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個撮百景 Portfolio of a Dirty Old Man 第2話:アティテュードとアピアランスのあいだに

第2話:アティテュードとアピアランスのあいだに

■個撮

 個人撮影の略。撮影者とモデルあるいは被写体が、それぞれ個人と個人で行う撮影。
 個人撮影には、撮影会において時間を区切り、複数の撮影者が順番に行うものと、撮影者がモデルあるいは被写体と交渉し、個別に日程を調整して行うものがある。

(亀子写写丸 フォトグラファーの口説きテク最新101 民明書房 平成31年)

 にわかに暑くなった初夏の夕暮れ、ガラスのお城めいたビルの照り返しに目を細めながら、気がつくと懐かしいメロディが耳をくすぐっていた。

 遠き山に日は落ちて♪

 まさに家路だと独りつぶやき、もどかしげに足を早める。
 昼休みの終わりかけ、単なる習慣でチェックしたソーシャルメディアに、撮影モデルの応募のようなメッセージがとどいていた。まぁ、そういう通知を無邪気に喜べてた世界はとっくに終わってて、いろいろな可能性を考慮しなければならないから、スマホではとりあえずプレビュー確認だけ。
 もちろん、本文はみていなかった。
 コンビニの角を曲がって再開発地区へ入ると、急に空が広くなって視界いっぱいの見事な夕焼けがサングラスに反射する。立ち止まり、いつも持ち歩いてるミラーレスカメラの電源を入れても、ファインダの光景がどうも安い情感にあふれすぎてるようで、シャッタに指すらかけずしまい込む。でもいつか、こんな夕暮れ時にセンチメンタルなポートレートを撮るのは、そんなに悪い考えじゃないような、とりとめのない考えをもてあそびながら、俺はまた歩き始める。

 帰宅して、パソコンを立ち上げたのは、夕食をすませたあとだ。気持ちは靴も脱がずにメッセージを確認したいほどだったが、読んだら最後、アカウントの確認だのメッセージの作成だのといった、時間かかる作業に手を付けたくなるのがわかり切っていたので我慢していた。むしろ明日の仕事に差し障りがないよう、睡眠時間の確保が心配なくらいだった。
 作業時間を見積もり、タイムリミットを告げるタイマーをセットし、飲み物と音楽も用意する。
 集中力を高めつつ、深呼吸してメッセージを確認する。プレヴュー表示の通り、撮影の申し込みなのだが、モデル代はちゃんと取りますよと。
 つまり営業みたいなものだが、問題は送り主だ。
 地下アイドルだそうだ。
 たしかに、いかにもなアイコンやプロフだし、タイムラインもライブ写真や活動日程、いただきもの報告などでがうまっていて、それなりに活動しているような雰囲気だ。ねんのため、リンクされている他のソーシャルや短編動画サイトもチェックし、本当にフリーの地下ドルなのは間違いないと判断する。
 問題は、アカウントの作り込み具合からして、活動の方向性やキャラが俺の写真とは全く調和しないところ。懐具合が寂しくなっての押し売りだったとしても、ぼったくりじゃなければ撮るのもやぶさかではないが、どのような返事を送ればよいものやら……。
 とりあえず、撮るのはあくまでもストリートでのポートレートで、ライブ写真はもちろん、スタジオ撮影もやらないっての、そこはちゃんと念を押さないとな。俺が写真のデータを管理して、ネットでも公開するのも譲れないしね。
 ついでに、なんで俺に声をかけた、いや営業したのかも訊いておくか。
 そんな感じでいつものお返事テンプレを手直しし、送信する。
 思ったより手間がかからなかったので、ライブ映像でも観ておくかと、当人の動画投稿チャンネルからよさげなのを再生する。

