「顔が嫌い(笑)」
「◯◯さんって、どんな方ですか?」
と人の特徴や性格を尋ねたときに、その人に対して好意的な感情を抱いていない場合、必ず
「うーーーーん。顔が嫌い。」
と答える知人がいる。
声のトーン、表情、どれを取っても嘘、偽りのない、クリアな「顔が嫌い」なので、
「そうですか、顔が嫌いですか(笑)」
と笑ってしまう。
結局、その人の特徴も性格も何ひとつ分からないけれど、そのむきだしの感情を垣間見せてくれたことがどういう訳か私には心地よくて、もうそれ以上聞かなくても満足してしまう。
少し前から
「ただし、イケメンに限る」
なんていう言葉も流行っていたりして、
耳元で囁くのも、
髪をクシャッとするのも、
バックハグ(いわゆる『あすなろ抱き』)するのも、
全てイケメンの特権みたいになっている。
確かに顔は大事だ。
顔は玄関口みたいなものだから、顔がどうしてもだめだったら、それ以上先には進めないと思う。
靴が散乱していて、ファブれどもファブれども消せない足の匂いが充満している玄関に立つと、「生ゴミ捨ててないだろうな」「洗濯物山積みだろうな」「水周り汚いんだろうな」といろんな想像をしてしまい、中へ入りたくなくなるのと同じだと思う。
でも、私は「イケメン」と「顔がいい」ってのは別モノだと思っている。
イケメンは好きだ。
イケメンが微笑むだけで世界が煌めくので、積極的に支援していきたい。
イケメンは赤ちゃんと同じくらい尊い存在だ。
でも、顔には中身が現れると思うのだ。
「キレイな顔しているけど、好きではない」
という人がいたり、「決してイケメンではないけど、好きな顔だ」という人がいるのは、内に秘めたものが現れているからなのではないかと思う。
ココ・シャネルの有名な言葉に、こんなものがある。
20歳の顔は自然から授かったもの。
30歳の顔は自分の生き様。
だけど50歳の顔には、 あなたの価値がにじみ出る。
若さというものはそれだけで輝くので、いただいたものだけでも勝負していくことが可能だ。
それが年を重ねるにつれ、自分の中身で戦っていくしかなくなる。
若い頃より今の方が素敵なおばあちゃんが時々いるけれど、その人は素敵な生き方をしてきたんだろうなと思う。
あと約2ヶ月で私は30歳になるのだけど、その時、自分がどんな顔してるのか怖いようでもあり、楽しみでもある。
結局何が言いたいのかと言うと、
顔って大事だよね。
「面食い」って悪いことじゃないと思うよ。
ということを言いたかったのです。
私は姿勢を正して30歳を迎えたいと思う。