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サブカル大蔵経916原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社学術文庫)

ロッテ&鉄道ファンの私にとって、なかなか乗る機会のなかった関西の私鉄たちは、〈まだ見ぬ強豪〉でした。

初めて京都から大阪に阪急で行った時、梅田とJRの大阪駅が別々に併存している意味がよくわかりませんでした。

そして何よりも、JR大阪駅と阪急大阪梅田駅の間にかかる屋根のない歩道橋が変わっていない。p.282

文庫版あとがきで描かれるのその両駅を結ぶ歩道橋は本書の〈遺跡〉であります。

ヘッダーの地図は、当時の大阪駅・梅田駅の国鉄と阪急の線路の交差した部分の地図で、本書の最も象徴的な図でもあります。

その光景は、東京を中心とする「帝国」の秩序よりも優位に立つ「私鉄王国」大阪の姿を象徴するものであった。阪急にとって、国鉄の上を通すための高架線の建設は、単なる工事技術や建設費の問題ではなく、やはり一つの思想的表現としてあったと見るべきであろう。p.190

これこそが、〈都市の思想〉だと、本書で開陳されていきます。

解説の鹿島さん、原さんを「オタク」呼ばわり連発。強引なところがあるかもしれませんが、真骨頂だと思う。

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昭和大礼ほど、国民の共時的体験を演出する上で、鉄道が大きな役割を果たしていることをまざまざと示した「事件」も、かつてなかった。p.18

 大日本帝国の装置としての天皇と鉄道。そして、「遅刻」の誕生。ここから日本的時間地獄社会が始まった。対して鉄道のない沖縄や離島は島時間なのかなと。

確かにその路線延長は、開業当初でせいぜい数十キロと短く、全国に広がる国鉄に比べれば、無視しても構わないほどの規模と言えた。p.34

 国鉄に吸収する価値すらないような短い「軌道」たちは、その後、阪急、京阪、阪堺、京王、近鉄になる。旭川にも電気軌道という軌道がありました。今残していたら旭川と旭山動物園を結ぶ一大観光ツールとなっていたと思われます。

旧淀川以北が「歴史上の空白地帯」で、土地の神々や地霊に比較的無縁の風土をもっていたとすれば、旧淀川以南は古代以来の王権を中心とする歴史に彩られ、さまざまな土着的な宗教を目指してきた地帯であったのである。p.88

 キタ(阪急)のハイソ性。ミナミ(南海&近鉄)の土着性。球団もその印象。ダンディー阪急。野武士近鉄、あぶさん南海。

「政治家の機関」として新聞が生まれた東京に対して、『大阪朝日』と『大阪毎日』の二大新聞を中心に「その基礎が民衆の上に置かれた発達して来た」大阪の歴史p.117

 新聞の本流は関西だった。黒田清、いしいひさいち的なものか。そんな中、大坂読売が大阪府と提携した報道がありました。

折からの国策に沿う形で、1930年代の私鉄王国をリードしてゆくのは、阪急ではなく、この大軌及びその傘下の私鉄であった。p.233

 国と対峙した阪急の時代から国に従った近鉄の時代へ。近ツーが旭川にまでも支店があるのもこの流れからか。

皇室に関係の深い三つの神宮を結び、鉄道による新しい「聖地巡拝ルート」を開拓することこそ、その最大の目的であったのである。p.239

 近鉄名古屋進出の背景!「精神報国」に基づいた橿原神宮、伊勢神宮、熱田神宮。

誤解を恐れずにそれを一言で言えば、きわめて不十分ながらも、近代日本の思想史を「外部」や「異端」もしくは「周縁」の視点から逆照射しようと試みたことである。p.278

 あとがき。〈サブの視点〉

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