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脳内ゲームオブザイヤー アーカイブ '06

第23回の脳内ゲームオブザイヤーのアーカイブ記事。
2006年に遊んだゲームの中で一番よかったタイトルを挙げていきたい。

PS3とWiiが登場!あとDS Liteも

2006年はプレイステーション3WiiDS Liteが登場した年だ。
筆者は全て購入した。
個人的な感想になるが、筆者はこのときXBOX360をすでに所持しており、PS3と360を並べて比較して見ていたせいもあるだろうが、PS3の印象があまりよくなく、我が家でも稼働率も高くなかった。

PS3、まず値段が高かったよね。
当時消費税5%だったけど(2014に8%になる)、こざかしく消費税抜きの表示をしたり、ハードディスクがデカい方のモデルだけ(外国では599ドルと明記していたのに)国内だけオープン価格と銘打ったりとかして、何としても1万の位を”7とか8って書きたくなかった”感がにじみでてたと思う。

店のレジでは「7」って表示されてたよ!

競合のXBOX360はHDD20GBで、税込み3万9千幾らだったことを考えるとちょっとヤバい差だったと思う。

それでも、PS3オンリーゲームが大量に出るとか、360とPS3のマルチのゲームはPS3版の方ができがいいとか、そういうアドバンテージがあれば高くても良かったと思うのだけど。

PS3は、オンリーのゲームがPS1や2の時と比べて少なかった。

両機種で出ているマルチプラットフォームのゲームは、筆者はハードを両方持ってるので「どちらか一方を選んで買う」ことになる。
筆者がマルチで購入を悩んだゲームのうち9割くらいが、360の方が絵が綺麗だったりロードが速かったりテクスチャが鮮明だったりフレームレートが高かったりした。

鉄拳6は、ゲーセン版がPS3の互換基板で動いてたから「よりゲーセンと同じもの」が欲しかったので、PS3版を買った。

PS3と360と並べて比較できて、どちらでも遊べる状態の場合、PS3はプレステって名前がついているだけで、他は多くの面でポンコツだったと思う。

もちろん、360を持っていなくてPS3のみ所持している状態ならば、PS2より画像が綺麗なゲームがいっぱい遊べるハードだったといえる。
上記は両機種持ちの場合のみの感想ということでご理解いただきたい。

我が家では後年トルネを購入し、PS3はテレビを録画するマシンとして余生を送ることとなった。
PS4世代ではこの力関係がまるっきり逆転することとなるが、それはまた後で語ろう。

それと春にDS Liteが、年末にWiiが発売した。

DS LiteってDLSiteと綴りが似てて間違えそうになるw
機能性はDSとあんまり変わらなかったけど、液晶が明るく綺麗になったのと(あと少し画面サイズも大きくなったんだけ?)
オモチャっぽかった本体形状がリニューアルされて、アドバンスSPみたいに丸みのある可愛い家電っぽいデザインの筐体になった。
色も紺色とかあってよかった。
初代DSは量販店で予約できたんだったかな?発売日に普通に買えた。並んだり苦労した思い出が全くない。
けどLiteは全然手に入らなくてネット通販や辺境のデパートやトイザらスなんかを探し回った。

年末のWiiは、ラゾーナ川崎のビックカメラに始発電車で行って、早朝の地下駐車場でクソ寒い中(おしっこ我慢しながら)並んだ思い出。
Wiiは性能は高くなかったけど、ゲーム機に新しい風を吹かせた、変わった機種だった。バーチャルコンソールもよかった。

ソフト関連だとゲームボーイアドバンスが終末期で、MOTHER3やFF6が発売したほか、DSでポケモンダイパ(最近スイッチでリメイクされたやつ)が発売。
モンハンはPS2で2(ドス)が出てた頃だ。PSP版のモンハンももう出てたけどまだ「初代」で、そこまで爆発的な人気にはなってなかった気がする。
あとはゲーセンでガンダムの「戦場の絆」が稼働したのも忘れてはならない。コックピット型の筐体とドーム状のスクリーンがインパクト抜群で、ザクのパイロットになりきって遊ぶことができた。

ゲーム以外だと、インターネット関連だとニコニコ動画がサービス開始。
芸能スポーツ関係は、トリノオリンピックでイナバウアーの荒川静香が有名に。野球でハンカチ王子が流行、あとWBC第1回が開催、お笑いはタカアンドトシの「欧米かっ」とか。音楽は「ハレ晴れユカイ」や、AKBの「会いたかった」とか。
闇の面は、ライブドアのホリエモンが逮捕される、北朝鮮が核実験、極楽とんぼ山本が未成年淫行、とか、そんな年だった。

2006年 ノミネート作品

  • ポケットモンスター ダイヤモンド・パール(DS)
    ポケモン新作がDSで登場。ゲーム内容が進化しただけでなく、タッチスクリーンや内蔵時計、ネットワークやすれ違いなどのギミックを駆使した遊びも満載で楽しくてずっと遊んでた。

