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個撮百景 Portfolio of a Dirty Old Man第4話:顕示と黙示のあいだに

■相互無償

 個人撮影に際して、撮影者とモデルあるいは被写体が、それぞれ報酬を求めずに行う撮影。
 個撮(個人撮影)の項目参照。

(亀子写写丸 フォトグラファーの口説きテク最新101 民明書房 平成31年)

 そろそろ削除しようかと思っていたソーシャルアカウントの通知が表示されると、焦りともいらだちともつかない、ビル街の隙間に垣間見えてしまった薄毛治療クリニック広告めいた不快感が走る。顔をしかめて通知欄を確認すると、フォローしていないアカウントからのダイレクトメッセージだ。その段階でほぼスパムのようなもんだが、それでも好奇心だか強迫観念だかに負けてクリックしてしまう。

 内容は……撮影依頼? それも相互無償で!

 大慌てで文章を確認しつつ、送信日付に目を走らせる。
 よかった! まだ36時間ちょっとしか経過していない。もしも撮影にいたらなかったら、たとえ他の要因があっても放置時間が後悔の種になってしまう。かといって即レスすぎるのも微妙なので、むしろちょうどよく熟成させたくらいだ。
 さて、依頼の詳細はと……あぁ、インタビュー形式のストリートポートレートか。これは、かなり以前の募集内容だな。こっちのアカウントはろくすっぽ手入れしてなかったから、そのへんはしょうがない。それに、いったん放り出したテーマを掘り直すのも、このさい悪くないかもしれない。
 そんな考えをもてあそびながら、こんどは相手のプロフィールをチェックする。
 写真専門学校生の19歳……わっかぁい娘さんだ!
 メッセージの内容は依頼というか問い合わせというか、好奇心と期待と不安がまとまらないまま気持ちが文章に表れてて、合間に不慣れな敬語のういういしさまでただよう。そんな若い文面さにアテられながらも、気がつけば口元が緩んでいる自分に、もうひとりの自分が軽蔑しきった眼差しを突き刺しながら、なんとかブレーキをかけようとする。
 が、うまくいかない。
 暴走気味の指先はマウスをせわしなく操り、彼女のプロフから投稿画像まで片っ端からチェックする。とはいえ、写真専門学校生の19歳という情報以外は写真への純粋だが子供っぽい決意表明ぐらいで、画像も映えるカフェごはんやスイーツ、自撮りに家族写真、仲間とのスケボー風景などと、特にどうというものではない。ただ、鼻翼と眉尻のピアスにラフな格好は、自分の記憶にある写真専門学校生のイメージから遠かった。そして、自撮りに交じるスケボーイベントでの記念撮影や、日常のスナップでも映り込んだ他人の顔はスタンプで消しているあたり、現代を強く感じさせてはくれる。
 とりあえず、インタビュー形式のポートレートを撮るとなったら、やり取りの録音をするのは、あらかじめちゃんと承諾を得ておかないとな。それから、俺が写真のデータを管理して、ネットでも公開するのも譲れないしね。
 ついでに、なんで俺に声をかけたのかも訊いておくか。
 そんな感じでいつものお返事テンプレをあれこれ手直ししてから、送信する。

