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親孝行ってなに

ちょうど4年前、このnoteを書き始めた。
最近はあまり書かなくなってしまったが、今日からまたぼちぼちと書いていこうと思う。

4/27はぼくの誕生日。
誕生日は昔は自分の誕生日ってなんか特別な日で嬉しい、うきうきするという感じだった。
それは子どもの頃から親や兄弟が祝ってくれたからだ。

ぼくは今年34歳になった。
今年の誕生日が今までと大きく違うところといえば、誕生日は、自分を産んでくれた親に感謝する日になったということ。
元々そういう想いはあったが、尚更それが強まったと思う。

そこで今日は親孝行について書いていこうと思う。

少し遡ってぼくが20歳の頃のお話しをする。

当時ぼくはホストクラブで働いていた。

当時のホストクラブは今よりも男社会だった。

男社会というのは、結果が全てという社会だ。

当時売上もなかったぼくは、席について女の子とお話しする時間よりも、雑用の時間の方が長かった。

女の子が吐いて汚したトイレ掃除をしたり、タバコをコンビニまで買いに行ったり。そんな時間の方が長かった。

ホストクラブと言うと、お酒の場をイメージすると思うが、普通に飲食もできる。

お店の裏に厨房があり、そこに料理をするチーフが来て、女の子が注文した料理を作るのだ。

しかもそれがかなり美味い。

ぼくは当然女の子を呼べていないから、その料理を食べることはなく、それを運んだり片付けたりする。

料理ができるまで、厨房の近くでグラスを拭いたりして待っている。

ある時ふとぼくは、料理に真剣なチーフにこのように質問をしていた。

「親孝行ってなんなんですかね、、?」

真剣な顔つきで料理をしていたチーフは、一瞬ピタッと手を止めると、考えたようにしながら、またもや手を動かし続けた。そして

「寂しい思いをさせないことじゃねーかなぁ。色んな感情が人間あるけど、やっぱり寂しいっていうのは嫌だよなぁ。」

それだけ言って、チーフは

「持ってけ!」

料理をテーブルにポンと置いた。

当時はそれだけのやり取りだったが、その言葉は今もぼくの中で強く心に残っている。

ぼくは親に自分のお仕事のこと(スカウトマンのお仕事)は話していない。

話すとあまり良い気持ちにはさせることがないから、話す必要もなく、バーで働いていることにしている。

だけど、今でも連絡は頻繁に取るようにしている。

それは親の状況がもちろん気になるというのが1番の理由だが、それと同じく寂しい思いをさせてはならないという気持ちもある。

夜をやっている女の子は、親とうまくいっていなかったり、親と縁が切れている子も少なくない。

話しを聞いていると、毒親というのも実際存在するし、正直気の毒だなぁと思うような子も一杯いる。

ぼくは霊能者ではないから、ほんとのことはどうだか実際はわからないが、一つ信じている話しがある。

それは、自分の親は自分で決めて生まれているということだ。

子どもは産まれる前に、空からこの世を見ていて「ぼく(わたし)この女性がお母さんがいいな!」と言って、選ぶという。そしたらそこにヒューっと流れ星のように入っていくというのだ。

実際今日、ぼくが自分の母親から送られてきたラインを少しだけ公開する。

このように、モニターには星のように小さな光が映っていると話してくれた。

それは心臓らしいのだ。

確かに今ぼくが生物学的に産まれているのは理解できるとしても、感覚的にどうして今こうやって生まれてきたのかを考えると、果てしない宇宙を考えるのと同じくらい頭では考えきれない。

でも一つ言えるのは、この世に産まれてこれたというのは、当たり前ではもちろんなく、限りなく奇跡なことであるということ。

それは間違いない。

だから、せっかく産まれてきた以上、自分を嫌うことはしてはいけない。

自分の顔が嫌い。
自分の性格が嫌い。

それを産んだ親はもっと嫌い。

そんな罰当たりな言い方はないだろう。

どんなことを思うのも勝手かもしれない。

だけど、お母さんは必死な思いであなたを産んだんだ。

そのことだけは紛れもない事実。

そして、自分の母親を自分で選んで産まれてきた。
それも事実だとしたならば、、、

この世に生まれてきた理由、それは地球を良くするために産まれてきた。

人間が他の動物とは決定的に違うところがある。

それは、笑顔だ。

動物を飼ったことがある人はわかると思うが、動物も感情はある。
猫ちゃんワンちゃんだけでなく、カブトムシだってちょうちょだってトカゲだって感情はある。

だけど、笑顔は人間だけが持っているものだ。

笑顔はそれがあるだけで、周りを豊かにする。
周りをあたたかくする。

人間は生まれながらにして、笑顔を身につけているんだ。

それは誰からも教わったわけではない。

神様からの最高のギフト、それが笑顔なんだ。

だから、自分の顔が嫌いでもいい、性格が嫌いでもいい、そういったのを好きになるのは時間がかかるだろう。

だけど、笑顔であることをもっと大切にして、笑顔でいる時間をなるべく増やそう。

親が嫌いでも、ぼくは笑顔を大切にすることができれば、それはもう親孝行と一緒のことだと思う。

そして、笑顔を続けていればいつか感謝の氣に包まれて、今までのドロドロしたものが自然と消えてゆくだろう。

そのときに、ラインの一言でもいい。
連絡がつかなかったら、空を見上げて祈るのでもいい。

「産んでくれてありがとう」

その一言だけ、言ってみよう。

言うだけでいいから。

そのとき、親の寂しさ、そして自分の寂しさから報われて新しい自分になれるよ。

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