医療の嫌いな医学生!? その4

皆さん、こんばんは。
明日からまた週末に入りますが、いかがお過ごしでしょうか?

私は今日1日有給を頂き、掃除や買い物、読書などをして優雅に過ごしました。

さて、本日は長らくサボっていた、自叙伝の続きをお伝えしたいと思います。

辛く苦しい実習を何とか終えて迎えた春休みには、私にとってその後の人生を左右しうる出来事が2つありました。

まず、1つ目とは…
エネルギー治療との出会い
になります。

対症療法に頼らず、何としてでもアトピーを完治させたいと考えていた私は、色々と調べていくうちに、福岡県でクリニックを営む某先生のブログに辿り着きました。

当時、その先生は日頃から自身のクリニックでエネルギー治療を実践し、患者さん達が改善していく様子をブログ(アメブロ)を通じて発信されていたのです。
その中には、現代医療では治癒が困難とされる疾患の方々も含まれていました。

更に、メッセージ機能を介してその先生とコンタクトを取ったところ…

何と、同様の治療が私の地元でも受けられることが判明したのです。

ただ、この時点ではまだ本格的な治療開始には至らず、これが今後の奇跡への伏線へとなっていくとは、私はまだ知る由もありませんでした。

そしてもう1つ、明るい話題を伴う出来事とは…
バイト先で知り合った女性との交際開始
になります。

私とその女性とは、元々講師と生徒という関係でした。
彼女は、質問に対して私が答える度に、いつも「先生、ありがとうございます」と屈託の無い笑みを浮かべ、喜んでくれました。

(医学部ではクズな自分でも、こんなに贔屓にしてもらえるなんて…)
私にとっては、彼女の存在が心の拠り所となっていたのでした。

また、彼女は帰りの電車でも何度か私と乗り合わせて会話を交わしており、お互い親近感を覚えていました。

卒業試験や国家試験の勉強に専念すべく、私は大学5年次を最後にそのバイト先を辞めたのですが…

何と、彼女もほぼ同時期にその塾を退会したのです。

こうして、講師と生徒という制約が無くなったため、晴れて交際をスタートする形となったのでした。

この春休みは、当時の私にとって分岐点となるような出来事が目白押しでした。

その勢いで実習に臨みたいところでしたが…
生憎、そうは問屋が卸さないのがこの世の常なのですね。

4月、新たな臨床実習『ポリクリ2 』がスタートしました。

この実習は4月から7月まで続き、大学病院にある2つの科でそれぞれ1ヶ月半ほど、その科の一員として実習に当たることが求められました。

具体的には、その科の医師となったつもりで2-3名の患者を担当し、その治療方針について朝のカンファレンスで発表したり、処置や手術の場の見学、時には助手役を務めたりするなどの内容が含まれました。

私の場合、1つ目の科は泌尿器科、2つ目の科は耳鼻咽喉科と決まったのですが…

特に何がやりたい訳でもなく、医療に関する知識欲にも乏しかった私には、それこそ「猫に小判」状態でした。
専門用語がまるで理解出来なかった私には、朝のカンファレンスの内容も、手術で何が行われているかも頭に入らず、日々右往左往している状態でした。

実習には行っていたものの、昨年と引き続き「単位を取ること」だけが目的化してしまい、そこから踏み込んだ内容については学べなかったのです。

それと並行して、卒業試験も始まりました。
幸い、最初の頃は易し目なマイナー科(内科・外科以外の科)の試験が多く、通過出来ていたものの…

私にはまだ1つ、それらに専念する上での大きな足枷が残っていました。それは…
公衆衛生学の試験
になります。

本来であれば4年次で通過しておくべきだったのですが、私はこの試験のみどうやっても通らず、6年次までキャリーオーバーしてしまったのでした。

ゴールデンウィーク前後頃、リベンジを懸けてその本試験に臨んだものの…
私は何と、この試験をまたしても落としてしまったのです。

「これで6月の再試を落とせば、留年が確定…」
といった、後が無い状況となってしまうのでした。

さて、その苦境をどう乗り越えていくのか…?

長くなってきたので、本日はここまでにしたいと思います。
ではまた次回、お会いしましょう!

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