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初めて「壊れるかも知れない」と思ったこと。

やっとひと段落ついたけど、先週までは仕事が忙しすぎて、冗談抜きにふとした瞬間に死を選んでしまっていたかもしれない。と今になって思う。

異動してきて一年になるが、私が今やっている仕事は私が最も苦手とする部類の仕事だ。

異動したての頃は「慣れていないから辛いんだ」と思っていたけど、慣れることはなかった。

メンバーはいい人ばかりで、すごくサポートしてくださって、逆にそれが申し訳なかった。

6月に前の部署の上司から話があって、人事課も通してそちらの仕事に関わった。

コロナ関連だったため、短期間でカタチにしなければならず、時間的にも体力的にも辛い仕事だったけれど、ゼロから生み出す楽しさと「自分が役に立てている」という実感があった。

生きている感じがした。

そのあと元の仕事に戻ったら、遅れている仕事は更に遅れて山盛りになっていた。

必死になればなるほど、何をしたらいいのか分からなくなってきた。

手を貸してくれる方に対して「ありがとう」よりも「申し訳ありません」の気持ちが強く、また、そんな自分が大嫌いだった。

今回気づいたけど、私は人の足を引っ張っていると実感した時が一番辛い。

残業をして、頭が破裂しそうになって、ヨロヨロと帰宅してお風呂に入って布団に潜ると何故だか涙がとめどなく流れた。  

それが毎日続いた。

さすがに「これは普通ではない」と思った。

「私って何のために存在しているんだろう」

「人に迷惑をかける私はここにいない方がいいんじゃないか」

「私の一生ってなんなんだろう」

そんなことばかり考えていた。

でも、日中になると自分のキャラクターを全うしてしまう。

おちゃらけてしまうし、仕事に対しても前向きになってしまう。

そして帰り道に車の中で号泣する。

「本当にこのままだと壊れてしまうから休んで」

「上の人に相談した方がいいよ」

そんなふうに言ってくれる人もいたが、締め切りのある責任の重い仕事なので、プレッシャーと焦りから、そういう余裕がなかった。

「何かを変えたい」と思える余白が私には無かった。

「ありがとう」と口で言って心の中で「無理」と叫んだ。

100回は「これが終わったら退職する」と思った。
家族にも「辞めたい」と言った。
「壊れてしまうのなら辞めた方がいい」と言ってくれた。
兄も「うちで事務をすればいい」と言ってくれた。

でも、この田舎で、この歳で、実家の仕事を手伝うことはなんだか卑怯な気がしてしまった。

今の仕事だけを12年間してきて、
しかも特殊な部署にしかいなくて、
自分に価値が無いことを目の当たりにしたくなくて、転職活動にも踏み切れなかった。
怖かった。

動けない自分
価値のない自分
弱い自分
それを認めたくない自分

全部嫌い。

「もう全部終わらせたい」

そう思ったとき、ハッとした。

「ああ、こういう風に人は死を選んでしまうんだ」

私は今まで「死にたい」だなんて本気で思ったことはなかったけど、こんなに簡単にあちら側へ転んでしまいかねないと分かった。

背筋がゾッとした。

その日はいつもより長く寝た。
睡眠をたくさん取った後の頭で考えて考えて吐きそうになりながら考え抜いた結果、

「いつでも辞められる自分と環境を作る」

という結論に至った。

今はその準備期間だと思った。

「いつでも辞められる」ということは、自分自身が軽やかになるということ。

自分にも周りにも優しく思いやりを持ち、気持ちよく寄り添え、罪悪感なく気持ちよく離れられること。

自分自身で抱え込まない自分になること。

これからどう生きていこうか悩みは尽きないけれど、歩む方向が決まって、少しだけスッキリした。

今、いっぱいいっぱいで苦しい人の参考になるかは分からないけれど、ひとつだけ伝えたいことがある。

まずは寝てください。

睡眠をとってください。

「死にたい時は大体寝不足」と誰かが言っていたけれど、本当に共感しました。

考えて悩んで、苦しいと思うけど、正常に考えられる環境が整っていない可能性があります。

まずは少し寝坊してください。

生きづらくて、自分の輪郭を保っていることが難しいこの世界で、飲み込まれて失くなってしまわないように、自分を好きでいられるように、私も探りながらなんとか進もうと思います。

「頑張ろう」はなんだか違う言葉な気がします。
苦しい人はもうすでに頑張っている人だから。

同じような人間がいる、と思っていただければ、それが何かのお役に立てれば幸いです。

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