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福島旅行4 【会津鶴ヶ城】

この日最後の地は、会津鶴ヶ城。

鶴ヶ城といえば、30年以上前仕事で会津に来た時、飯盛山から眺めただけのお城です。

飯盛山といえばご存知の方も多いと思いますが、新政府軍に敗れて、やっとのことで郊外の飯盛山へと落ち延びた白虎隊(会津藩の部隊)が、燃える市中の火をみて、鶴ヶ城が落城したものと勘違いしてその場で自刃したという場所です。
まだ10代前半の若い隊員もいたという、悲しいお話です。

さて、鶴ヶ城は、新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、その後降伏しその姿を残して開城となった。
残念ながら、明治7年までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊され、今ある天守閣は、昭和40年に再建されたものです。

お城の横の道を進むと、お堀の向こうに綺麗な紅葉が見られました。

もう会津は紅葉が終わっているかと思っていたので、嬉しかった。

駐車場に停めて、案内板を見ながら、天守閣方面に向かいます。

天守閣は壊されたけれど、石垣やその建物の跡は、在りし日のまま残っている。
この石垣は、鶴ヶ城のいろんな歴史を、そこにいてみてきたんだなあ…と思い、感慨深かった。

でもなんだか、私が知ってる鶴ヶ城と違う…

以前見た時、白い壁に黒い瓦が印象的でしたが、雰囲気が違うと思ったら、赤瓦になっていました。
実は幕末当時は赤瓦だったそうで、平成23年に屋根瓦を幕末当時の赤瓦にふき替えたのだそうです。

赤瓦というと、私は島根県の津和野あたりの赤瓦を思い出しますが、そちらほど鮮やかな赤ではなく、渋い赤でした。

会津は豪雪地域なので、瓦が凍み割れてしまうため、瓦に水分が染み込まないよう鉄分入りの釉薬を施釉しました。そのため、焼き上がりが赤くなったようです。

島根県も、同じ理由で赤瓦なんですかね…

これが本当の在りし日の相なのね…

戊辰戦争の戦火の中で、相次いで時守か放火を浴びて亡くなっても、開城の間際まで正確に時を告げる鐘を鳴らし続けたという…

城内の紅葉は美しかったけれど、お城の受付時間が迫っていたので、慌てて天守閣に入った

紅葉と天守閣
石垣と紅葉
慌てて撮っているので構図がイマイチ
イチョウも綺麗な黄色です

鶴ヶ城の中は五層になっていて、一層(1階)から順に歴史を辿っていく感じだ。

鶴ヶ城は、幕末の戊辰戦争野イメージがあるけれど、室町時代から続くお城だ。
安土桃山時代には、蒲生氏郷が会津領主となり、今より高い7層の天守をつくり、この時に鶴ヶ城と命名したそうです。

1643年(嘉永20年)、徳川第三代将軍家光の弟、保科正之が入城する。
これ以降、徳川家のお城として幕末まで続きます。

結構じっくり見てしまって、五層(最上階)についた時には、すっかり暗くなり、展望どころかすっかり夜景。
しかもかなり雨が降っていて寒い。

ちょっと、がっくりきたけど、娘の新しいiPhoneで撮った写真で、肉眼ではよく見えない、綺麗な風景を見ることができました。

ミュージアムショップで、赤べこを買おうかどうしようか迷ったけど、それなりの値段だし、家にあったのでは?とも思い、買わなかった。

鶴ヶ城の御城印をいただいたのですが、

この御朱印と一緒に、赤べこの説明の紙が入っていた。

やっぱり赤べこ(本物)買ってくればよかった…
ちょっと後悔しました。

まあ、お土産予備(半分以上自分のものにする予定)で、これ買っちゃったんですけどね。

さて、すっかり暗くなってしまいましたが、そのおかげで、ライトアップされた鶴ヶ城もみることができました。

照らすライトの色や角度で、微妙に違って見えるけど、どれも美しくて、全部載せてしまいました。
みなさんは、どの色の鶴ヶ城が好きですか?

こうして会津を後にし、郡山に戻り、その日は郡山に宿泊しました。

福島県内の観光はここまで。
翌日は、さらに東に向かいました。

この続きは…
ちょっと先になるかもしれません。


さて、帰宅したら…

うちの冷蔵庫に赤べこマグネットがくっついていました。
4〜5年前息子が会津に行った時のお土産だったのかな?
ここにもいたのね‼️
なんだか嬉しかった。

いつか、また会津に行くことがあったら、その時は張子の赤べこを買おう!
と思います。

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