 ……すまん、やっぱ俺はアイドル苦手だわ……。

 イントロから歌い出しまではなんとか我慢したけど、どうにもこうにも受け付けないなにかがあって、結局30秒ほどで止めてしまう。たぶん、下手ではないんだろうけど、観ている自分が恥ずかしくなって、楽しむどころかいたたまれなくなってしまった。
 映し出されていたのは古典的と言ってもよいほどに『いかにもアイドルしてます』といわんばかりのコスチュームであり、曲であり、振り付けなのだが、それを当人が無邪気で嬉しげに演じている映像と音声に、自分が若い人のまっすぐな思いをはぐらかす、ずるい年長者だと見透かされているような、そんな感情をくすぐられてしまう。
 だが、それは自分の思い過ごしで気のせいで、みにくい自意識過剰に過ぎないのも、わかりすぎるほどわかっていた。
 気晴らしに懐メロでも聴こうと、ネットラジオを80年代洋楽ロックチャンネルにあわせ、のれて甘く聴きやすい産業ロックにひたる。
 グルーブと楽しさだけの薄っぺらい曲たち。ついさっき、自分が途中でやめてしまった地下アイドルのポップと大差ないような気さえしてくる。しかし、懐メロには文字通りの懐かしさが、郷愁がある。それだけの違いだろうが、それはあまりにもおおきいのだ。
 ともあれ、地下ドルさんのねらいがわからないと撮影も組み立てられないし、どうしたものやらなんてぐだぐだ考えていたら、当人から返事が届いていた。
 こんどはちゅうちょせず内容を表示したら、なんだかやけに文字が多い。しょうがないなぁと独り言ち、姿勢を正して読み始める。いきなりテーマと全体のイメージなどがつらつらと書かれているのだが、やたらとカタカナが多くて読みにくい。アイドルとしてのアピアランスも大事だけど、こんどの撮影はアティテュードをみせたいとか、どうも本人の中でもこなれてなさそうな単語がならんでいる。
 そもそも、アティテュードだったら対照させるのはスタイルじゃないのかなんて、アイドルとは無縁のロック名言を思い出してしまうが、当人どころかその親が生まれる前ぐらいの話だし、うかつに指摘しようものなら老害扱いされるのがオチだろう。それに、本人はいたって真剣らしいのも、文章から伝わってくる。
 そんなわけで、アティテュードねぇとつぶやきながら読みすすめ、いつもお世話になっている親しいモデルさんを介したつながりがあるのもわかった。正直なところ、厄介な予感がしなくもないのだが、無下にはできない相手なのも確定した。
 いちおう自分の過去作はチェックしているようだし、それでも営業、いや申し込んでるのだから、こちらはいつもの撮影スタイルで問題なさそう。とはいえ、アティテュードをみせたいとか、そんな漠然とした単語だけではイメージもなにも出てこない。取っかかりとして、インタビューとストリートポートレートを組み合わせた作品に、貧民街の麻薬中毒患者をじっくり撮影した作品のウェブサイトを紹介し、こういう作品が自分の目標という言葉をそえて返す。
 まず、相手の反応をみてみたい。
 どちらもポートレートとしてはかなり異色だが、かなり話題になった作品だし、なにより撮影者のアティテュードである撮影姿勢のみならず『撮影される側』のアティテュードも、つまり自分自身の人生に向き合う姿勢をも動的にとらえた写真だった。話が噛み合わないかもしれないと思わなくもなかったが、俺にとっては文字通りのアティテュード、写真や人生へのまっすぐな思いや姿勢を表現した作品だったので、無反応はないだろう。青臭い感情かもしれないが、作品が受け手に及ぼす力を信じてみようとも思った。

 結論から言うと、話はまったくかみ合わなかった。

 アティテュードの意味や使い方にしても、バンドやアルバムのタイトルになってるかっこいい言葉とか、そんな感じだった。そして、アイドルにもアティテュードがあっていいとか、そんな具合だったから、とりあえず『かわいいよりかっこいい写真』を撮られたいぐらいに受け止めつつ、深く考えまいと決めた。そこからだらだらしたやり取りの中で、噛み合わないなりに盛り上がり、なんとなくいい感じで勢いがつき、そのまま撮影の日取りも決まってしまった。
 まぁ、それでも撮影場所と当日の服装はしっかり決めたから、最悪の場合でも手癖でなんとかまとまるだろうと、たかをくくる。

 当日、地下アイドルさんは黄色いボートネックのカットソーにデニムのホットパンツ姿で、ぴょんぴょん飛び跳ねるようにやってきた。

 どう考えてもかわいいコーデやん……。
 ふっと俺の表情に困惑が走る。

 元気な感じでまとめましたなんて、無邪気に笑う地下ドルさんにあいまいな微笑みを返し、撮影場所の線路際へ向かう。この際、場所も変えてしまおうか、いったん打ち合わせしたほうがよいのかなど、動揺した精神から湧き上がる愚にもつかない考えをいちいち打ち消し、顔だけはにこやかにあるき続ける。
 いずれにしても、軌道修正せねばならん。

