見出し画像

突然投げつけられる性的な視線と下心

友達が痴漢された話を聞いた時、下心を投げつけられた時、性的な言葉を吐かれた時、私はすごく、すごく、言葉にできないやるせなさを感じる。

特に痴漢された友達の話を聞くとき、私はほぼ必ず気づいた時には泣いている。だって、何も悪くないのに偶然、突然被害にあった友達がこんなにも怖がっていて、苦しんでいて、日常生活に支障が出るくらいのダメージを負っているのに、加害者はのうのうと別の女の子のお尻や胸を触って日常生活を送っているんでしょ?なんで、被害者側がこんな理不尽に傷つけられなきゃいけないのか分からなくて、怒りと悔しさと、やるせなさと、こんな社会にいることへの絶望と、いろんな感情が一気に込み上げてきて、気づいたら泣いている。

そしてこれが珍しいことでもなく日常であることも本当に悔しい。

痴漢されたトラウマで電車に乗るたびにソワソワ、ドキドキする、
ナンパされた日は一日背後が少し怖くて落ち着かない、
胸や体型について性的に話題にされて視線が怖くなる、
夜道で知らない人につけられて恐怖で一杯になる、
「女を使え」とか、人としてでなく性的な存在として捉えられる。

こんなことも全部全然珍しいことじゃなくて、むしろほとんどの女の子が経験してると思う。私たちは性的に価値づけられ得る存在ではないし、人間として尊重されるべきだ。

図書館で勉強してたら声をかけられた時なんて最悪だった。通りすがりの時なら逃げられるけど、今私は座っていて、名前や学校名が分かる勉強道具を持っていて、すぐ近くで待機してるかもしれない。私がお手洗いに立った隙に何かされるかもしれない。とか色々考えて集中できなくなった。被害妄想だとか思われるのかもしれないけど、実際そうやって被害に遭っている子がいっぱいいる。全然被害妄想じゃないし、私の周りの多くの女の子もここまで一気に考えてる。

「下心を突きつけること」がこんなにも恐怖とショックを与えるということをもっとわかって欲しい。

私はこの状況が被害を受ける私たちのせいではないことを明確に分かっているけど、世の中が責めるのは被害者側だから、被害者も「自分が悪かった」という考えに着地してしまう。そして、「被害に遭わないため」に自分の意思や願望を抑えることを求められる。

「ミニスカを履いてたから」とか「露出が多かったから」とか「金髪だから」とか「夜道を1人で歩いていたから」とか、本当にそんなことは関係ないし、それが被害を受けていい理由になるわけない。

実際、データでも加害者がターゲットを選ぶ際に露出が多いかとか、金髪かとかはあまり考慮していないと分かっている。なのにどうして被害の原因を被害者に求めるの?

そして、「被害を無くそう」という素晴らしい目的のために行われることが「加害者を無くす」のではなく「被害者を無くす」にすり替わるの?

駅のポスターを見れば「痴漢するな」ではなく「痴漢に注意」と書かれている。行為を変えることを求められるのは加害者ではなく被害者なのはなぜ?

「加害者がいなくなるから被害がなくなる」のではなくて、「被害者が気をつけるから被害がなくなる=加害者はいる、加害できないだけ」っていう社会がいいの?

ひとつ絶対に言えるのは、加害者が圧倒的100パーセント悪くて、被害者は絶対絶対1パーセントも悪くない。被害者に非を見出して責めるのは間違ってる。

これは本当にみんなにわかって欲しい。被害にあったあなたは絶対に悪くないし、自分を責める必要は全くない。例えあなたが今日ミニスカートを履いていたとしても、それは痴漢されてしょうがない理由にならない。

あなたは絶対悪くない。

そしてあなたを責め、あなたの選択を変えさせる社会は絶対に正しくない。

-------------------

こういう話をすると「自慢なの?」とか言ってくる人、
「自分が載せた写真なんだし言われて当然じゃね?」と毅然として性的な言葉を吐いてくる人、
「そんなのノリじゃん」と擁護する人が登場する。

そういう人たちには
「性的に見られる気持ち悪さ」を伝えて差し上げたいと思うのだけど、その方法がどうしてもわからない。

言葉で説明し得る領域じゃない。

どうにかして言葉にするとしたら、彼らが考慮するのは、私たちの「性的な部分」のみで、それを持っている「私たちそのもの」ではない。性的な道具かモノとしか捉えていない、「存在を軽んじる態度」。そしてそれを突き付けてくる、笑いやネタにする非常識さ。その女性軽視、性的モノ化を一方的に受けるしかない逃げ場のないこの社会に対する絶望。

高校時代もこんなことは日常だった。しかもこれが日常である異常さに気づいている人が全然いなかったことが今とても怖い。

女子教室を覗くとか、水着の写真をスクショして回すとか、ヤッたと嘘ついて「こんなだった、あんなだった」って言い散らかすとか。

そういうことはただのイタズラでもおふざけでもノリでもなく、加害だってことを自覚して欲しい。そしてそれはあなたたち加害者が思っている何倍も、何十倍も、何百倍も被害者を傷つけてることも自覚して欲しい。

皮肉なことに、私たちは被害を受けることが日常になっていて、「被害」とすら感じられないようになっているから、余計加害者側は軽く捉えているのだろうけど、絶対にその感覚は麻痺だから。

女性が事あるごとに「嫌だな」「怖い」という気持ちを持たざるを得ない状況に立たされ、ただそれを受け入れる器を獲得してしまった人が大勢いるこの恐ろしさを重く受け止めてほしい。本当に、重く受け止めて欲しい。

なんでそんなに大袈裟なの?って思うかもしれないけど、私たちはこうやって受けてる被害を吸収して、知らぬ間に、無意識のうちに自分を低く見るように蝕まれていく。

一つ断っておくと、私はこの記事で男性を批判しているわけではない。加害する人を批判しているのであって、男性を一括りにしているわけではない。加害する人への批判、そして加害している自覚がない、実際に加害していない人への警鐘(自分含め)、被害を受け入れることが当たり前になっている被害者側への警鐘が趣旨であって、ミサンドリーではない。そして加害するのが男性のみではないという補足も。

「女性であることは、性的にジャッジされることである」

という式が一瞬も成立しない社会に生きたい。

20210825

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?