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キミを忘れないよ、


いきなり大失恋をした。
あんなに昨日まで仲良く過ごしていたのに、
「僕がいなくても君は平気だよ」と言われて
一方的に振られた。わたしのどこが悪かったのかなんて、全くもってわからない。分からないから、なんで、どうして、の思考が止まらない。

まるでそんな場面が頭をよぎった。

永遠なんてないよ、と過去に二度ほど強く叩きつけられたはずなのに、それでも懲りることなく永遠を信じたくなるのはなぜなんだろう。

言葉にしないと、と思う場面がある。
それは写真家にしたら写真を撮らないと、と思うことと似ているのかもしれない。
この今の気持ちをどこかに残しておかないと消え去ってからそっと砂を掬うように思い出そうとしても、その時にはもうだいぶと消費されていて味が分からなくなっているから、キミを忘れないということを、今、ここに、残しておくべきだ、と。

さようならは突如として訪れるから、心の準備がしっかり出来ていて何一つ後悔もない、なんていうことは多分ほとんどないに近いと思う。
哀しみや切なさを存分に含んださようならは、本当はとても長い長い時間を経て神経全体に染み渡っていくものなんだと、そう理解している。

「あなたの輝かしい姿を見に行く」ということがこれから将来もきっと出来るはずだと何の疑いもなく真っ直ぐに信じていたのに、別れを意識せずに過ごしたあのコンサートが、あの舞台が、最後だったなんて、別れというものはわたしとキミの双方にとっての人生のワンシーンだったんだね。


生きてきて、素敵なあなたを見つけてあなたが歌うあの歌を、言葉を、メンバーみんなと一緒に見せる笑顔を、あなたに会うために訪れたあの土地もそこでの空気も、そうやって出会ったたくさんのものをこの手から手放していくということは記憶として重くなるのは当たり前なんだろうなと思う。
「大好きだった元彼を忘れられない」感覚のような、時間さえも解決してくれるのかどうか分からない重りを背負いながらこれから先も進んでいくしかないのかもしれない。 

「ずっとこのまま7人で歌っていてね」と他のグループの解散や脱退が叫ばれるたびに浮き彫りになる祈りに、「ずっと」を願わずにはいられない。だって、人は哀しいものでさみがりやだから。
でも、本当はみんな「ずっと」なんてものが無いことを知っているから、逸れていく何かを受け入れる状況に慣れていく。ああ仕方ないな、だって永遠はないんだもの、変わらないものはないんだもの、と。

だからこそ、さようならは何よりも哀しくてそしてなによりも美しいものだということをもう一度思い出したい。これからずっと先、たとえば二十年後くらいに光がさして、本当にさようならが言えるのかもしれないね。

わたしにできることなんて、北山担のお友達の手を握って大丈夫だよと声をかけてあげるというような三流映画みたいな安っぽいことしかないし、思いもつかない。大丈夫だよ、と言う言葉すら何がどう大丈夫なのかは分からないけれど、人にはきっと「大丈夫だよ」と言われたい場面があるはずで、他の言葉に変換しきれない大丈夫だよ、は時に最上なんだと思います。


ましてや途中からキスマイを好きになって、彼らの歩んできた軌跡の全ては分からないし知らない。
それでも、関ジャニ∞から渋谷すばるが抜けると知ったあの日のことは頭を殴られたような痛みだったことをわたしは知っているから。そう、知っている痛みだから。
グループからメインボーカルが抜けると言う前代未聞のその衝撃さと、残される人たちがそれでも歩みを止めずに前を向いて第二章を生きていこうとする強さを、全てをどうにか受け止めていくしかない現実に涙をいつまでもこぼすわけにはいかなかった。 

もう二度と、あなたがステージに立って歌ったり踊ったり、メンバーと笑い合ったりする場面を見ることが出来ないことが想像できない。どうして、みんなで続けていくと誓っていたのに、神様、やはり永遠はないのでしょうかと神様さえも時に恨みたくなるけれど、それでも受け入れるしかないこの現実が夢ではないと教えてくる。


〝あなたの、あの歌割りは誰が、どうやってこなすの?歌うの?、そのたびにあなたの面影を求めてしまうよ。‘’


そんなことを思う日が当面は続くはずで、だからこそ、その哀しみはそっくりそのまま綺麗にラッピングして大事にしていい。
誰かのことをこれほどまでに好きになった証を、その傷に無理矢理ばんそうこうを貼ってしまうのではなくて、いつの日か自然にあなたの中に哀しみごと溶けるまで一緒に歩いていけたらいいなと、それがあなただけがしっかりと感じることができる、あなただけの哀しみなはずだから。

誰かの決断を理解しようとすることは、時にどうしようもなく難解だから、いつの日にかこの哀しみに対しても、キミに対しても「ありがとう」まで辿り着けたのなら、連れていけたのなら、あなたが何気なく歌ったフレーズも名曲だったなあと懐かしむことができるのかもしれません。

変わらないものと変わりゆくものを天秤にかけることはきっと土俵違いで、どちらにも正解があるからその答え合わせはいつの日か生活の中でふと舞い降りてくる、そんな感覚なのだろうね。

永遠はないけれど、永遠は通り過ぎていくけれど、ここまで過ごしたたくさんの思い出や時間、場所、それは全て宝物で喪失することなく胸の中で温かいものとして保存して過ごしていけたらいいな、と思ってます。



キミにも、キミを応援していたすべての人にも、この先、幸あるよう心からお祈りします。








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