 幸い、カメラは寄れるマクロレンズ付きと広角付きの2台、そして小さいフラッシュもあるから、気持ちだけ切り替えればなんとでもなる。
 引き気味の全身像からはじめ、地下ドルさんの表情が和らいだところで、アップの撮影をはじめたらいいだろうな。構図を決めたら、素早くシャッタを切る。フラッシュは広角には光量不足だけど、むしろ画面の隅を暗くしたいのでかまわない。それにしてもよく動くので、オートフォーカスがなければ手に負えなかったかもしれない。実際、興に乗ると画面の隅までぽんと動くから、構図を保つのがちょっと大変だった。
 流石にアップは止まってもらうのだけど、意識しすぎるとあからさまに表情が固くなってしまう。しょうがないから、間合いを取ってだいじょうぶだと声をかけたり、反対に毛穴が見えるほど寄って固まったところを撮ったり、途中からはこちらが思いつくまま、その場の勢いでシャッタを切り始めたが、最初からそのほうがよかった気がする。

 やがて、約束の時間が来て、撮影を終える。
 最寄り駅まで案内すると告げたら、地下ドルさんは最初のようにぴょんぴょんはねながら、ちょっと引いてしまうほど勢いよく「近くにお茶が美味しいカフェあるんですよ。良ければご一緒しません?」なんて、予想もしないお誘いをいただく。どうも人懐っこさは天然らしいが、間合いの近さや行動の慌ただしさは要注意かなと、かすかな不安を感じながら『お茶が美味しいカフェ』とやらへ向かう。

 カフェまでの道中、もよりの駅とは反対方向へあるきながら、地下ドルさんのお話を聞く。アイドルはアピアランスがすごく大事だけど、それはオタさんが求める姿の反映なので、自分自身のアティテュードを写真にしたかったとか、たぶんそんな意味の話しだったと思う。でも、交通量の多い道をあるきながら、途切れ途切れに聞いた話だし、内容にはまったく自信がない。ただ、周囲にはこういう話ができるアイドルがいないと聞かされたとき、それはそうだろうなぁと思ったのだけは記憶に残っていた。
 やがて『お茶が美味しいカフェ』にたどり着いたが、ひとつとなりの駅前だった。どうりでずいぶん歩くと思ったが、選挙前の老朽家屋かと思うほどアイドルのライブやステージの告知ポスターにハガキでびっしりの入り口が目に入った瞬間、地下ドルさんの狙いがわかったような気がしたし、地下のお店は奥にステージまであって、それは確信に変わった。
 まぁいいけどさと、口には出さないが不信や戸惑い、いらだちのまじった表情が隠しきれない。
 夕方前のせいか、お客は自分たちだけだった。
 クラシックスタイルのロングスカートメイドがうやうやしくメニューを持ってきたが、値段をみて思わず口元へ手を当ててしまう。ホテルのラウンジとはいかないまでも、コラボカフェよりちょっと安いか、同じくらいの金額が表示されていたのだ。
 即座にいちばん安い飲み物を探し、同時にカウンターへ目を走らせ、カード決済を受け付けるかを確認する。地下ドルさんの報酬を最初に手渡してるので、現金決済だと危ないところ。でも、各種決済手段対応の表示があって、すこしだけホッとする。
 地下ドルさんはホットケーキセットを、俺はコーヒーをそれぞれ注文し、どうやら覚悟していたよりは安く上がりそうとか、同伴バックはいくらだろうとか、みみっちい計算をはじめたところで、ふたりとも店が売りにしてる紅茶をオーダーしてないと気がつく。
 いまさらどうでもいいことにこみ上げる変な笑いをおさえようと、さきほどまで撮影していた画像を確認する。地下ドルさんにもカメラを手渡し、画像の表示方法を教え、ふたりで背面液晶を見始めた。
 ほとんど即興で撮影したわりにはよい感じに撮れているような気もするけど、目の前で液晶を見つめる地下ドルさんはどう思ってるだろう?

 撮影のたびにモデルの反応を気にしすぎてしまう自分に苦笑しつつ、それでも相手の反応を意識するのは当たり前なんだと、言い聞かせるようにうなずいて地下ドルさんとカメラを交換する。はじめに彼女がチェックしていたのは広角レンズをつけていたほうで、ほとんどが引きのショットだった。
 自分が見てもピントの甘いショットが目に付き、被写体ブレも思ったより多い。悪くないカットもなくはないのだが、雑に撮っているのがあまりにもあからさまで、こちらは即興撮影にしてもひどすぎる。見ている間に眉がより、顔も険しくなっているのが、自分でもはっきりとわかってしまう。ただ、それでもおおむね自分の狙い通りに撮れているものもあり、どうやら全滅は免れそうなのは、ほんとうによかった。それに、いま地下ドルさんの手にあるマクロレンズで撮った方は、自分でも納得のショットが多かったので、こちらの雑な写真の印象を上書きしてくれてると助かる。
 だが、俺のそんな思いとは裏腹に、地下ドルさんはマクロレンズつきのカメラを途中から早送りするかのように指を動かし、ちょっと困ったような笑顔を浮かべながら「見終わりました」と、つぶやくように言ってテーブルへ戻した。
「どうです?」
 撮影した方から感想をねだるのは、どうにもさもしい感じがして嫌だったが、気がつけば言葉が勝手に口から這い出ていた。
 しかし、地下ドルさんは店の奥へ眼差しをおくり「ホットケーキが焼けたみたい。食べてからでもいいですか?」と、なぜか嬉しそうに俺のさもしい言葉から身をかわし、場外へ投げ捨てる。