 専門学校生から返事が来たのは、翌々日の夕方だった。

 早くはないが、遅くもない。俺が専門学校生のメッセージに返信したのだって、受信してからそのくらいの時間は経っている。ただ、メッセージを受信してからは放置していたアカウントをまめにチェックし、そのたびにに専門学校生のアカウントやタイムラインを見に行ったのは、我ながらみっともなかったと思う。
 ともあれ、リプライはひどくあっさりしたもので、依頼したきっかけについてもスルーだ。テンプレめいた待ち合わせ場所と日時のすり合わせに、録音も含めた撮影内容の承諾と質問事項の確認、そして当日の服装に指定はあるかどうかとか、そんなところだった。ただ、ピアスは問題ないですかと、この段階でたずねてくるあたりは、ちょっと微笑ましく感じられた。
 俺は質問内容を送り、ピアスは問題ないと明言した上で、特に服装を指定しないけど、持ってるならよそ行きのジャージが望ましいと、また当日は三脚に据えたカメラでダブルサイズのインスタントフィルムを使うなどなど、こちらも事務的にあっさり返す。
 翌朝、メッセージボックスに写真専門学校生の返信が届いていたので、ちょっとびっくりした。タイムスタンプをみると、深夜に送信されている。
 こんどはずいぶん食いつきいいな。なにがそうさせたのか、気になりながら内容を確認した。
 最初に質問事項の変更があり、ちょっと戸惑ったり顔が渋くなったりもしたけど、あまりにモデル向けなので、できればカメラマン向けにしてほしいと、全くもっともな話だったからひと安心。それからピアス問題なくてよかったとか、よそ行きのジャージはあるので、当日はがっちりそっちにキメて行きますとか、前回のあっさりしたメッセージからは想像つかないほど、テンション高めの返答が続く。
 ただ、最後のほうはダブルサイズのインスタントフィルムって、もしかして大判撮影だったらカメラもいじらせていただけませんかとか、インスタントフィルムが半分もらえるのは嬉しいんですけど、残り半分もスマホで撮影させてくださいとか、妙にちゃっかりした感じもしなくはなかった。
 こういうとき、フリーランスの頃はよかったとか、やくたいもない考えが頭をよぎる。とはいえ、いまさらなにを言ってもしょうがない。夜まで返事を書く時間がないのも、またこれから半日くらい間が空いても影響ないのも明らかだった。
 帰宅後、あれこれ変更した質問事項と、よければ撮影後にインスタントフィルムをスキャンするから、それも見に来ないかとのお誘いも添えつつ、返事を送信する。
 その日の深夜、寝付けないままいじっていたスマホに、写真専門学校生の返答を受信したと通知が表示された。
 待ち合わせ場所と日時、質問事項も全て問題なく、撮影後のスキャン作業もぜひ見学させてくださいと、またあっさりした文章に戻ったが、俺にしてみれば満額回答だ。読みながら顔は溶けるし、腕の微妙なガッツポーズも止められなかった。

 そして、当日。

 待ち合わせ場所に現れた専門学校生は、スリムでスポーティなちょっと濃いブルー・グレーのブランドジャージと、ゆったりしたニットキャップをおしゃれに着こなし、足早に俺の方へ近寄ってきた。
「すいません、忘れ物とかいろいろあって」
「いやいや、だいじょうぶ。自分もいま来たところですよ」
「え? マジスカ? なんか、テンプレみたいっすね」
 あからさまに疑わしげな専門学校生に「いや、マジ、マジ。自分も準備に手間取って、まだ来てなかったからちょっと安心した」と返す。
「うわ、マジスカ? それってプチラッキーすね」
 専門学校生が大笑いすると、持続可能社会やら多様性社会やらの七色ピンバッジをつけたニットキャップがずり落ちそうになる。俺は反射的に七色のバッヂへ目を走らせ、不覚にも表情を作りそびれてしまう。それでも『ほぅ』と口に出さなかっただけ、まだましかもしれない。
 専門学校生は照れくさそうに笑いながら「へへ、意識高いっしょ」と、おどけた仕草でニットキャップをかぶりなおした。
 俺はできるだけ真面目な顔を作り、彼女の瞳に真っ直ぐ目線を合わせながら「いや、いい世の中になったと思うよ」と返す。専門学校生はちょっとだけ意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔を作って「ですよね」と応じる。
 あれ?
 もしや?
 思わなくもなかったが、こういう展開で好奇心にまかせて探りを入れたら、その先には破滅しかない。ただ、それは専門学校生も同じようで、なにか聴きたそうな好奇心が、わかりやすく表情にあらわれていた。とはいえ、俺には語るようなわかりやすさがないし、めんどくさくて厄介な欲望を遠回しに伝える話術もなければ、父娘ほど離れた小娘へ危険を犯して直截に語るつもりもなかった。
 それに、それこそ顔を合わせたばかりだからな。
 とりあえず、この場では、いやきょうはなしだ。
 そう決めると、俺は「じゃ、撮影場所へいきましょう。すぐ近くですよ」と荷物を肩にかけ、ゆっくり歩き始める。専門学校生も「あっ、はい」と応じ、素直に俺のあとからついてきた。
 気持ちのいい若者だ。もしかして、セミナーとかワークショップで下世話な好奇心がどれほど他人を傷つけるかを教わったかな?
 ともあれ、ちゃんと間合いを取ってくれるのは実に嬉しいし、気楽になる。

