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パフェと父

6月には久しぶりに東京に。彼に会ってわざわざ自分の誕生日を祝われに行くというなんとも珍妙で(けれど4月は彼の誕生日でこっちに来てたし)、楽しみなイベントが待っている。2か月会えないけれど、お互い忙しいし、なんとか乗り切れるとは思うけれど、寂しくて「今すぐパフェが食べたいの」とわがままを言う私に、「次に会うときに星座パフェを食べに行こうよ」と提案してくれた。

そんな会話をしているうちに、ふと幼少期の頃を思い出した。

自営業の私の実家は、今は不動産業をしているけれど、その昔、父親が今よりも元気だったころはボイラーの販売を行っていた。まだ小学生だった私は時折両親の会社に学校帰りに寄って、営業回りやボイラーの工事へ向かう父に付いていったものだった。

今思えばきっと、父は子どもと接するのが得意なタイプではなかったと思う。

幼いころに父親とまともな会話をした記憶はあまりない。今車で走っている場所は○○だよ、とか、あと何分でお客さんのところへ着く、とか、そういったことしか覚えていないのだ。母には学校の友達のこと、勉強のこと、いろいろ話した私だけれど、父親にそういった類の話をした記憶もない。ただ、なんとなく父の少し煙草の匂いのする、エンジン音のうるさい車に乗ってぼんやりと揺れる景色を眺めていた。

そんな父だが、「M子、パフェでも食べにいくか?」と仕事の帰り道に誘ってくれたことがたまにあった。

「母さんには内緒だぞ」と寄ったファミレスの、イチゴやチョコレートのパフェは、正直そこまで好きではなかった。父がパフェ食べるか?と言うのが断れなくて、でも嫌でもなくて、なんとなくうなずいていた。

けれどその頃小食だった私はあまりパフェを食べることが出来ず、パフェの上部分のクリームやチョコレートを少しだけ舐めたあと、「もういらない」とスプーンを置いたのだった。

きっと一緒に来たのが母だったら「ちゃんと食べなさい」と叱られたことだろう。そんな私に父は叱りもせず、「そうか」とだけ言ったのだった。

残されたパフェは父が食べたのか、そのままだったのか、何故だか思い出せない。恐らくだけれど、私がパフェを一度も食べきったことはなかったはずだ。それにもかかわらず、父は度々私をファミレスに連れて行っては、食べきれないパフェを注文してくれたのだった。

私は大きくなり、学校帰りに両親の会社に寄ることもなくなり、そしてパフェを食べることはなくなった。それからほどなくして、父はある出来事により体を崩し、前職を辞めざるをえなくなった。

父のことは、子どもながらに好きと思ったことはなかった。あの頃の父親はいわゆるロクデモナシで、私よりもずっと嫌な思い出の残る兄弟たちは、今でも父親のことをあまり好いていないのは分かる。

それでも、あの頃より大人になった私は少しだけ、上手く父と会話ができるようになった。父の好きな歴史の話、映画の話、大学の話。ファミレスのパフェを見ると、あまり好きではなかった父親との思い出が蘇ってくる気がする。何年もあのファミレスのパフェは食べていないし、これから先食べることがあるのか分からないけれど。ただなんとなく、パフェを見ると時折、不器用な父親のつたない愛情のような、なんとも言えないものが私を感傷へと導くのだ。


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