よしもとばななさん『スナックちどり』も電車では読めないって話し
妹に借りた本、第2弾。ホロリ。
よしもとばななさんなら、電車で読むのにいいのでは!と思ってみたのだが。
今回も、まったく学びのないわたし。
帯を読め、帯を!
さて、この、また、全然電車で読むのに相応しくない本ではあるが、気を取り直して、気に入った箇所をご紹介。
ちどりは、子どもの頃に両親を亡くし、路地裏で小さな「スナックみどり」を経営する、働き者の祖父母に、愛情たっぷりに育てられた。その祖父母も最近亡くし、悲しみにくれながら、ヨーロッパ旅行へ。
そんなちどりといとこのさっちゃんが、旅先のイギリスの田舎町のカフェで出会った、「よく働くであろうそのごつごつした感じの手が、ピンポイントでものすごく祖母に似ていた」おばあさんに話しかけられたときのシーン。
歳を取る、って、わたしにとっては、こういうことなのかもしれないなあ、と。
「きっちりおばあさんになる」ってさ、顔も手も皺皺で、畑仕事してたから年中日焼けしてて、服の上にはいつも割烹着を着ていたわが祖母を思い出す。
夫の叔母さんのように、80歳になっても、手も足も爪のお手入ればっちり、家着だっていつでもぱりっと、iPhoneやタブレットは最新版、家はモデルルームですかみたいに生活感なし、みたいな生き方って、無理だな、というか、目指してないんだな。
深く考え過ぎずに、おばあさんになって、頭はしっかりした状態で朽ちていきたいなあ。認知症の進んだ母を見ていると、このあたりを自分でコントロールできない、というのが悲劇的だなあと実感するけれども。
わたしも、最後は、「自分の芯になるものだけが残る」んだろうなあ、と薄々感じているものの、それが美しく素晴らしい物ではないだろうって確信があるので、恐怖でしかない。
焦らず、仲間探しをして、一緒におばあさんになっていきたいところ。
ああこわいのぅ~。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?