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思い出してあなたの感覚を、


沙也加ちゃんの訃報を知ったあの朝から、ちょうど一年の今日を、わたしは待っていたようで待っていたわけではなくて。

今年に入っても変わらず、しんどくて立ち上がれそうになかった春頃にはあなたの「ずるいよ、桜」をエンドレスリピートしました。

環境が変わった夏には久しぶりに「ever since」を数週間エンドレスリピートしました。


今でもやっぱり、あなたの素晴らしい才能がこの世から無くなってしまったことが切なくて言葉にできないです。



幸せになりたくて掴もうとしたあの愛を、
美学の宿ったあの日のブーツを、
言いかけてやめたあの言葉を、
涙を見せたら変わってしまうから我慢したあの関係も、
笑いあった信号待ちの交差点も、
新しいきっかけを待ち続けた眠れない夜も、
大事な暗証番号が同じだと運命を感じたあの一瞬も、
全部大切で、全部大切じゃないからこそ、忘れてもいいんじゃないかな。
でも、わたしは観劇したあなたのミュージカルだけは脳裏から離れることなく、心の中で生き続けるから。始まりはいつでも、終わりの始まり。

誰にも言えない悲しみも秘密だらけの街も、なにもかもが意味を持つ。


人生は多分きっと時にクソだ。
神様から与えられる理不尽の回数も人によって違うだろうし、付加価値を見出せない日だって数えられないくらいあって、追いつきたいあの人には全然追いつけなくて、努力だって報われるのか不自然に感じる。
でもきっと今日より明日、明日より明後日、そうやって積み重ねるという地味な作業が緩やかだったとしても大事なこと。


思い出は自分の中で自動再生することで、強くも弱くもなれるもの。
いつでも、どんな時でも、自分が後悔のない選択をできるようにわたしは今日も動いているし、これから先のわからない未来もそうでありたい。
一年前の自分は今年の自分の環境を想像できなかったように、来年の自分の環境を今年の自分は想像できないわけで。


追いつきたい誰かがいることは、きっと幸せ。
だからわたしはまだまだ頑張ります。


今年も残り約二週間。
最後の最後まで自分らしく生きていけますように。


沙也加ちゃんの紡ぎ出した全ての物はこうやってずっとずっと心に生きるよ。残るものをたくさん紡ぎ出してくれてありがとう。これからも大事にしていくから。


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