見出し画像

「いいね」の数が自分の価値じゃない

昨日エックスで、旧Twitterであるラジオ番組についてポストした

午後、13:00〜14:55 からやっている

山崎怜奈の誰かに話したかったこと。


というラジオを聴いていて、僕はこの山崎さんのラジオが最近、気になってハマっているから、それについてポストしたんですが

凄く…軽くバズった?と言っていいのか
でも狙ってやろうとかそんなこと全くなかった
ただ、単純に自分がポストしたいというか思ったことをあげたら、信じられないくらい、いいねが来て

なんだかどこかでだれかが言ってたなぁ
狙ってバズろうと書いたモノより、いい加減に軽ぅ〜く書いたやつがなんかバズったとか。

僕としてはまあ、やはり嬉しかったよ
やっぱり、いいねやリポスト?ってゆうんだっけ、リツイートは
そのように色んな人が見たり、いいねをくれたことは…うん。

素直に嬉しい…と言っていいのか
本音の本音を言うと、嬉しい反面、ちょっと怖くなった

理由は自分は顔も出してるし本名だし
なんだか、エックスを開くたびにお知らせに、いいね…いいね…いいね…

タイトルにもあるように
ああ…

こんなもんか

って思った。


いいねがどれほど来ようが、なんだか、やっぱり嬉しくないなって
慣れた?って言ったら変なんだけど
正直、なんというかお腹いっぱいというか

この軽くバズった?みたいなのはまえにも一回だけあった

ラーゲリより愛を込めてってゆう映画が僕は大好きで、主演の二宮和也さんの演技がとてもよくて、そのことでツイートしたら、凄く、いいねやリツイートされた。

その時もまあ、最初は嬉しかったけど、やっぱ怖くなってた…かなぁ。
その時も、あんま別に嬉しくはなかったかも
やっぱり、こんなもんかと。

いいねがいっぱいある人を羨ましく思うことはいくらでもある、承認欲求と言えばそうなんだよね
でも、自分の価値はネットでのいいねではないし
たまたま、軽くバズっただけであって

俺のことは別に知らないだろうし、まあプロフィールとか俺の垢に入って覗いたひともいるだろう

でも、やはり思うのは、やっぱり直接、目と目を合わせて、いいね!って、ありがとうって言われる方が何倍も僕は嬉しい

だからこそ、数字に踊らせられてはいけない
いいねが自分の価値とやっては行けない

まあ、世の中は様々だから
いいねが貰えて嬉しいひともいるだろうし

僕は、いいねは貰いたいけど、別にバズるほど貰っても嬉しくはない人なんだなって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?