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サブカル大蔵経363 高橋一也『古来種野菜を食べてください』(晶文社)

 私はいつも農家の檀家さんから野菜をいただく生活を送っています。これ以上ない新鮮な野菜を美味しくたべています。こんなありがたいことはありません。

 しかし思えば、昔イタリアに行った時食べたサラダの野菜の美味しさは衝撃的でした。日本でも食べることのできる日常の野菜の味が濃かったように思えたのです。

 野菜とは何か。種という一粒からその旅は始まります。〈種〉という言葉を通して人と野菜が一体になる。農家の苦労と息吹を伝える現場感あふれる本でしたし、檀家さんのご苦労をあらためて想うきっかけになった本でした。

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東電担当者「たかが種でしょう」p.36

 原発事故での被害に、種があった。

自分を作ってくれている野菜への祈りがないこと。p.76

 当たり前に並ぶ野菜。

昭和三〇年代頃まで、ほとんどの野菜は、この固定種・在来種だった。p.84

 昭和30年。ここが分岐点でしょうか。

大根だけで110種類もある多様性p.84

 え…、練馬とか京野菜とかだけではありませんでした。写真も美しい。今まで大根を大根としか見ていませんでした。みんな名前があるんだ。

僕は野菜と同じ、そのループの中にいる。p.168

 種と土と農家をつなぐ実業。

日本原産の野菜はとても少ない。ウド、おかひじき、山椒、自然薯、セリ、フキ、三つ葉、みょうが、わさび。p.170

 見事に地味な顔ぶれですが、何か愛おしい食材に思えてきました。

大根、かぶ、ウリ、油菜、なす、ごぼう、ねぎは戦国時代に中国・朝鮮から。
明治に、白菜、玉ねぎ、じゃがいも、トマト、かぼちゃ、にんじん、ほうれん草、コーン、ピーマン、アスパラ、などが入ってきた。p.170

 昨日の晩ご飯はモツ鍋でした。野菜材料は、ニラ、キャベツ、もやし、ネギ、ニンニク。朝ごはんのおかずはナス味噌とかぼちゃ煮と大根の漬け物でした。全て日本風と思っていましたが。

僕たちはいずれ祖先になる。未来の子孫へ何を残してあげられるのか。p.182

 祖先かぁ…。ならば、やらねば。

僕ら八百屋という仕事はなくなるのが理想です。p.193

 生産者と消費者が繋がることを理想に。

科学と自然、この二つが良い関係であってもらいたい。p.210

 品種改良も全てを悪と捉えない姿勢。その時の政府の方針や外交に振り回される農家の苦労、現場の知恵。

甘く美味しく改良される果物とは違い、野菜の場合は、そのほとんどが「機能」を求められている。美味しさや栄養価は二の次だから、今の野菜はスライスにすると味がほとんどわからない。p.268

 肉や魚や果物ではない野菜という存在。たしかに…。味わおう。

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