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サブカル大蔵経879谷口榮『千ベロの聖地「立石」物語』(新泉社)

立石愛溢れる考古学者の変態本に乾杯。

ふるさとの街の文化〈もつ焼屋〉を味わう中で広がる考古学的妄想がたまらない。

同時に隅田川東側原理主義の最右翼的発言に東京の多層化をあらためて感じました。

その立石も再開発が決まり、着工が始まったことをターザン山本さんのブログなどで知る今日この頃。

「あと2年すると立石の街は消滅する。さらば立石物語はもうカウントダウンが始まっているのだ。」(ターザン山本さんのFB)

ターザンさんは、幾度となく深夜の立石駅のホームの写真をアップして、世界遺産に登録して欲しいと書いています。

まさに今、立石が今考古学的な街になろうとしています。

以前から立石在住の元週刊プロレス編集長のターザン山本さんの著作に刺激されて、私も2019年に巡礼してきました。↓

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行列に並び、宇ち多"に入るまで緊張しましたが、すべてが美味しく、お店の方々の所作も美しく、さらに嘘みたいな良心的な価格で、あっと言う間に居心地は夢見心地になり、私にとってのディズニーランドだったのかもしれません。あの衝撃が忘れられず、梅割りエキスもグラスも取り寄せ、自分でモツ煮を作ってみたりしてます。

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↑飲みすぎてしまい、今は封印してます。

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高校を卒業するまでの動物性タンパク質の多くは、もつ焼きに依存していたといっても過言ではない。p.14

日本全国のホルモン・もつ文化を知りたいです。北海道だけでも、美唄焼鳥、芦別ガタタン、歌志内ナンコ。炭鉱地域とモツ。

堀削工事に従事した朝鮮半島の人々は、工事終了後も荒川放水路の沿岸地域に居を構え、生活の場とした。その人々が「豚もつ料理」を食する食文化をもっていたので、需要に応えるため肉屋さんでも豚もつを扱うようになり、この地域に「豚もつ」の食文化が定着する下地ができたp.44

 在日朝鮮人の方々の食文化の底力。ギョーザも中国からの引き揚げ者の伝えた料理ならば、モツとギョーザはアジアの結晶か忘れ形見でしょうか。

今日の葛飾のもつ焼き屋さんや飲み屋で提供されるもつ料理や相方のボールの誕生の背景に、荒川放水路の開削がかかわっていたことを知っておいてほしい。p.46

 地域の料理は、その地域の歴史への扉。

隅田川以西の東京下町でも酎ハイ焼酎ハイボールといった焼酎ベースの炭酸割りはあるが、それは亜流と見るべきであろう。p.36

〈隅田川のこちら側〉のプライドを本書で初めて知りました。京成文化圏?

そもそも「山利喜」さんの煮込みは、牛のもつ(シロとギアラ)である点にご注意いただきたい。この人は、豚と牛のもつのちがいもわからず(気にせず)のたまわっているのだなと思いながら、深い話にならないようにかわした。p.55

 この作者、とにかく厳しい。でも、私が他の地域で旭川ラーメンの話されたら、ピクッとなると思いますので、同じかも。

もし、この店が地中に埋没したら、木質や皮革製品などの有機質のモノは、長い年月のうちで朽ち果ててしまう。/店で出される飲み物のグラスと料理を提供する器に注目することにした。p.69

 立石がポンペイになる。宇ち多"のグラスとお皿が遺跡となる!たしかに、実際の料理は後世保存できないというか、わからなくなってしまうんですね。

ここ二十年ほどの間に、立石のもつ焼き屋さんでも、「ボール」と注文して、「酎ハイですか」と聞き直されるようになった。立石に店を構えているというプライドがない店か、店主の従業員への教育がなってないのであろう。p.123

旭川の老舗ラーメン店「蜂屋」(五条店)も同じで、この40年間、小学生の頃から「麵硬め脂濃く」と注文してきたのですが、数年前、若い店員に「…で、何ラーメンですか?」と聞き返された。正油にきまってるだろう。と思いメニューを見ると、塩や味噌が増えていた。ちなみに旭川のラーメン文化も豚肉と関わっています。地元の食文化は当たり前すぎて省みないけど、そろそろ考えてみてもいいのかも。






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