 少しばかり歩いて再開発地区の片隅に三脚を設置し、カメラを据えた。
 前板を開けてレールをセットし、レンズボードを引っ張り出す。すでに専門学校生は興味津々だ。レンズの絞りを開放にし、ケーブルレリーズを取り付け、ブレを防止しつつカメラの脇からシャッタレバーの遠隔操作を可能にする。シャッタを全開放して、ピントグラスのフードを上げる。専門学校生に立ち位置を指示し、ピントグラスにルーペをあてがい、上下左右逆像の彼女に焦点を合わせた。
 専門学校生がピントグラスを見せてくれとせがむので、彼女と立ち位置を入れ替えてからピントフードを覗くように指示した。
「あ、おじさんが! ヤバい、逆さまなんですね」
「使った経験あるの?」
 俺の不躾な問いかけにも、専門学校生はカメラの後ろから顔を出し「いいえ、先生の撮影をみせていただいただけです。大判は選択しなかったんですよ」と、ちょっと照れくさそうにこたえた。そのまま、彼女は「学校じゃスポーツ写真を……」と話し始めたので、おれはあわててとめた。
「まって、まって、そのへんはインタビューで訊くから、ちょっと待って」
 専門学校生は「ですよね」と笑いながら俺と場所を入れ替え、ニットキャップの形を整えてから「どうぞ」と真面目な顔を作る。俺はまたしても「まって、まって、まだフィルムをセットしてないから。そこから動かないで」といいながら、あわててピントを確認して絞りとシャッタをセットし、ピントグラスを外して縦位置に回転させ、代わりにインスタントフィルムをセットする。
「先に2ショット撮ります。その後で質問しますね」
「はい!」
 すくなくとも俺の世代だったらイキりアピール過剰なピアスと、虹色ピンバッジを誇らしげに貼り付けたニットキャップの意識高さと、優等生じみた素直な受け答えとがブレずに重なる専門学校生の複雑さや、幼ささえ感じる顔立ちの裏にある大人びた表情から、俺は、俺の写真はなにかを受け止められるだろうか?
 そんな思いを抜き取るかのように、俺は引き蓋を抜き、レリーズを押し込んでシャッタを切った。
「動かないでね! そのまま、じっとして」
 専門学校生に声をかけると、ボタンを押してインスタントフィルムをホルダから出す。再びシャッタをセットし、もういちどレリーズでシャッタを切ると、排出ボタンを押してフィルムを出し、引き蓋を戻す。
 この、シャッタと絞りを開けてピントを合わせ、焦点を定めたらそれぞれ適切に設定しなおし、フィルムをセットして、フィルムに光を当てないように保護している蓋を引き抜き、シャッタを切るまでのめんどくさくて失敗しやすい厄介な手順が、自分はわりかし好きだったりもする。しかも、インスタントフィルムは撮影後に排出する際、ローラーで現像液の入った袋を押しつぶし、薬品をまんべんなく広げて写真にする仕組みだから、ボタンを押す手間が加わる。これらの手順をひとつでも間違えると、まともな写真は出来上がらない。
 おまけに、いまからインタビューまで始めようってんだから、ぶっちゃけ自分の能力を完全に超えている。だいたい、デジカメでも撮影と録音がぐちゃぐちゃになりがちで、撮影後の作業も面倒だからやめたはずだったのに、懲りずにやってるってのはどういうことだと、しかも面倒で厄介な大判カメラだなんて、自分で自分を問い詰めたい。だが、それは後回し。俺は伏せていたインスタントフィルムをちらっとみて、無事に現像が始まっていると確認してから、専門学校生にマイクを向けてレコーダのスイッチを入れた。
「じゃ、最初に写真を始めたきっかけや動機など、訊かせてください」
 あらかじめ質問内容を伝えていたので、専門学校生は迷わずはっきりと答える。
「スケボーすね。中学でスケボーはじめて、パークの教室にも通ってたんすけど、そこでめっちゃヤバいおばさんがいて、スケボーだけじゃなくて、写真もヤバかったんですよ。その人に、憧れるようになって、自分でも撮りたいなって思ったんです」 
 おそらくは、考え抜いて用意した答えだろう。もしかしたら、面接などで同じような質問に答えた経験があるかもしれない。それでも、専門学校生の言葉には飾らない率直さが感じられる。
