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ママちゃんと俺の5年愛戦争(仮)8

2019年。2017年から通い出したデイケアも生活の一部となり、一時期本当に鬱のドツボにハマりかけてアルツハイマーの病状も酷くなりかけたが通ってる事により全てが好転した。昔の母親が戻ってきた様に生き生きとして興味を無くしたモノに対して手を伸ばす様になったり、デイでは料理の手伝いやら昔取った杵柄の着付けなどするくらいにまで回復してた。
奇跡なんて烏滸がましいものではなくて、「生きてく力」が本人に急速に目覚めていったみたいだった。

ただ下の世話というかトイレの仕方は下手になっていった。ときたまのおねしょも玉に瑕。仕方ない事だとそれも彼女の個性と割り切って受け入れていた。

好きな食べ物も不思議と変化していた。
魚全般が好きで特に鮭の切り身が大好きだったのに、お肉類の方を好む様になったし、そこまで好きじゃなかったラーメンも凄く食べたがった。
要は子供っぽい食べ物を好む様になった。
でも本当は好きだったのかも知れない。
子供ファーストな母親は自分よりも子供を優先する人だったから我慢してたのかも知れないと今は思っている。

この頃は凄く安定してたと思う。自分もこの頃は深夜、警備員の仕事を週3、4回やっていてお金のかかる介護生活の足しにしてた。貯金を切り崩して暮らしていくのもかなり大変で、将来やろうとして貯めてたお店の資金も切り崩す事になりこの頃にはほとんど残っていなかった。
母親も流石に慣れてきていたのか、デイケアもイキイキと通い側から見ていても楽しそうだった。
でも病気は治った訳じゃない。今もゆっくりゆっくり進んでいる。
それでも未来のあれこれを夢想出来た。この状態のまま母は生きていくと半ば信じていた。

この頃のエピソードで思い出すのは、ある日母が俺にテレビを観ながらこう言った。
「この展覧会見に行こうよ」
「へ?」
「だからこの展覧会だよ!上野でやってるって久しぶりに行きたいなあ」
「え?大丈夫?いっぱい歩くよ!電車にも乗るよ!大変だよ?」
「大丈夫!」
「車じゃ行かないよ?いいの?」
「大丈夫だよ!行こうよ!」
この時の母親は昔の母親様に思えた。

まぁなんの展覧会か失念してしまったが、とにかく行く事にした。
でも大変だった。
すぐ「足痛い休もう」と言って動かない。
2分くらいで着く所も30分かかった。
でも楽しかった。
母親と2人こうやって手を繋いで遠くの街に展覧会を観に行くという事がまた出来るという喜び。
半ば諦めてた事がこうやって実現出来る。環境の変化、気持ちの変化もあるだろうけど
生きたいという生への希望が人をここまで回復させるという事が凄くうれしかった。
あの時食べた和食の美味さは忘れられない。
「疲れたから見ておいで」とベンチに座ってニコニコしている母親は今だに忘れられない。
大変だったけど素敵な日々。
こんな日々がずっと続くと信じてた。
終わりが来るのはまだまだ先だと思っていた。

しかし、あの厄介なやつが世の中に蔓延して世界のあり様がころっと変わってしまうのだ。
2020年。
コロナ禍の始まり。
俺たちの生活も変わっていく。

続く。

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