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ニキ・ド・サンファルとの奇跡的な出会い

ニキ・ド・サンファルに初めて会ったのは、1981年6月。パリ郊外の彼女の自宅を訪ねた時だった。当時、私は世界各地で女性アーティストに会い、ひとり1枚の肖像を撮影していた。

ニキが1960年代、スウェーデンのストックホルム近代美術館に、2人のアーティストとともに作った巨大な女性像「HON(ホーン)」のことを知り、ぜひこのアーティストに会いたいと思った。結果として10年以上にわたり、ニキを撮影することになったが、今思うと彼女との出会いは、奇跡に近いものだった。

ニキの自宅を訪ねる1か月半ほど前、雑誌の海外レポートの仕事でスイスに出かけた私は、1日だけパリに立ち寄った。市内のポンピドゥー・センター(国立近代美術館)で、当時館長だったポンテュス・フルテン氏に会うのが目的だった。フルテン氏はストックホルム近代美術館の館長だった時「HON」の制作を企画し、ニキが絶大な信頼を寄せている人物だった。

ポンピドゥー・センターに出かけ、受付で70年代に出版した写真集「のびやかな女たち」を広げ、ニキのことでフルテン氏に会いたいと告げると、受付の女性が館長室に連絡を取ってくれた。フルテン氏からすぐに返事があり、女性の案内で館長室に通された。

写真集を見たフルテン氏は、その場でニキに電話をかけ「とても良い関係が
築けそうな写真家が来ている」と伝えてくれた。フルテン氏の直感を信じたニキは、私にパリ郊外の自宅に来るようにと、電話とFaxの番号を教えてくれた。

東京に戻り、ニキとは電話とFaxで撮影の日程などを打ち合わすことが出来た。6月のパリ行きが決まり、現地では作品の取り扱い画廊サミー・キンジュを訪ねるように言われた。ニキの采配で、画廊のオーナーがパリ郊外の彼女の家まで車で案内してくれるという。そこで出会ったニキの印象は今まで何度かエッセイで綴っている。

ニキは私の写真集を見て、喝さいを叫んでくれた。写真集には70年代の日本、ヨーロッパ、アメリカの女性運動の記録と、オノ・ヨーコなど私が出会った女性たちの肖像が収められている。ニキは20代の私がなぜそのような写真を撮影する必要があったのか、瞬時に理解したのだろう。

自宅での撮影の後、ニキから勧められてドイツ、ハノーファーで開催されていた回顧展を見に出かけた。そこで初めて、ニキの初期作品を目の当たりにした。代表作ともいえるカラフルで開放的な女性像「ナナ」が生まれる以前の作品だ。女たちに課せられた役割を体に張り付けた、毒々しくも、もの悲しいオブジェ群。それはニキが通った苦難の道を物語っていた。

展示を見終えた私は、ひとりの女性の自叙伝を紐解いたかのような感慨に襲われた。この時の体験と、ニキが語ってくれた「タロット・ガーデン」の構想の壮大だったこと、この2つが彼女の写真を撮り続けたいと思ったきっかけだった。パリでの奇跡的な出会いは、必然とも思われた。

Niki de Saint Phalle 、 Paris 1981
©️Photograph by Michiko Matsumoto



ニキ・ド・サンファルの映画は「ニキの映画を創る会」メンバーで製作しています。編集作業、完成に向けて、サポートしていただけたら嬉しいです。