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サブカル大蔵経136瓜生崇『さよなら親鸞会』(サンガ伝道叢書)

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「自分が正しい」と思っている僧侶のみならず全ての人に向けられた本。自分だけは誤っていないという立ち位置が相対化される。具体的かつ本質的なQ&Aも貴重。宗教とは?

親鸞聖人のお話を正しく私に伝えてくださる先生は世界に一人しかいないp.18

 <私だけ>は、カルトに限らず、身の回りのリアルやネットで溢れていないか?

お布施をたくさん出した順に前から座るんですよ。p.27

 ノルマ達成グラフか。社会の縮図。

今までの自分は親鸞会を否定したくなかった。親鸞会を否定する事は自分の人生を否定することと同じだからです。p.33

 新しいスタートに立つことことがどれだけ勇気がいるか。

親鸞会をカルトと明言するのはやめた方が良いと思います。これは親鸞会がカルトではないと言っているのではありません。カルトかどうかを判断する明確で統一された基準がない上に親鸞会は自分たちを批判する人に対して法的圧力をかけてくるからです。p.63

 既存の仏教が正しいのが常識で、怪しい宗教だから間違っている、という言葉は説得力がない。同じことをしてないか?

Q.カルトに入るとどのような心境になりますか?A.一般的な傾向として、自分は「真実」を知ったという高揚感と、選ばれし者という優越感、そしてその真実に向かって歩む充実感に包まれるとは言えると思います。だからカルトに入ると活き活きとする人が多いのです。p.67

 居場所の安心感という原理。

親鸞会をやめて、あらためて浄土真宗を学んで、それでもう人を迷わせないようになったのかと言われたら、そうではないと思います。迷わせていると言う事実は1つも変わらないと思います。ただ一つだけ変化したのは、親鸞会にいて『正しい教えを聴いて正しい教えを布教している』つもりだった私が、どうやっても自分も迷い、人をも迷わす存在でしかなかったと気づいたことです。自分にとっては、迷いの中に帰ることがお念仏に出遇うことだったのです。p.69

 迷いの中に還る

Q.家族が親鸞会に入ったらどうしたらいいでしょうか。脱会させるべきですか。A.まず、相手の信仰を否定しないでください。信仰を否定するというのは、その人の人格を否定するということです。(中略)ただ騙されたのだとかマインド・コントロールだとか決めつけないでください。どうして親鸞会を必要としたのかを考えてください。そしてその事実に向き合ってください。p.72

 詐欺も迷信も心の病も、まず相手の状況に耳を傾け、原因と向き合わせる。それしかない。カルトに出会ってしまった人たちへの優しい視点がありがたい。




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