な切り株をいくつも目にした。本当の屋久島って、開発の末に打ち捨てられた島なのかな?そんな気持ちにもなる。
 やがて、輸入木材の台頭や自然保護の観点から、1970年に屋久島では杉の伐採が、禁止された。そして、50年の歳月をかけて、山はゆっくりと本来の自然の姿を取り戻していき、人の手が入らない【原生林になった。】そういう見方が正しいのだろう。
 屋久島は、あくまでも過去の歴史を含めて屋久島なのだ。さらに原生林のなかで、過去に一度も人が立ち入ってない森を「原始林」と言うらしいが、果たしてそのようなものは存在するのだろうか。私が、この縄文杉まで来れたのも、先人が造ったトロッコ道や登山道を利用したからだ。私が体験できる範囲では、どんな自然も人との繋がり無しには考えられないのかもしれない。縄文杉を前にしてそんな考えを巡らしながら、12:20、その場を後にした。

ⅩⅣ

 下りは上りよりも負担が少なくなって多少は楽になるはずだと思ったが、やはり自分の体を支えながら足場の石の上を一歩一歩下りることは、多分に体力と集中力を要する。
 下山中には改めて、自分が歩いているこの登山道について考えさせられてしまった。足場の一つ一つの石は、不思議と自分が足を踏み出そうとする次の位置に必ず有る。この地に初めて登山道を築くため、これほど多くの重い石を運び、正確に配置した労力は想像を絶する。現代社会で私たちは様々なIT技術や工業技術に触れているが、ここまで精巧に出来ていて数百年も残るものをどれほど作ることができているだろうか。屋久島の登山道って、まさにアートかもしれない。

石と木の根で造られた登山道 白谷雲水峡で撮影

ⅩⅤ

 エッサ、ホイサと、上りとさほど変わらない重~い体を動かし続け、やっとのことで登山道を終えてトロッコ道に戻ってきた。残りの道は、距離や時間は長いものの、今までのような苦しい急勾配はもう無い。この帰りのトロッコ道でかなり速いペースで歩く人がいるが、あまりに速く歩くと登山後に足の筋肉がとんでもない事になるらしい。自分もバスの時間が頭にあって急ぎたかったが、やはりマイペースで歩き続け、17:15、ついにスタート地点である荒川登山口に帰ってきた。
 お疲れ様、自分。1度目は自分の心の中で。
 お疲れ様!自分!2度目は大きく声に出した。
 朝5:45に出発し、17:15に帰還したので、かかった時間は11時間30分であった。目安である往復10時間から比べると、自分はかなり遅かったことになるが、これは半ば予想どおりであった。
 立ち止まって涼しさを味わう。ヘトヘトな体に、爽やかな達成感が吹き抜ける。

荒川登山口 無事に生還

ⅩⅥ

 結局その後、荒川登山口から屋久杉自然館までのバスには乗れたが、屋久杉自然館から先の最終バスは終わっていたので、タクシーを呼んでホテルに帰ることにした。知らない土地で、タクシーの運転手さんと会話が弾むと楽しいな。いろいろ伺うと、縄文杉トレッキングでは、無理をし過ぎて車椅子に乗って屋久島を離れる人もいるらしい。あなたが縄文杉まで行けたのなら体力には自信を持って良い、とのこと。グッドなお話。
 屋久島の成り立ちについても分かったことを少し書いておきたい。屋久島は元は海底が盛り上がってできた島であり、大部分が花崗岩という岩で出来ている。やがて岩の上に苔や草木が積もって土ができたが、土の層は意外と薄く、屋久島の大地はどちらかといえば貧相なものだ。しかし、貧相な土の上だからこそ、そこで杉は苔や雨に守られながら通常よりはるかに遅いペースで生長し、結果として油分が多く年輪が詰まった、固く腐らない杉ができあがる。これが屋久杉の木としての魅力なのだ。

ⅩⅦ

 この文章は、東京に帰ってから家の近所のカフェで書いている。帰京してからは、当たり前のようにマンションとコンクリートの生活に戻った。
 自分のマンションの隣には雑木林がある。近所の人が丁寧に掃除をしてくれているので、土の上にはゴミはもちろん、落ち葉も完全に取り除かれている。その反面、残されていれば堆肥となるはずの落ち葉が無く、人に管理された人工的な自然に見えていた。
 屋久島から帰ってから改めて同じ雑木林を見ていると、不思議と違った感覚が湧いてくる。屋久島で植物のたくましさを散々目にしてきたからか、この雑木林の木々もどこか愛おしく思える。むしろ人の手の入った雑木林だからこそ、自分を含めた多くの人にとって身近な杜となっている。そして「存在するものは全て正しい」という言い方があるが、住宅街の雑木林で成長し続ける木々たちに、生命本来のたくましさを強く感じるようになった。人工的な自然へのアンチテーゼとして屋久島に行ったはずだが、そこで多くの自然に触れた結果、都会に作られた自然に対してもさらに愛着がわくようになった。
 ありがとう、屋久島。大変な旅でしたがお陰様で、人間としてひとつ成長できた気がします・・・。

住宅街のなかの雑木林


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