204.ブラックマンデー

本稿は、2020年3月14日に掲載した記事の再録です。

このところ連日、世界中の株式市場で乱高下が起きています。日本で、アジア諸国で、欧州で、アメリカで、一日の値動きが10%などという大暴落と大暴騰の日々が続いています。こういう株価乱高下を見ると、あのブラックマンデーの一日を思い出してしまいます。

1987年10月1日、私は転職して新しい会社に勤め始めました。そして、ようやく周りの人の顔と名前が一致し始めた10月20日(火曜日)、前日のNY株式市場の大暴落を受けて、東京市場も3,836円安という空前の暴落が起きました。

社内の雰囲気は朝から騒然としていました。前日のNYの下落率は22.6%で、これは教科書に載っていた1929年の大恐慌時の12.8%をはるかに超える下げ率だったからでした。私はその時、前日のNYの終値が東京市場にどれほどの影響を与えるのかよくわかっていませんでした。上司たちは朝から「これは大変なことになる」と戦々恐々としていました。

その日は、多くの人が市場の怖ろしさを肌で感じた一日になりました。東京市場の下落率は14.9%となりました。私は会社を出て、地下鉄の駅に向かう途中に見た証券会社の電光掲示板に、−3,836と表示されていた光景を今もはっきり覚えています。私自身は株式投資などしたこともなかったので、損をしたわけではありませんでしたが、あまりにも衝撃的だったのでしょう。街角の電光掲示板は黄色い豆電球を埋め込んだ形式のものでしたが、桁違いの数値でも表示できるのだと妙なところで感心したことまで覚えています。

あの頃は、駅のキオスクには夕刊紙の見出しが大々的に貼り出されていて、その日は東京市場の大暴落を伝えていました。電車の中でも人々が手にしている夕刊の見出しは、特大の活字が使われていました。

夜遅く、証券会社に勤めている友人と電話で話をしたことも忘れることはできません。私の友人がいつまで経っても値の付かない株式ボードを眺めながら、「私、こんなの見るの初めてです」と言ったら、百戦錬磨の大ベテランに「俺だってこんなの見るの初めてだよ」と返されたと言っていました。

あの時代は、日本電信電話公社が民営化されてNTTとなり、政府が保有していた株式が売却され、この年の2月には全国の証券取引所に上場し、それまでは一部の専門家しか株式投資などはしていなかったのに、一般の人もMONEYなどという雑誌を片手に投資を始めるようになっていました。街角からは株の値段を伝えるラジオの短波放送がよく流れていました。

そんな矢先に起きたブラックマンデーでした。大学を出て6年目の私は、このあと世界恐慌になるのだろうかと密かに心配していましたが、2日後には過去最大の上げ幅を記録し、翌月曜日の26日には今度は千円以上暴落するなど、株価はその後乱高下を続けました。そして私が心配していた世界恐慌とは反対に、のちに「バブル経済」と呼ばれる時代へ突入していきました。

証券会社の人がひとりで10本くらいの黒電話を肩に乗せて忙しそうにしている様子や、東京証券取引所の中で「場立ち」と呼ばれる人々が、指や掌を使う手サインで売り買いの注文をさばいていく様子などが、よくニュース映像で流されていました。

証券会社に勤めている友人の情報によれば、大学の体育会出身者の屈強な男たちが「場立ち」に選ばれるとのことでした。何千人もの人々が一斉に手サインをして取引が成立していくのは、魚市場のセリと同じように、テレビ画面越しにも活気が伝わってきました。けれども時代の流れで、1999年にはすべて無人のシステム売買に移行しました。


2008年9月15日のリーマンショックは、家に友人を数名招いて、みんなでお料理やお菓子を作って食べておしゃべりしていた時、居間の隅っこで終日つけっぱなしになっていたPCを覗いた友人の「あら大変、リーマンブラザーズ倒産だって」というひと言で知りました。

私はすぐにスクリーンに目をやりましたが、そのニュースはすぐには見つかりませんでした。なぜなら見出しが大き過ぎて、目に入らなかったのです。まずリーマンブラザーズに勤めている友人のことを心配しました。「倒産なら失業保険がすぐに貰えるんじゃないかしら…」などと友人の身の上を考えていて、まさかその後、世界規模の金融危機になるとは思いもしませんでした。この日も月曜日でした。

一旦起きると、誰にもどうすることもできない市場の勢いには度々驚かされてきましたが、私はいつもトンチンカンなことを考え、これが「神の見えざる手」というものなのだろうかと、ただただ茫然としていただけだったように思います。


<再録にあたって>
最近、また株価が上昇しています。相場には、ファンダメンタル分析、テクニカル分析をはじめ、人々が考え抜いたあらゆる数理モデルが応用されていて、それらをすべて理解できたらどんなに楽しいだろうと思いつつ眺めていますが、私の能力ではまったく歯が立ちません。それでも古代から星占いや亀の甲から、今日の金融工学まで、未来を予測したいという人々の欲望には、ある種の愛おしさを感じます。


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