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大林宣彦『彼のオートバイ、彼女の島』

スクリーンに浮かぶ、ちょっと先の桃源郷

これも、若いときはみなかった映画。
コウの見る夢はモノクローム。
モノクロのシーンには、コウの夢想が混じっている。
あの時代にこの映画をみて、オートバイに乗らずにはいれなかった若者がたくさんいただろう。
12歳のときに私は16になったら、オートバイに乗ろうと思っていた。この映画をみたことはなかったけど、私のオートバイに乗る気持ちの源流をたどると、知らないうちにこの映画もそのひとつとしてあったのだろう。
棒読みのようなセリフは、同じ大林宣彦監督『HOUSE』でもそうだったし、くさいセリフは片岡義男の小説だからやむなし。棒読みでくさかったりするのに、そんなの痛くも痒くもなくぶっ超えて、オートバイや青春は「いつも本気じゃないと、手痛いしっぺ返しをくらう」、その生々しいようなアトモスフィアを大林宣彦は表現しきってる。
オイルショックを通り過ぎ、資本主義を謳歌する大量消費社会の80年代において、CMや商業的な成果を残そうとするなら、この生のアトモスフィアぽい、現実のちょっと先の桃源郷を魔術的にスクリーンに浮かび上がらせる必要があっただろう。

80年代や原作の片岡義男に対する私の勝手なイメージから、舞台は湘南とか江ノ島や米軍のある神奈川かと思っていた。けれど、この映画での彼女の島は、瀬戸内海に浮かぶ生口島や伯方島のあたりなのだそうだ。
主人公コオは音大生設定だけど、それぽくない気はした。この映画をみると竹内力にこんなさわやかな時代があったのか、と思う。なんだかんだいってもヤニぽいのは疲れるので、竹内さんにはこのままの路線でいってほしかったようにも思う。原田知世の姉・貴和子さんがコオの新しい恋人ミーヨを演じている。なお、原田知世、薬師丸ひろ子、この映画に出てた三浦知良の妹役の渡辺典子を角川三人娘というらしいが、当時、私はガキだったので今のいままで知らなかった。年をとって、ミーヨみたいな自由奔放な女の子のかわいさがわかるようになった。女の子は大体においてほぼほぼカワイイんだ。わがまま言ったって、なんだって可愛いんだから。

片岡義男の本は小学生の頃とかに読んだはずなのに、たとえば「スローなブギにしてくれ」とかの内容は見事に憶えてない。そういや、村上春樹の「風の歌を聴け」もあまり憶えてないし、ほかにも憶えていないものは多いからそんなものか。何度も繰り返し読んだ筒井康隆や小松左京、星新一はしっかり憶えてるんだけどな。

その頃、80年代からはやく逃げ出したかった

昔はこの映画をみるよりも、他にみたいもの、やりたいことがいっぱいあった。今はやらなきゃいけないことを放置しながら、大林宣彦作品であることで期待を寄せながらみる。そして、あまり振り返らなかったこの時代の想い出の欠片や破片を探してみる。
1980年代の頃は、子供ながらにクソダサな時代が早く終わることを切に願っていたし、90年代以降は、クソダサ80年代日本がどんどん遠くなっていくことに本気でほっとし胸をなでおろしていた。『彼のオートバイ、彼女の島』を含む、メディアにあふれかえる角川書店の怒涛のプロモーションは、逃げ出したかった80年代の呪術的風景のひとつだ。だから、羞恥心をかきたてるような青々しくて痛々しいのや、原田貴和子さんの極太まゆげはもちろんのこと、長いあいだ正気でみられるものにはなかなかならなかった。
ところがどっこい、ノストラダムスも通り過ぎた2020年代の先日、深夜に数分みるつもりが、この映画を最後まで全部見てしまい寝るのが午前3時を過ぎ、十分に満喫してしまった。こうやって、80年代の青くて痛いような作品をみることができるようになったなんて、やっと十分な距離がとれるようになって私も老いたぜ。…って、いや、…そうじゃないな、と、ハタと気づいた。「これは懐古趣味ではないのだ。これはヴェイパーウェイブ的消費及び批評行動じゃないか」と。

懐古趣味でポンコツ化する自己 言い訳としてのVaporwave

インターネットが高速化して、過去の音楽や映画のアーカイブ(ジャンクな爆安コンテンツ、つまり見紛うことなきゴミとまで言われるものども)に容易にアクセスしやすくなった。あと付け加えると、コロナ騒動で外出しづらくなったときに、韓国ドラマ『応答せよ '97』をみて面白かったから、ということに気づいた。私が観た最初で最後の韓国ドラマであるアレを見て、私のクソカスな80年代も、もしかしてドラマなみに面白かったんじゃないだろうか、と何度も捨て放置しつづけたゴミに価値を見出したのである!たとえそれが盛大な勘違いで、幻想で、まやかしだったとしてもマジックに引っかかったのだ。
とはいえ、アニメ『サウスパーク』でも、中年どもがネットアーカイブでノスタルジーにはまり使い物にならなくなる様子を描く「なつかしベリー」の話が2010年代後半にあったように、懐古趣味の危うさは確かに私にもゆんゆんしてる。『風の谷のナウシカ』の最終7巻で登場するシュワの墓所は、博物館の蒐集室のようだが、いまだとサーバールームなんだろう。その蒐集室がリビングや個室、個人のスマホと常時接続され、その大容量アーカイブが「生」の煌めきをジャンクに埋め、押しつぶし、窒息させる。

プラザ合意のあとのドル円レート150円にまで右肩下がりとなった2023年秋。同じレートでも、いまの社会は、あのなんともいえない刹那的で享楽的な狂乱と煌めきを抜き取られたようでもある。あれからオートバイに乗っていった友だちはミーヨのように、夏と夏のはざま、永遠にループするムービーと凍ったフォトグラフにずっといる。
古ぼけたオートバイに跨る私がいるのは、サーバールームのように、安置室のように、ひんやりとしたやさしい社会だ。


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