 たぶん、それでよかったのだろう。
 値段さえ気にしなければかなり美味しい方だろうコーヒーをすすりながら、ざわついた気持ちをゆっくりと冷ましていく。俺が好きな深煎りでコクもあり、完全にあなどっていた自分が恥ずかしくなるほどきちんと淹れられていた。地下ドルさんも丁寧に焼き上げられたパンケーキにバターをこすりつけ、シロップをたっぷりかけてご満悦の風情だ。
 やがてカップも皿も空になり、メイドさんがお冷をもってきたころ、地下ドルさんはすこしかしこまった様子で姿勢を正し「きょうはありがとうございました。とても楽しい撮影でした」なんて、ぺこりと頭を下げた。
 いえいえ、どういたしまして、こちらこそ楽しく撮らせていただきましたとか、儀礼的な言葉をまき散らしながら、俺は屋台の下でおこぼれを狙う犬のように、地下ドルさんの言葉を待ち受ける。
「お写真なんですけど」
 そらきた!
 自分でもあからさますぎると思いつつ、それでもテーブルの半ば近くまで身を乗り出してしまう。
「すごくいい雰囲気のお写真がたくさんあったので、リクエストしてもいいですか?」
 もちろんですよ、どうぞどうぞと言って、俺はカメラをテーブルへ並べたが、地下ドルさんが手に取ったのは広角レンズつきの方だった。そう、俺にとってはハズレが多い方のカメラ。
 地下ドルさんは「お写真を選ぶのはカメラマンさんにお任せなの、わかってるんですけど、絶対にほしいのがいくつもあったんですよ」なんて、普段なら嬉しくてしょうがないような言葉を差し出しながら、おぼつかない手付きでカメラの画像を選んでいる。俺は地下ドルさんが画像を指定するたび、目印代わりの★レーティングしていくのだが、ほとんどどれも自分ならボツにしていたようなブレやボケ、構図のおかしなカットばかりで、笑顔を保つのがたいへんだった。
 まぁ、地下ドルさんが選ばなければ、まず間違いなく処理も共有もしなかった写真だから、その点ではよかったのだろう。

「きょうはアイドルっぽくないファッションで、自分なりにアティテュードも表現できたんじゃないかっておもってたんですよ。そしたらお写真からもアティテュードを強く感じて、教えてもらったネットの写真みたいですごく嬉しかったんです」

