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拷問人の息子と町いちばん美しい尻軽女試し読み

 かすかではあるが、癇に障る程度には感じられる低い振動に、ときおりするどい風切り音が交じる。
「おぉぅ、しっかりうなっとるな」
 芝居がかった軽口を叩きながら部屋に入ってきた若者は、水浴びでもするように麻生成りのシャツとズボンを脱ぎ捨て、下履きひとつの裸身をさらす。身体美とは縁がなさそうな、ひょろひょろと背ばかり高くて妙に手足も長い、どうにもしまらない姿のうえ、顔色まで病人めいていた。ただ、それは部屋にあふれる青白い光と不自然にかがめた背筋のためかもしれなかったが、いずれにせよ他人をひきつける魅力は感じられない。
 若者はシャツとズボンを椅子へ無造作に引っ掛け、下着姿のまま腰掛けると、難しそうな表情で机の書類をめくる。
「坊ちゃま、せめてなにか羽織ってください」
 すすけた黄色のローブをまとう坊主頭の小柄な男が、もうしわけなさそうに若者へ声をかけた。
「なんだ? ここには俺とお前しかいないし、帝国管区筆頭拷問人の体面だったら、メルガールが来るときに黄衣をかぶればいいだろう」
 怒気をはらんだような上目遣いの先にはポンチョともローブともつかない黄色のゴム引き服が、だらしなくぶら下がっている。すると、坊主頭の男は困惑したように頭を振りながら、なだめるように「やはり、いらだちを感じておられるのですか?」と、言葉を重ねた。
「やれやれ、エリオガァバロにはかなわない」
 背筋を伸ばしエリオガァバロと呼ばれた坊主頭の小柄な男にむきなおると、若者は「そんなに、わかりやすかったか?」と答える。エリオガァバロはエル・イーホの父親、先代の筆頭拷問人であるエル・ディアブロがどこからかつれてきて、館の執事を任せている男だが、いかにも辺境の出らしい大きな瞳と長いまつげのうえ、表情にもあどけなさが残っており、ちょっとみただけでは男とも女ともつかない顔立ちだった。
「もともと坊ちゃまは顔に出るお方ですし、それに帝国管区筆頭拷問人とわざわざ口にされるときはなおのことで」
 両肘をついて頭を抱えながら、帝国管区筆頭拷問人の若者は「まぁ、俺は拷問人にむいてないんだろうね。仮面で顔を隠していなければ、拷問してる俺がなにもかも読み取られてしまうだろうさ」とぼやく。
「いえいえ、内心が全く顔に表れなくなったら、もはやニンゲンではありません」
 エリオガァバロの言葉を聞いた瞬間、帝国管区筆頭拷問人の若者……エル・イーホと呼ばれている……は、きょうここに訪れるはずのメルガールを思い浮かべた。メルガール、フルネームはフリオ・フランシスコ・アマド・メルガールで、機械化異端審問官の少佐である。以前はエル・イーホの父であるエル・ディアブロの相方的な存在だったそうだが、旧帝国残党に捕らえられ、生贄として不老難死の人造人間である非神子の素体へ転生させられたところを、拷問人屋敷の秘書やメイドに助け出されている。最近、治安憲兵と異端審問院の合同捜査本部が立ち上がったことにともない、メルガールは私服捜査部の一員として機械化異端審問官の階級を与えられていた。
 そして、非神子と呼ばれる人造人間たちはすべて同じ姿、華奢な少女の外見をしているが、もちろん転生したメルガールも同様だ。
 その非神子は不老難死にして食事や睡眠、排泄も不要で、奇跡術師としての能力も常人をはるかに超えている。加えて、メルガールは転生前から素晴らしい奇跡術能力を誇っていたため、さらなる力を得た奇跡術はこの辺境管区で並ぶものがいないばかりか、帝国全体でも最高水準とされていた。
 だが、異端審問官としては二流もいいところで、メルガールは事件の捜査そのものをまともにこなせなかった。たとえば情報の管理ができないというか、そもそも推論という概念すら持ち合わせていないほどだった。そのため、特に秘密情報に関してはいちいち誓約を立ててだまらせることとし、そのほかについては拷問人屋敷の秘書やメイドたちが管理していたのだが、それでも彼らが尻拭いしたことも一度や二度ではないらしい。そればかりか、思い込みが強くて最初の計画というか、審問院からの雑な指示や矛盾する情報を丸呑みし、是が非でもそのまま押し通そうとする傾向が強かった。
 さておき、非神子のメルガールもいちおう人間らしい表情をつくってはみせるが、それは芝居の仮面を差し替えるようなもので、そこからはなんの感情も読み取れない。いや、読み取れないどころか、むしろ人間ばなれした美しさに惑わされ、相手がありもしない感情を勝手に読み取ってしまうこともしばしばだった。ただ不安定な精神にやすらぎをもたらす秘術を駆使するエル・イーホに対してだけは、ときとして内心のゆらぎを顔に出すこともあったが、それすらめったになかった。
 顔を上げ、不意に浮かび上がったとりとめのない思いを振り払うと、エル・イーホはエリオガァバロに目線を向けた。
「まぁ、いらだつなという方がおかしな事件ではあるね。まず、管区の辺境審問院がよこしたのは……」
「捕らえられた牢獄で司祭の純潔を奪いし淫魔を特別に強化された審問にかけ、あますところなく証言を引き出されたしと記された、いつもの紙切れだけでしたね」
 話をさえぎったエリオガァバロは、そのまま「加えて、こんどは帝都の枢機卿からメルガールを使って淫魔の背後にいる司祭たちを掃除しろと指示がきたわけですが、毎度ながらどちらも雑な仕事ですね」と、やけに掃除を強く発音しながら続け、意味ありげにうなずきかける。
「この場だから言うけど、辺境審問院の指示だけだったら、てきとうにあしらって終わらせてた。どうせ、連中もそれを望んでいただろうしな」
 ぼやくエル・イーホに、エリオガァバロも「でしょうね」と相づちをうつ。
「ただ、ふたつそろったからわかることもある。少なくとも、管区ではことを荒立てたくなかったのに、帝都はおおごとにしたいのだろうね。さてさて、あなたが頼んだ情報屋はなにか楽しい話をかぎつけてくれたかな?」
 エリオガァバロは「えぇ、それはもうたっぷりと。ただ、まぎれもなくこっけいな話ですが、ちっとも楽しくはありませんよ」と前置きして、事件の背景を話し始めた。

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拷問人の息子 El hijo del torturador シリーズ紹介

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