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サブカル大蔵経792諏訪哲史『アサッテの人』(講談社文庫)

なんとなく本書を読んでコサキンを思い出しました。

本書が種村季弘さんに捧げられた作品というのもすごく嬉しいですが、著者がコサキンリスナーだともっと嬉しいなあ。

あの頃の関根勤は、毎週水曜日深夜、無意味、無価値、無判断を全開にしていました。意味ねー、くだらねー、わけわかんねー。それは最大の褒め言葉でした。

小説っていろんな形があっていいんだ。と久々、小説の可能性を再認識しました。

この小説はただ、僕の大学の恩師であった独文学者、種村季弘を振り向かせるためにのみ、その一心によって書かれた。/僕はこの作品に、自分の生のすべて、その実存、懐疑、絶望、精神的・言語的病のすべてを刻印したいと強く祈った。完成し、送った稿を読み、恩師は手紙で、初めて褒めてくれた。こうして僕は、いつでも死ねる身になった。(文庫版あとがき)p.183

澁澤チルドレン、フォロワーは多くても、種村季弘の後継者はあまり聞かず、寂しかったのですが、奇書・偽書・稀覯本から可能性が広がる闇と光がここに現れました。

考えたら、ある面では、温泉や街歩きが全盛の今、日本は種村季弘化したのかも。

もっと日本をラビリントスに!

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この世には未だ耳にしたことがない言葉がこんなにもあるのかと、まずは閲覧し、感心し、そこから特に気に入った言葉を選び出し、解体して、その抜け殻たちを収集するために読んでいるのだ。p.58

 この登場人物のように、私も各国の辞書を一時期集めていました。言葉と意味が、接続したり、溶解したり。それを楽しめるアクセスが各国の辞書だったと思います。

 そして、それが最も如実だったのは万葉集と古語辞典でした。ひらがなができる前に日本語の音を漢字で表現するということが面白く、日本語の奥底に、日本語を揺るがす力が潜んでいるのではと思いました。

いや、もっと正確にいえば、そのとき僕は「その郵便ポストが赤い」ということに、劇しく仰天させられたのだ。p.101

 記号と存在の乖離。日常ふと訪れます。

自分の行動から意味を剥奪すること。通念から身を翻すこと。世を統べる法に対して圧倒的に無関係な位置に至ること…p.137

 まさにコサキンだ。圧倒的無関係…。

律のないところでいくら逸脱しても、それは逸脱ではない。p.138

 ナイツ塙が水道橋博士のYouTubeで語っていました。若手で漫才の内容がシュールでしょ?と出されても、見たくない。基本があって、その上で、その〈さばき〉をシュールにするところを私は見たいと。

とっさにユジノサハリンスクと思ってみる。その場で強く強くユジノサハリンスクと思う。p.158

 地名の可能性。外国の都市名、私も大好きです。こないだ読んだ「地球の歩き方」の事典、良かったです。


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