 よかった。最初から調子がいい。
「こんなんでいいすか?」
 不安げな専門学校生の問いかけに、俺は満面の笑みとサムアップで応じる。ついでに、現像が終わったインスタントフィルムを確認すると、まずまず当たり障りのない人物像が撮れていたので、安心して次の質問へ進んだ。
 念のため、ピントと構図を再確認する。つまり、ピントグラスを戻してシャッタと絞りを開放してと、さきほどの作業を最初から繰り返すのだ。専門学校生は興味深げにながめていたけど、これが写真やカメラに興味のないモデルだったら、どうやって間をもたせようか、本気で心配しなければならなかったろう。
 ともあれ、準備を整えて、こんどは質問の後で撮影すると、専門学校生に告げた。
「撮影の指針、あるいはテーマはありますか?」
「指針はわからないけど、テーマはスケボーすよ。間違いない!」
 こんども即答だった。
 スケボーか……俺のような陰キャとは対極の存在だよな。
 つまらぬ感情を握り潰し、リズムを刻むように2ショット撮影する。
 そして、こんどはそのまま次の質問に進む。
「写真を始めてから、どのくらいの期間になりますか?」
「スマホってアリすか? だったら中学からで、デジカメで撮るようなったの高校からなんで」
「じゃ、質問を変えましょう。見知らぬ他人にもみせるつもりで写真を撮るようになったのは、いつからですか?」
「あ、だったら学校に入ってからかな」
 まず、専門学校生がちょっと考え込んだ瞬間にシャッタを切り、次に質問を変えてからもう1カット撮影した。
 これが記事原稿だったら、ここから話を膨らませるのかもしれないし、彼女のトークも温まってきた感じはするのだけど、残念ながら自分の集中力が限界に来そうだった。久々の大判撮影で、覚悟、いや楽観していた以上に消耗している。考えれば、大判カメラをこんなハイペースで撮りまくるなんて、スピグラ使いの報道カメラマンでもなければ、まずありえないんじゃないか?
「ウィージーじゃないんだからさ」
 ひとりごつ。
「ウィージー?」
 聞こえていた。
「昔の報道カメラマンというか、まぁパパラッチだね」
「ヤバいっすね」
 あわてて説明しながら、専門学校生にまだその場で動かないよう指示する。
 もう、このまま流れで撮るしかない。ここでまたピントグラスを戻して構図やらなんやら確認したら、なんか致命的なミスを犯しそうだった。
「このまま撮ります。また質問しますね」
 いいながら、レコーダのランプに目を走らせる。
 ダイジョウブ。点灯してる。まぁ、このぐらいのやり取りだったら、記憶でもなんとかなりそうだけど、それでもちゃんと録音してる、データを残すってのは重要だ。
 ふっと息を吐いて、質問を読み上げる。
「注目している、あるいは好きなカメラマンはいますか?」
「それ、考えたんですけど、やっぱ学校いくきっかけなったおばさんかなって。名前じゃわかんないだろうから、後でアカを送りますね」
「検索にでないの?」
「スケボーと写真に別れてるんで」
 なるほどとうなづきながらシャッタを切り、もう1ショットと思ったところに、専門学校生がまた話しはじめた。
「あ! もうひとりいます。でも、名前がわかんないんですよ」
「カメラマン?」
 シャッタをセットしながら彼女に問いかける。
「だと思うけど、写真しか知らないんです」
 訊くと、スケートボーダー映画に登場する、仲間の写真を撮っていた人物らしい。
「実在するの?」
「モデルがいて、映画を公開したときに、その人の写真展もやってたらしんですよ」
「あ、ならたぶん知ってる! ちょっと待って、先に撮っちゃうね」
 そう言ってシャッタを切り、俺は彼女に近寄ってスマホの検索画面をみせた。映画のタイトルや写真家の名前ではピンとこなかったようだが、インスタント写真の作品を表示したらアタリだった。
「ヤバい! これっすよ! どこでみられます?」
「後でアドレス送るよ。自分、映画も写真展もみてて、カタログ持ってるよ」
