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亡き母と娘から感じた事。

昨日家族で話していた時に、ふと僕と妻の両親の話へと派生していきました。
妻の両親はまだご健在ですが、僕の両親は既に天国へと旅立っています。
そんな中、僕の両親についての話をしている時に、僕の母が今僕が就いている職業である『教員』になりたかったんだという話を娘たちにしました。

母の家庭は大変貧しく、本来の財力なら、母は高校進学すら不可能な家庭でした。
それを、歳が7つ離れた兄から「お前は何とか高校へ行け。俺が学費は出す。」との事で兄からの援助も受け高校へ進学出来ました。

戦後十数年で、高度経済成長に差し掛かっているとは言え、地方の田舎の道路状況など、たまったものではありません。

なけなしのお金で買った自転車を使って通う高校生活は、舗装されていない砂利道を、片道約40~50分かけて通うほどの道のりでした。

それでも高校へ行かせてもらた事を心から感謝する母は、一生懸命勉学に励みます。成績は非常に優秀で、学年でも常に3番以内に入る優等生です。

そんな母には夢がありました。それが『先生になりたい。』という夢です。

今思えば、母は僕の幼少期、学校で学んだ内容でわからない所を、それはそれは丁寧に我慢強く教えてくれました。今思い返しても、その姿は『先生』以外の何でもない…いや、語弊を恐れずに言えば、『あんな先生は二人として居ない』程、相手の身になり、我慢強く、献身的な母でした。

さて、それはさて置き、そんな母の昔からの夢であった『教員』への道も、家庭の貧しさから断念せざるを得なくなります。
さすがに大学へ行ける訳もなく、地元の企業へ就職する事になります。

そして縁あって父と結婚することになり、かなりの時間を経て僕は生まれます。

末っ子だった僕は、我ながら上の兄弟達とは違い、手のかからない子だったと思います。
外でヤンチャしてくる事も無ければ、習い事をやめてくることもなく、成績は優秀ではないにしても、それなりに悪くないポジションをキープしていました。

そんな僕がいつからか憧れて止まなかった職業、それが『教師』です。

そんな僕の職業『教師』について、僕は冗談混じりに娘たちに言いました。「ばあちゃんがなりたくてもなれなかった仕事だから、代わりに父ちゃんがなっといた😜(笑)」と。

実際は『代わりに』なんてつもりは全くありませんでしたが、ほんのジョークのつもりでそんな話をした僕に対して、小4の次女が「そんなの私は認めやん!」と言い出しました。

「え?何が何が?」と僕が聞くと、次女は「誰かの代わりに…とか言うのはあかんと思う!」と一言。

もちろん真意を話すと次女は「なるほど…」と納得したようでしたが、自分の人生の舵を、自分以外の誰かの影響で左右される事が次女は嫌なのかな…そして自分の父がもしそんな理由で今の職業に就いているんだとしたら、それも彼女にとっては納得のいかない事実だったのかもしれません。

思わず笑っちゃいましたが、我が娘ながら、「よしよし、それでいいんだよ。しっかり自分の意志を持って生きてるね。偉い偉い。」と心の中で娘を誇りに思いました。

亡き母と愛娘に、改めて自分の人生を自分の意志で進んでいくことの大切さを教えてもらった気がします。

今日が人生で一番若い日。しっかり噛み締めて歩いて行こう。

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