  • ファイナルファンタジー3(DS)
    1990年にファミコンで出たFF3がDSでようやくリメイクされた。
    ワンダースワンカラーでリメイクされるって話が結構前にあったんだけど立ち消えてしまって、あれを楽しみにしていた人多かったと思うんだけどやっと再会できたね!って感じだった。
    ただスワン版のスクショと違ってポリゴンを使った3Dのゲームになってた。これはこれで結構面白かったけど2D版も見てみたかったな。
    ※最近スマホとSteamで2Dリメイクも出た。

  • 鉄拳DR(PSP)
    「鉄拳5ダークリザレクション」をPSPに移植したもの。
    ローディングも早くて挙動も良くてモデルもきれいで、かなり満足度の高い一品だった。
    オンライン対戦ができない人も、他プレイヤーのゴーストデータをDLして戦うことができた。

  • Wii Sports(Wii)
    Wiiのロンチタイトル。
    Wiiはコントローラーがリモコンの形してて従来のゲーム機と操作感覚がだいぶ違ったんだけど、そのコントローラーを駆使して遊べるスポーツゲームがたくさん入ったバラエティソフト。
    発売直後に出るミニゲーム集とかwwwって思うかもしれないが、これはかなり面白かった。リモコンをどう使ってゲームを遊ぶのか?をこれ1本でかなり学習できたというか、製作者の人にとってもお手本になったのでは。

受賞作品

第16回脳内ゲームオブザイヤーは…

Wii Sports(Wii)」です!

Wiiで一番衝撃的だったコトって何だろう?
…筆者は、コントローラが大胆に変更されたことで、ゲームの根本の遊び方(操作方法とか)が変わったこと、だったと思う。

筆者は幸運なことに、今は亡き任天堂・岩田氏の講演を聞く機会があった。

その昔、ファミコンが出たときは、誰も彼も、お父さんまでも「お前へたくそだな、ちょっとコントローラー貸してみろよ」とみんなでこぞってゲームで遊んだ。
しかし時間がたち、ゲーム業界は変わっていったという。
「コントローラー捌きが異常に上手く今でもゲームをし続ける少数の人」と、「それについていけなくなった多数の人」とに別れてしまった。と。

岩田氏は言った。
ゲームをふたたび「みんなの娯楽」にするために、どんなゲームソフトがリリースされるべきなのだろう?

そして彼はつづけた。
「簡単なゲーム」ではダメなのです。と。

簡単なゲームでは、さっきの例で言うところの“コントローラー捌きが上手い人たち”が満足しないからだ。
結局、ゲームを最初に買うのは彼らだ。
彼らにとって刺激のないもの・遊ぶ価値のないものは、だれも買わないモノになってしまう。
しかし、また誰も彼もが「ちょっと俺にやらしてみろよ」と言い出すには、コントローラーさばきが上手な人が絶対勝つゲームではだめということも併せて考えなければならない。

全員が同じスタートラインに立って、同じ目線で楽しむためには、新しいデバイスが必要。
初めて触る操作機器で、お父さんと僕が互角にやれるものでなければならない。
そのうえでゲーム内容は本格的で綺麗で、やりこみがいもたっぷりあるものにすべきなのだ。
…そんなお話しをお聞きし、なるほどなあと思った。

この思想をもとに作られたのが、DSとWiiだ。
筆者自身は“コントローラー捌きが異常に上手い少数”に属するほうだけど、理解は出来る話だと思った。
ただこれは言葉で説明されても分かりにくくて、実際にそういう思想で作られたゲームをやってみないとピンとこない。
「Wiiスポーツ」はその役目を担うソフトだったのではないか。中でも特に良かったのは”テニス”だ。超面白かった。
移動がオートで、プレイヤーがやるのはラケットを振ることだけ。
しかし!「ロンチだしイージーなミニゲーム出しちゃいました」などという手抜きな作品ではなく、振るタイミングによる細かな打ち分けができるなどしっかりした作りで、ゲームの新時代を大いに感じたものであった。

結局のところ、ゲーム業界の全体的なベクトルとして、岩田氏の提唱した「新しいデバイス」はメインとはならず、従来型のコントローラーのボタンを押すゲームがスタンダードの座を守り続ける形で、業界の歴史は歩みを続けることとなる。
まあ、Wiiにもプロコンあったし。従来型のゲームもたくさん発売したね。

筆者もWii本体を発売日に並んで買いはしたし、Wiiスポーツは結構いつまでも遊んでいたが、父や母と一緒に対戦ゲームなどをしたことは一度もなかった。
家族みんなでWii Fitをしたりマリオカートしたりした人もいただろうが、ライト層は飽き易く、この画期的で新しいリモコン型のデバイスから離れていくのも早かった(ライトな彼らはみんな携帯電話・ゆくゆくはスマホへ移行していくこととなる)。
この業界を、ゲームを、深く愛し、飽きることなくお金を出し続けたのはライト層でなく「ボタンさばきが上手な人たち」だった。

しかし岩田氏の挑戦と、この新しいプレイ感覚には賛辞を送りたい。

ちなみに蛇足だが、本ソフトは2007年に文化庁メディア芸術祭の大賞を受賞している。(06年の受賞とならなかったのは、発売が06年12月下旬だったからだと思われる)

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