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平成だとか令和だとか

何かと騒ぎたがる世間にイマイチついていけない。

思えば人間「最初」だの「最後」だの、やたら好きなものだ。生きていれば何にも始まりがあり、終わりはつきもの。むしろ終わらない始まりなんてこの世にあるのだろうか。

2019年になってから、すべて2019年最初の、になるし、あるいは年の瀬になれば2019年最後の、になってしまう。そして一度として同じ年は繰り返されない。いわば人生はすべてが「最初」で「最後」なのではないか、なんて、なんだか頭の悪そうなことを考えてしまう私。

そんな平成生まれの私は、改元にピンと来ず、ああ、ただひとつの時代が終わるんだなぁとぼんやり思う。というのもあまり実感がないせいだろうか。今若者として取り上げられる私の世代もいずれ年をとると、平成生まれなんですか?!長生きですね〜、なんて言われるのだろう。あーあ、考えただけでやだやだっ。

GWは変わらずバイトで埋まってるし、気晴らしに友達と会うけれど、別に特別時代が変わる気もしない。世間はみんな令和へと向かってどこか高揚しているのに、古い気持ちのままの私は体ごと別の時間に置いてけぼりになってる気がする。

ただこれからは平成生まれの人の年齢を考えるときに、今度は令和の年数を足すのが面倒だなぁとか、昭和生まれの人はもっと面倒だし、とかへんてこりんなことを考える。

なんだかもうすこしまともなことをnoteに書こうと思ってたのに、今日はうまくまとまらないようだ。まあGWがバイトで埋まってちょっぴり憂鬱な大学生の、へんてこりんな独り言としておこうかしら。

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