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ジャズが街に溢れてた

仕事の帰り歩いていたらこんなポスターが目に入り行ってみました

「あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」
60・70年代を中心に、演劇・映画のチラシ・ポスター、井出情児が撮影した状況劇場や新宿の風景を捉えた写真、伝説的タウン誌・新宿プレイマップなど、当時の新宿の熱気を伝える貴重な資料を多数展示する。会場には山下洋輔、菊地成孔、宮沢章夫らの選曲によるBGMが流れ、選者によるコメント付きプレイリストも配布。文化渦巻く新宿のエネルギーを再現する。

60・70年頃の新宿の街、ジャズ、演劇、人の熱が紹介されている内容で、あつまったいろんな人の熱が街のエネルギーに変換され文化が作られていったんだなあーと感じつつ、私が再認識したのは「新宿にはジャズがあった」ということ。「新宿西口反戦フォーク集会」や、劇作家・宮沢章夫氏による、大滝詠一氏、細野晴臣氏、松本隆氏がバッファロー・スプリングフィールドの輸入盤レコードを見つけた話などと並んでジャズもあった。例えば、今、ジャズ喫茶の名店という言われる新宿DUG、日本ジャズの聖地と言われる新宿ピットインなどの前を通ってもジャズを感じることは少ないですが、当時はジャズ喫茶、ライブハウス、レコード屋などから街にジャズが浸み出していたのでは、と想像させてくれました。

少し前、60年代の日本のジャズについて、当時を知るレジェンドミュージシャン佐藤允彦氏、稲葉国光氏、中牟礼貞則氏が語っていた動画のなかで、新宿ピットインについてこう語られていました

(銀座ジャズ)ギャラリー8やなんかができて、(新宿)ピットインができたのが64年、とか65年でしょ。(65年に)貞夫さんが帰ってきた。貞夫さんが帰ってきてから、あそこ(ピットイン)いっぱい入るようになったんですよ。満員で入れなくなっってパトカーなんかが来ちゃったりなんかしちゃって・・・

動画はコチラ→ https://youtu.be/iIqllLiKl4Y?t=1m28s

当時の新宿のジャズパワーはすごかった、ということです。「あゝ新宿 展」の会場で、上品なおばさま4人組が 山下洋輔さんの映像を見ながら「山下洋輔って変わらないわね~」と。今はジャズと縁遠そうなところでゆったり暮らしていらっしゃる風の方、それも女性のグループが洋輔さんを懐かしがるくらいジャズが浸み出していた、ということかと。
(「あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」は新宿高野本店ビル6階にて7/2までです。)

当時のエネルギーを今体感することはできないけれど、その中心にいた人達はまだ新宿、銀座、六本木、名古屋・・・街のジャズスポットで今も演奏をしていらっしゃるのでなんとか聴きにいかねば、と思う次第です。
(60年、70年代のジャズメンをチェックするのはコチラがいいかと)

先ほど紹介した動画の中で「稲葉さんはすごい忙しかった。いろんなところで一日中ベースを弾いてた。」と語られているベーシスト稲葉国光さん、それを語っていたギタリスト中牟礼貞則さんのデュエットがYouTubeにありました。
( ▷ をクリックした後、右下のYouTubeもクリックで再生されます。)


ギターは小粋でベースはゴキゲン。カッコイイーです。



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