「マジスカ! よかったら……」
「うん、後でみせるよ」
「ヤバい! マジうれしいっす!」
 カメラ位置に戻って写真を確認すると、見事に二重露光だった。
「ヤバ……」
 つい声が出る。
「ヤバい?」
 聞こえていた。
「いや、ダイジョウブ」
 ほとんど自分に言い聞かせたようなものだったが、それでも落ち着いて写真をみたら、そこまで捨てたものではなかった。露出補正なしの多重露光でやや白っぽいが、ハイキーすぎるのに目をつぶれば悪くないように思える。うまく使えば作品にもなるんじゃないかとか、淡い期待を抱かせるくらいだったから、否定的に考えるのはやめた。
 そうなったら、これが1枚だけというのは、ちょっとまずいような気さえしてくる。なにせ、ひとつだけだといかにもエラーでございますと言わんばかりだが、もう1ショット決めて対にすれば、狙って撮ってる感じも出てくるだろう。
 まぁ、いいさ。
 成り行きまかせだ。
「じゃ、次の質問です」
 不安そうにこちらをみていた専門学校生に、できるだけ元気よく、笑顔を作って快活に声をかける。
「写真関係以外で、注目してる人物はいますか?」
「やっぱスケートボーダーですね。でも、名前を言っても……オリンピック選手とか、アスリートじゃないんですよ。ストリートがヤバいみたいな、カルチャー指向があって、それからファッション関連……これも、後で送りますよ」
「名前を言ってもこっちがわからないの、あまりよくない?」
「ヤバいっすね!」
 即答だった。
 専門学校生は少し考えてから、落ち着いた口調で話し始める。
「質問をいただいて、考えたんですよ。私が本当に注目している人物の名を挙げたとしても、それが全く伝わらないのだったら、それに意味はあるのだろうかって?」
「本当にわからないかどうか、言ってみなければ確かめられないとは思わない?」
「思いません」
 やはり即答だ。
「もし、俺がスケボーをやっていたら?」
「ちゃんとやってるってわかるくらいだったら、名前を言ってます。というか、もうこの段階で分かる人はわかると思っています」
 ていねいな口調で最終決定を告げる専門学校生の表情はかたく、明らかに話を打ち切る潮時だった。
 俺はシャッタを切り、チャージし、そして話を続ける。
「全く伝わらないと意味があるかどうかわからないって思うのは、なぜ?」
 専門学校生はほんのかすかに眉をひそめ、しつこいなと言わんばかりの眼差しを俺に投げつけた。俺はそこでシャッタを切った。
「あ、やられた! おじさん、ヤバいっすね」
「ごめんよ。ずるい大人なんだ」
 専門学校生はなにか言いながら、笑顔で歩み寄ろうと踏み出すが、俺は手のひらを立てて「待って、待って、まだ動かないで」と、彼女を押し留めた。
「さっきの、答えなきゃダメすか?」
 ふたたび、専門学校生の瞳にいらだちが宿る。
「いや、答えたくなければパスしてもだいじょうぶ」
「じゃ、終わりっすね」
「実は、フィルムが余っちゃったんだ。申し訳ないが、もうひとつ質問させてくれないかな?」
「おじさん、ヤバいっすね」
 専門学校生はニットキャップを被り直し、ラッパーのように両手をポケットに突っ込むと、わかりやすく面白くなさそげな表情で反り返って俺をにらみつける。俺は彼女の決めポーズにシャッタを切り、フィルムの排出を確認すると、最後の質問を口にした。
「写真をやってて楽しく感じるのは、どんな時ですか?」
 専門学校生はますます顔をしかめ、ポケットからサングラスをだしてかける。
「それは微妙っすよ。もちろん楽しいっちゃ楽しいんですけど、ぜんぶそうじゃないの、わかるでしょ?」
「うん、だから。もし楽しい時があるなら、それを答えてください」
 そう言って、俺はシャッタをチャージし、イキリポーズの専門学校生を撮影する。
「なんていうか、撮りたい写真、撮ってた楽しい写真って、学校だと売れないからやめとけ言われるし、ネットでもファボ稼げないしで、楽しくなくなるんすよ」
「撮ってて楽しい写真って、どんなの?」
