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読書遍歴

東北の雪深い山間部に住んでいます。
雪で外出がままならないことも多いため、こっちに移住してから読書量が少し増えました。
だいたい月5冊くらいのペースです。
それで何となく、このnoteアカウントでは、特に印象深かった本を紹介していきたいと思っています(もしかしたら途中でコンセプトが変わるかもしれませんが)。

とはいえまずは、私がこれまでどんなジャンルを読んできた人間なのか明らかにしておくためにも、自分自身の情報整理のためにも、私の読書遍歴を語っていきたいと思います。
自宅の本棚の写真を参考に、幾つかのフェーズに分けて、ゆるくお話してみます。

1.政治思想・哲学(学部生時代)

一部を除いて学部生時代に買った文庫本たち

学生時代は政治学を専攻していて、専門が文献研究の分野に近かったため、何かに追われるように専門書ばかり読んでいて、フィクションを読んでいる暇がなかった。
フィクションなんてほとんど摂取する価値がないと思っていて、小説読むくらいなら哲学本を読むべきだと思っていた。
この時代、学生運動にも少しだけ足を突っ込んでいたので、コミュニストの本も読んでいた。
でも、なんだか今から思い返すと、本当に好きで読書していたわけではなく、むしろ読書を憎んでいたように思う。


2.社会学(院生時代)

社会学研究科に入ってから買った本たち

大学院は転部して社会学研究科に入った。そこではシカゴ学派社会学を教えてくれる先生が2人ほどいて、あまりに面白くてガッツリのめり込んだ。修士論文は環境社会学の領域で書き上げたが、シカゴ学派の視点は今の私のモノの考え方の原点になっているような気がしている。


3.山岳小説(新社会人)

何故か突然山岳小説にハマる

多分、映画『エベレスト3D』を見たのがきっかけだったと思う。
何故か山岳小説にどハマりした。
新社会人として生活が激変した上、身寄りのない東北に移住したこともあって、ストレスフルな現実から逃避しようとしていたのかもしれない。
会社で感じるモヤモヤや悩みが、ヒマラヤの過酷な環境下を想うと、いかに些細なことであるか、ということを感じたかったのか。
あるいは、簡単に人が滑落したり凍死する環境を、安全な場所から眺める愉悦に浸りたかったのか。
最近ようやく熱が冷めてきたが、今でもたまに手に取ったりする。


4.中国SF→海外SF(社会人)

『三体』で中国SFにどハマりする

元々中国を旅行したり中国の少数民族のノンフィクションやドキュメンタリーが好きだった。
ある日、何かのネット記事で、中国文壇に異変が起きている、あるバラエティ番組で観客が突然見知らぬスローガンを叫び出し、それが『三体』というSF小説に出てくるものだったーーといった文章を見つけて、その日のうちに1巻を買いに行った。
『三体』が入口になって中国SFが好きになり、派生して海外SFの虜となってしまった。
今は「SF好きなら読んでるべき古典」を虱潰しに読むのと並行して、ロシア・東欧のSFも読んだりしている。
でもやっぱりSFはアジア系が一番面白い。


5.文化人類学(社会人)

右の方にアナキズム本が固まってるが、実は私はアナキストでもあります


何となく手に取った『レヴィ・ストロース入門』で突然、開眼した。元々梅棹忠夫などの探検小説や本多勝一の「極限の民族シリーズ」が大好きだったこともあり、文化人類学にどハマり。
とは言っても一つの学問領域を形成するくらい知的遺産は膨大で、専門教育も受けていない身で到底詳しくなれるはずもなく、今はふんわりゆるゆる知的好奇心に導かれるままに読んでいる。
ちなみにデヴィッド・グレーバーのおかけでアナキズムにも関心が生まれ、今の私の思想的立ち位置はアナルコ・コミュニストに近いと思っている。


6.海外文学(社会人)

最終的に、無価値だと思い込んでいたフィクションに救いを見出した


奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』と出会い、啓示を受けたようにロシア文学にハマった。元々大学の第二外国語がロシア語だったのもあって、ほんの少しだけロシアに親近感を持っていたのかもしれない。
そこから東欧文学、ラテン文学と食指が広がり、今では海外文学系のポッドキャスト番組2本を聴きながら、最も精力的に読んでいる。
なにか、喉の渇きを潤すみたいに無性に読みたくなる。
それは多分、これまでの人生で「時間の無駄」と思い込んで敬遠してきたからだと思う。
渇きが潤されていくように、読後はすごく清々しい気持ちになる。


以上が私の読書遍歴でしたが、ここに書ききれないけど語りたかったものもたくさんあります(カズオ・イシグロのこととか)。
あと(学部生時代)とか(社会人)とか書きましたが、これはその時にしか読んでいないということではなくて、今でも普通に買ったり読んだりしています。
なので今後紹介していこうと思う本は、以上の6つのジャンルのどれかになることが多いと思います。
つまり非常に偏った趣向のnoteになることは間違いないのですが、それもまあ、多くの人に読んでもらいたいというよりは、まずは自分のために書くのだということで。

それではチママンダ・ンゴズィ・アディーチェに戻ります。



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