 言葉だけなら嬉しい響きなのだけど、脳内では『眼の前の人 気は確かか?』なんてフレーズが、壮大なコーラスを伴ってけたたましく鳴り響いている。いや、気は確かかってのは流石にあんまりだと、自分でも思う。ただ、アティテュードにしても写真にしても、地下ドルさんと俺との間にはなにひとつとして共通の基盤がなく、同じ言葉をつかい、同じ写真を観ても、そこから得られる情報はまったく異なっているんだ。
 例えば映画のセットや舞台の書き割りを役者や観客の側からみるか、大道具や演出家の側からみるか、そのくらいの違いがあるのだろう。
 地下ドルさんの言葉を受け止めながら、でも撮ったのは自分だと思いなおす。
 それは地下ドルさんに見えてないなにかを俺が見ていためだとしても、決して手品師の種明かしではない。
 そう、違う。
 文字通り違う。
 それは解釈違いなのだ。
 俺はただ、当人も理解してなさそうな言葉に振り回されながら、それでも他の誰でもない自分自身から湧き上がるなにかを主張し、写真に残したいと望んだひとりの若い女性の姿を、むき身の事物を、解釈せずに撮影した。
 ただそれだけ。
 撮影者は無であり、通りすがりの観察者であろうとしていた。
 しかし、あきらかに無はひとつのアティテュードだし、無名の観察者であろうとの態度は、むしろ非常に強く自己を主張しているのだ。
 演じ、創っていく世界に生きる地下ドルさんには、ただその場にあるものを見て、撮るだけだとしても、それはひとつの態度であり、生き方であり、アティテュードだと、そんな考えがぶくぶくと湧き出て、自分の思考をかきまわす。
 気がつけば、俺は地下ドルさんの言葉を適当に受け流し、雑な相づちを返すだけのトーキングマシンとなり果てている。
 ちょっとまて、俺こそ正気か?
 氷だけが残ったグラスを口につけ、わずかな水分を飲み干そうと天を仰ぎ、地下ドルさんが大笑いしたところで、ようやく我に返った。
 照れ隠しに吐き出した「お話に聞き入ってて、分からなかったですよ」なんて言葉は、地下ドルさんの意地悪い笑顔と「うそでしょ。どう見ても上の空でしたよ。なに考えてたんですか?」との問いかけに打ち砕かれる。
 俺は自分でも大げさなくらいにうろたえ、餌をねだる池の鯉だってそこまでではないだろうと思うほどみっともなく口をぱくつかせ、目線も全く定まらない。挙げ句に飛び出たのは、カフェの本棚にあった絵本のタイトルそのまま「カミソリ」と、間抜けで意味のない言葉だった。
 わけもわからずキョトンとしてる地下ドルさんに、俺もつい『わけわかんないよね、ほんとに意味のない言葉なんだから』と、ありのままをぶっちゃけたくなったが、その瞬間に思考がひらめいた。
「オッカムの剃刀ってのがあってね」
「あ、それ聞いたことあります」
 よかった、すべらなかった。というか地下ドルさんにひろってもらった気もするが、そのままオッカムの剃刀をざっくり説明し、自分はなにかと物事を複雑に考えてしまう癖があるから、ときどきこの言葉を思い出しながら軌道修正してるとかなんとか、でまかせの出放題を並べ立てる。
 神妙に聞き入りはじめた地下ドルさんに、途中から『あ、これは若い娘をつかまえて、おっさんが偉そうに語り倒すやつやんか。あかんやつや』って、気がついたけど、もうどうしようもない。ただ、やたら感心してるような地下ドルさんの笑顔を、営業用だと思ったら、ほんのちょっとだけ気が楽になる。
 そうなったらもう話を続ける気力もない。いささかあからさまでも話をたたんで、あとは地下ドルさんに会話の主導権を投げ、ころあいを見計らって帰るだけ。
 そればかり考えるようになっていた。
 間のよいことに、地下ドルさんも話に飽きてきたのか、物事を複雑に考えすぎるのはたしかに良くないですねって、いい具合にまとまってきた。だから、地下ドルさんが「複雑というんじゃないんですけど、オタさんや他のアイドルさんがなにかトラブル起こすと、つい悪意を感じちゃうんですよ。でも、やっぱりそういうのは良くないですよね」と、話を思い切り脱線させたときも、そこで『それは別の剃刀』なんて突っ込んだりせず、うんうんとにこやかにうなずいてあいまいに話をしめた。
 その後は画像の受け渡し方法を確認すると、店のスタッフと打ち合わせがあるらしい地下ドルさんを残して駅へ向かう。
 さっき地下ドルさんが口にした『ハンロンの剃刀』を思い起こしながら、自分自身でも彼女の言動をやたらと深読みしたり、悪意とまではいかずとも、営業だろうと勘ぐったりして、あまり良くなかったかなと反省もする。そう、地下ドルさんが口癖のように繰り返していたアティテュードにしてもアピアランスにしても、ちょっと背伸びして耳慣れなくてカッコいい言葉を使ってみたかっただけなのだろうと、単なる若気の至りなのだと、そう思ったら、どうでもいいことをあれこれ読み取ろうとしていた自分のほうが大人気なく思えてきた。

 帰宅して画像を処理する。

 アップの画像は無難にポートレートとして仕上げたが、引きのショットはちょっとコントラスト強めの、ストリートフォトっぽく仕上げる。そして、地下ドルさんが指定した中でも特にブレやボケが激しかった画像は、モノクロのやや粒子表現強めに仕上げて、半世紀以上前の現代写真コンテンポラリー、日本語ではコンポラ写真を気取ってみた。
 すべての画像を打ち合わせしておいた共有フォルダへアップし、同時に写真共有サイトでも公開する。

 翌日、地下ドルさんから画像確認とお礼のメッセージが届いていた。
 どうも、モノクロのコンポラ写真がいたくお気に召したらしく、他のアイドルさんやヲタさんにも自慢したらしい。正直、だいじょうぶかと思わなくもなかったが、当人が喜んでいるならそれでいいだろう。
 そして、写真共有サイトのリアクションをチェックしたら、あからさまにアップのポートレートが評価も共有もされていて、モノクロのコンポラ写真はほぼ無反応だった。
 俺は「世の中いろいろだよなぁ」と独りごちる。

 了

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