 専門学校生は『おっ、こいつはちょっと違うな』なんて顔をしながら、それでもちょっと面白くなさそうに「さっき、おじさんが教えてくれた写真家みたいな感じので、だからインスタント写真好きだし、興味もあるんすよ」なんて、ちょっと早口で答える。
「あぁ、わかる。あの手のは売れないし、映えない」
「でも、おじさんは写真集を持ってるじゃないですか?」
「俺はマニアだからね。マニア向けってのは売れないし、映えない。だろ?」
 即答する俺に、専門学校生は「ヤバい、そのとおりだ」とつぶやいて、サングラスを外した。そして「でも、マニア向けでも、当たればでかいんすよ」と、なかば自分自身へ言い聞かせるように、それでも俺の目をはっきりと見据えて言った。
「無理はしなくていいよ。自分でも感づいてるんじゃない? だって、さっき『それが全く伝わらないのだったら、それに意味はあるのだろうかって?』言ってたでしょ?」
 専門学校生は再びサングラスで目を隠し、つくづく呆れた様子で「おじさん、ガチで意地が悪いっすね。ヤバい」とつぶやく。
「でも、感謝します。こんな話をしてくれたの、おじさんがはじめてですよ」
「そうかな? 俺がいいそうなあれこれなんて、もう誰かがあなたに話してると思うよ。まるっと、全部」
 専門学校生は「そういうところ、マジヤバイ! おじさんって、マジ意地悪いっすよ。自覚ないんスカ?」と、苦笑する。
「学校の先生やクラスメイトとはこんな話しないの?」
「しないっすね」
 即答である。
「みんなポジティブなんすよ。そりゃ『すごい! ヤバい!』って言ってくれるのはうれしいし、先生も『ちゃんとポートフォリオをまとめてメディアに持ち込みなさい』と言ってくれるんすけど、でももっとずっとヤバい、すごいカメラマンでも無償だったり、大会に金を払って撮影してるんすよ。そういうの知ってると、やっぱね……」
「それは、作品を公表しなければ確かめられないとは思わない?」
 専門学校生は「ですよね」と口先だけでうなづきながら、ため息ひとつ。そして「わかってるんですよ。でも、レスポンスが寒いとやっぱね、コールしてもね。それに、お金もヤバいし、カメラもレンズも……借金まみれっすよ。まず、確かめるまで生き延びられるか、なんすよ」と、力なく続けた。
 俺はただ「せやな」と返すのが精一杯だった。
「それに、おじさんは確かめたんすか? それ」
 ふと気がついたように問いかける専門学校生は、どことなく勝ち誇ったようなラッパーポーズを決めている。
 俺は危うく『君のような勘のいいガキは嫌いだよ』なんて、彼女には絶対に通じないネタで返しかかったが、なんとか踏みとどまった。それとも、本当にわからないかどうか、言ってみなければ確かめられなかったろうか?

 撮影後、専門学校生とふたりで俺の事務所へ行き、インスタントフィルムをスキャンした。とはいえ、彼女は書棚の写真集などに夢中で、スキャン作業はすっかり俺まかせだったけど、まぁそういうもんだろうと思う。そして、スケボー映画の公開時に頒布されたインスタントフィルムの写真集を目ざとく見つけ、やたら物欲しそうにながめていたから、なんとなくプレゼントしてしまった。
 実は試写会で配っていたからもらった写真集だったとか、フォトグラファーの没後に出た作品集のほうが大きくて印刷もよくて、解説もしっかりしてるとか、そういうあれこれは黙っていて正解だったろうと思う。とはいえ、専門学校生がやたらと「いいんですか、マジスカ?」なんて言ってたもんだから、よせばいいのに販売サイトで古書価格をチェックしてしまった。

 ヤバい……個撮モデル代にしたら、倍か、それ以上の値段がついてる。

「これって、事実上の有償撮影だよなぁ」

 専門学校生の成功を願いながら、妙にけちくさい思いをもてあます俺を、もうひとりの自分は脳内で面白くて仕方なさそうにながめている。そいつの眼差しを感じながら、俺はひとりつぶやいていた。

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