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喜びを分かち合うことと自己顕示欲 Compartir la alegría y desejo de revelar

 年末年始をネット漬けで過ごしたかいもあって、思わぬところから三ヶ日明けに出会いをつかんだつもりだった……。
 ところが、残念ながら前日深夜のメッセージでキャンセル。
 まぁ、出会いと言っても相手は人妻だし、家の事情だからどうしようもないし、キャンセルでもメッセが来るだけましだし、他に予定もなかったからダメージないし、などなど強がりをならべたところで虚しさが募るばかり。ただ、これっきりということではなく、次の機会がありそうな予感ははっきりとあって、それも強がりや負け惜しみではない、経験に基づいた感覚だった。
 そんなもやもやを抱えたまま、他にやることもなくなったので床に入る。そして、浅い眠りから覚めたとき、冬の陽はまだ昇っていなかった。淡い期待を込めてスマホをにぎり、ソーシャルネットの画面を開く。もちろんメッセージは届いてないし、タイムラインにも目新しいことはなにもない。それどころか、余計ななにかを触ったらしく、いかにも意識だけは高そうな中年男性の声が流れ出す。

 ソーシャルネットが浸透したおかげでいろんなことが変わってしまいました。それも、たぶん不可逆的にです……。
 最も顕著な変化のひとつは見ず知らずの、それも時として言葉すら通じない他人の生活を知るようになったことでしょう。

 あわてて動画を消そうとしたが、サムネイル表示になっても音声は止まらない。おかげで、すっかり目が覚めてしまう。

 ソーシャルネットが登場する以前から、さまざまなメディアが人々の暮らしを垣間見せていましたし、皆さんもそういった情報に触れて成長してきたはずです。ただ、ソーシャルネットが伝える人々の暮らしはそれらの情報よりもはるかに生っぽくて近くて、強いのですね。
 それこそ、ソーシャルネットも含めたありとあらゆるメディアが、その特徴を取り上げ、伝えているようにです……。

 うるせぇ、こっちはソーシャルネットの生っぽくて近くて、強い情報とやらで、夜明け前から大騒ぎじゃないか。
 こんなに刺激的で、殺意をかきたてられる動画は初めてかってくらい。
 しかたない、腹をくくって起き上がり、画面をしっかり確かめながら隅っこの停止ボタンをクリック、タイムラインの動画ウインドを慎重に閉じた。あまりに腹が立ったので、動画を上げていた社会人向けメディア講座をフォローから外そうかとさえ思ったが、八つ当たりにもほどがあるのでやめた。

 まぁいいや、毒皿じゃないけどタイムラインもチェックしよう。欧州は宴もたけなわの頃合いらしく、ロシアやウクライナ、ドイツ、グルジア、スペインのアカウントが、楽しげな動画だの料理写真だのを流しつつ、はしゃいだコメントのやり取りをしていた。そこに、お昼過ぎのラテンアメリカからティータイムポストが交じる。
 なかにはプールサイドでアイスドリンクやフルーツを楽しんでいる画像もあり、そういえばあっちは夏だったっけなと、妙な感慨にふけってしまう。観ているばかりだとつまらないので、部屋の暖房を入れつつパソコンを起動し、よせばいいのに保存していた寿司画像を投稿してみる。

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 表示された瞬間、我ながらツマラン画像を上げたもんだなと、自己顕示欲もほどほどにしろよと、自嘲気味にツッコミを入れつつ削除ボタンへカーソルを合わせたところで、リプライ通知を受信する。

