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煙の味

いつかふたりでドライブをしよう、と誘われたのは付き合う少し前のこと。そんな先日は彼の誕生日、高知に来てくれたから一緒にドライブを兼ねた温泉小旅行へ行ってきた。

春は雨に毎年見舞われることが多いのだけれど、今週末は驚くくらい空が澄み切っていて、桜の花びらがうつくしく弧を描いていた。まるであなたの前途を祝っているみたいね、と声をかけるとどことなくてれた表情で彼は笑った。

この3日はずっとふたりでほとんど離れずにいたから、いつもは見送る側の彼が東京へ向かうバスに乗り込む直前、涙目になりながら私の手を握る右手に力を込めるのがほんのり切なくなってしまった。地元で手を繋ぐのは正直恥ずかしかったのだけれど、別れる前の沈黙が胸に詰まって私はそっと手を握り返した。

きっと一緒にいられる将来は来る、そう信じている私たちだけれど、俯瞰的に一時的な別れを見つめるのにはまだ少しだけ若い。一生の別れでもないのに、と思うのに寂しさだけは拭えない。タバコを吸う彼についていった駅の喫煙室は私たちふたりだけで、静かなラストスモーキング。

おもむろに火をつけ、タバコを吐き出す彼からタバコを奪うと、私も一口煙を吸い込みゆっくり吐き出した。煙を吸い込むのが苦手な私は口の中で少しふかしてから吐き出す。ほんのり苦味が口の中に広がる。

付き合ったばかりの頃、彼の吸うタバコ吸ってみたいと呟いた時はひどく驚かれた。今までそんなこと言われたことなかったから、と。

私がバスに乗り込む前、いつも新宿の喫煙所に立ち寄る彼について行き、吸いかけのタバコを数回もらう。1人バスに乗り込んだあとはその煙の味を反芻し眠るのだ。

タバコを吸ってみたいと言われたのはきみが初めてだったからうれしかったよ、という言葉にちょっと優越感。周りに喫煙者が珍しく多い環境の私は、それほどタバコに対する嫌悪感はない。けれどその煙の味は彼と付き合ってから初めて知った。24年間まじめに、ただただまじめだけが取り柄だった私は、おとなになっているのにどこか不良少女にでもなったような気持ちだった。

見慣れた街をバイクで走りながら、数時間前に彼と車で走ったことを思い出す。今頃あの人は慣れない夜行バスの中で泣いちゃってるのかしら、と思うだけで私も泣きそうだった。しばらく会えないから。またその顔を見せて、と泣きそうな声でそう行ったあのひとの言葉が耳に残る。グッとさみしい気持ちを呑み込めば口に広がるタバコの味。ほんのり服に移った彼の匂い。そんな平成最後のデート後の夜。

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