手段が目的化したっていいじゃないか
いやタイトルまんまなんですけど。
よく言われますよね、「手段が目的化してしまっている(真顔)」って。
実際に僕も「そこは履き違えちゃいけないなー」とか思って物事に取り組むことも多いです。
でも、さっき思ったけど、そもそもその目的って本当に必要?
仮に「生きる」ってことを目的としたら、手段は食べて寝るだけでしょう。
じゃあそれ以外のことはもうどうでもいいんじゃないの。
いや食べるためにはお金が、、云々の話は置いといて。
どんな偉業を成し遂げた人でも、言い方を変えれば生きる以外の
「余計なこと」をやってるだけなんですよね。
でも「いやーそれやらないと死んじゃう!」っていう人は別ですよね。
これは偉いとかどうとかじゃなくて、ただ「生きてる」だけですよね。
そう考えると人がどうこう言ってるのは全然どうでもいいですよね、本当に。
これは小学生ぐらいからずっと思ってることなんですけど。
だからマジで手段を思いっきり目的化して、脱線しまくって生きていけばいいんじゃないかなあ。
むしろそれこそが、生きる以外のことができる人間の真骨頂じゃないかなあ。
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