見出し画像

NHK大河ドラマ 2 〜渋沢栄一と徳川慶喜 in 静岡〜

反応が薄かったにも関わらず、またも大河ドラマの話題ですが、今回は大河というより、大河の時代の静岡散策です。

現在やっている大河ドラマは、
「青天を衝け」
渋沢栄一が主人公です。

恥ずかしながら、大河で渋沢栄一をやるとか、渋沢栄一がお札になるなどという話を聞くまでは、私は彼を知らなかった。

すごい人なんだよ、と言われても、ふーんという感じ。
何がどうすごいのか、全くわからない。

ということで、今年の大河は、渋沢栄一とは何者か?お勉強するつもりで見ています。

皆さんはご存知でしょうけれど、渋沢栄一は、明治からの日本の経済の仕組みを作った人ということでした。
日本で初めて銀行や商工会の前身を作った人で、
福祉や教育にも力を注いだ方のようです。

そしてドラマを見ていくと
なんと渋沢栄一は、静岡ともゆかりがある人物だった。

静岡にいた徳川慶喜の元に来た、という事のようなのだ。

昔静岡に来た時に、どこかに、「ここに慶喜がいた」という看板と、その頃の写真が何枚かか飾ってあったのを見たことがある気がするが、なんせ昔のことで、現在それがどこにあったのか、わからない。

先週の日曜日、静岡市に行く機会があったので、ちらりと周辺を散策してみた。

まず行ったのは、徳川慶喜が謹慎させられていた、宝台院。
実はここで、大河ドラマの関連展をしているのを知って、行ってみることにしたのです。

宝台院は、静岡駅北口を出て、目の前の国道1号線沿いに西(左)に歩いて、割とすぐのところ。
入り口は一本北側の細い通りにあります。

どんなお寺かというと…
看板発見!

家康の側室で、二代将軍秀忠の生母であるお愛の方の菩提寺との事。

今は敷地は狭いけれど、昔は大きなお寺だったのだろうなあ。

お愛の方のお墓もあります。

さらに説明石碑

徳川慶喜が、ここに謹慎していたことなどが、書かれています。
現在、慶喜公が使用していたキセルや、火鉢、カミソリ箱、直筆の掛け軸などが残っているとのことです。

入り口に張り出されていた紙には

これがみたかったのよね、と思って入り口に行ったが閉まっている。

下の方をよーく見ると…

土日休みやん!
平日も9時から16時って…
絶対無理なやつじゃん😓

どうやらここは、大河ドラマを利用して、人を呼ぼうとか、宣伝活動に利用しようなどという気は全くなさそうだ。

狭い庭には、キリシタン灯篭

古田織部って、あの古田織部か?
あの、有名な茶人。そして焼き物の織部…

にしても、これがキリシタン灯篭なのか…
掘られているのは、お坊さんではなく、マリア様なのかな?
お寺にキリシタン灯篭って不思議な感じ。

何より不思議なのは、このお寺の構図。
門入って、右を見ると、トップ画の風景。
正面が本堂、左側お愛の方のお墓。

え?

御百度参りの石が、本堂と向き合っている。
そして近っ!
お墓が、そんな入ってすぐに堂々と?

本堂も作り替えられたものだし、敷地も狭いからおそらく場所も配置等も、昔とは全く違った姿になっているのではないかな?

宝台院から北へ2〜300mくらい?
青葉通りの手前には、教覚寺というお寺がありました。

始め気付かずに前を通りすぎて、ふと目についた石碑

この下の説明書きをアップすると

商法会所って、大河に出てたやつじゃん。
渋沢栄一がここにいたって書いてある‼️

そこでお寺に入ってみると、看板

日本最初の株式会社が、ここ静岡にあったなんて…
そして初めは浮月楼の場所にあった?

慶喜公が晩年を過ごした場所として知られるあの場所は、その前は渋沢栄一が作った商法会所があったなんて、静岡県民でも知らない人がほとんどかも…

では、浮月楼に行ってみよう‼︎

その途中

おでん横丁
昼間だから?  誰も人はいない。

小さいお店がいっぱい!
夜は賑やかになるのかしら?
こーいう店、ここ最近は厳しかっただろうなあ…
静岡おでん、食べたいな…

さて、浮月楼は駅前の方に戻ります。

静岡市中心街は、車も人もうじゃうじゃいて、びっくり。
こんなに人多いんだ…(田舎もん丸出し)

浮月楼につきました。

入りたかったけど、入れません。

元々は代官屋敷で、きれいな庭があるようですが、浮月楼やレストランを利用する人しか拝観できないと…。
そんなことってあり?

裏口に回ってみる。

普通に入れそうな雰囲気
少し…ちょっとだけ…入ってみる

慶喜公お手植えの竹がありました。

この奥に庭園があるようです。

ダメですよ!入っちゃ!

てなことで諦めて帰ってきました。

なんの下調べもせずに、散歩がてら来てみた静岡ですが、こんな狭い範囲に、徳川慶喜と渋沢栄一のゆかりの場所があり、びっくり。
当時はどんな街並みだったのだろう…

明治の始めのことですし、写真が趣味だったという慶喜公。
どこかに写真あるのかも知れませんね。

渋沢栄一が静岡にいたのは、ほんの短い時間。
その後、更に活躍していくであろう様子を、残り少ない大河ドラマで、勉強していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?