🙂おすしだいすき!😋🍣

 モルドバのおばぁちゃんが投げたスマイリーフェイスや絵文字付きのリプを確認した瞬間、こみ上げる後悔の念をはっきりと意識した。これこそ、ソーシャルネットの生っぽくて近くて、強い情報だわな。いつもいつも、なにか投稿するたびイイねくれる人で、画像だといまのように日本語でコメントもしてくれるのだが、即レスは初めてだった。とはいえ、時間帯から考えれば当たり前か。
 実を言うと、つながったきっかけは彼女の娘さんだ。なにせ、娘さんはびっくりするほどの美女、それこそスパムを疑いたくなるような美人さんで、もちろんリクエストをいただいたときは思いっきり警戒した。けど、出身校も勤務先も実在してて、家族アカウント同士のつながりがあったので、こんなに作り込んでるなら業者でもいいやって思いながら許可したわけ。そしたら母親のアカウント(つまり、いまリプライしたおばぁちゃん)からもリクエストが届き、そして娘さんとはダイレクトにメッセージもやり取りしはじめた。
 やがて、母親のアカウントから「娘のアカウントは私もみてて、あなたのメッセージも読んでます。いつもありがとう」なんてメッセージが飛んできて大パニックだったり、その娘がこれまた驚くほどのイケメンと結婚して子供も生まれたりと言った経緯のはてに、いまのような関係ができていったのだ。
 ソーシャルネットの世界は、こうやってフォローチェーンをつなげたり、反対にミュート、ブロックする、されるといった接続と遮断を重ねつつ、それにともなう運営者のおすすめなども含めて、直接、あるいは間接的に自分自身で選び、作り上げられている。流石に、これほど縁もゆかりもない人々と、ただ彼らが日本あるいは日本人へ興味を持ったというだけのきっかけで、結婚式から初孫の誕生といった、まさしく生っぽくて近くて、強い情報を共有するのは例外的だろうが、それはさておきおばぁちゃんのリプに反応するかどうかだよな。
 とりあえずリプにイイねをつけ、ついでに「ありがとうございます。あけましておめでとうございます」と日本語でレスを書き込む。むこうが日本語だから、こっちはルーマニア語で返すのが筋というか、気が効いているようにも思うが、いまは煮え切らない挨拶を送るのがせいいっぱい。いちおう、あの家族はイタリア語やフランス語でもポストしていたが、そのいずれも俺にはさっぱりわからなかった。

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 やれやれ、これで一段落とマウスから手を離したかどうかのタイミングで、またしても通知が表示される。こんどはなにかとみてみたら、可愛らしいサンタさんやツリーの画像にMoș Gerilăと重ね書きされていた。モルドバはこの時期がクリスマスなのかなと、文字をひろいつつ検索し始めたところへまたリプライ……。

しんねん さむさ ろうじん🎅🏼❄️⛄️

 あぁ寒波爺か、モルドバはサンタじゃなくて、ジェド・マロースなんだな。表示された検索結果もそれっぽい内容で、おそらく画像はおばぁちゃんが飾ったツリーなのだろう。さて、リプライしたものかどうか。
 もし、このままチャット状態の即リプがきたら、正直なところしんどいのだが、それでも機械翻訳で「Mersi! Un An Nou fericit!」と返して様子を見る。やがて、お菓子やキャンドルの前でシャンパンを満たしたグラスを掲げるおばぁちゃんの自撮りが表示され、俺がイイねをつけたところでやり取りは終わった。

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 シャンパンか……。

 なにか妙にうらやましく、自分もちょいとひっかけたくなる。
 日頃なら、ソーシャルネットにカニだの唐揚げだのパーティ画像を上げるアカウントから自己顕示欲のいやらしさを嗅ぎ取ってしまうばかりで、苦々しく思っているのに、いまはなぜか素直に画面越しの華やかさや楽しさを感じた。関係性の違いや異国趣味がそう思わせてるだけと言ってしまえば身も蓋もないが、それでもおばぁちゃんとアルコールの酔を共有したくなった、そんな気持ちはぞんざいに扱いたくない。

 残り物の無塩せきソーセージを炒め、冷凍フライドポテトをレンジでチン、それに好奇心に任せて買ったのはいいけど持て余していた缶チューハイで朝酒と洒落込もう。
 やたら甘ったるく人工的だけど、飲みやすい液体を胃袋へ流し込みながら、きょうはなにもせずに寝て過ごすのだろうなと、そんな事を考え始めていた。

 了

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