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玉置神社(2) 矛盾だらけの歴史認識

【歴史考察回】

(ご注意:本日の内容は、ある程度歴史のお勉強や歴史考察をされた方でないと、何言ってるかチンプンカンプンになると思いますので、スルーしてください。)

長い間、信じ込んでいた(信じ込まされていた)ことが、実は全く違ったという経験はありますか?
私は、半世紀の間、キリスト教は愛を説く素晴らしい宗教だと信じてきました。教会は組織だし、なんか上滑りな空間だったからあまり好きではなかったけれど、聖書に書かれた教えを心の礎にして生きてきました。

「弱きものを助け、隣人を愛しなさい」
「地の塩、世の光になりなさい」etc…

でも、歴史を勉強し直すと、戦国時代に西洋回りで入ってきたキリスト教(教科書に載っているフランシスコ・ザビエルは有名ですよね。)の布教が占領目的だったとか、古代からキリスト教が政治に利用されてきたり、またローマ・カトリック教会側も政治を利用してきたりと、本来聖書に書かれている神様やイエスの教えを侮るような、愚かな聖者(と呼ばれる者)を崇めるような偽善で満ち溢れた世界の真実に触れるようになって、吐きそうになりました。

子どものような純粋な心で、キリスト者であることに誇りを持って教えに従って生きてきたのに、キリスト教を利用しながら偽善でまみれた世界中の悪の所業を知って、自分の礎を土台から崩されてしまった気持ちになりました。これまでの人生を根こそぎ奪われたと思うくらい絶望を感じました。
それほど私は信仰心深く生きてきた人間でした。
心の拠り所、信じ切っていたものを失って、これからどう生きていいのか、本当にわからなくなっていた時期がありました。

執着とか固執かもしれませんが、何故だか、どうしても聖書に書かれている真実性を疑いたくなかった。何としてでも解明したいことがあった。そういうわけで、いろんなことを調べまくった次第です。
そして、その答えは、日本の中に、日本の歴史書や古い神社の中にありました。
(そのお話は、連載形式にしてまたまとまったら掲載する予定です。)


今日お話しする内容は、もしかすると私の人生の土台がひっくり返されたような個人の小さな話ではなく、国のあり方や国家の根本体制を示す國體(国体)が、ひっくり返るくらいの考察になっております。
(歴史考察にご興味のある方は、あくまでエンタメ考察としてお楽しみくださいませ~)

近年、歴史考察系Youberの方々によって、今まで隠され続けていた日本の歴史の暴露や真実に迫る考察が盛んですが、記紀や偽書認定された歴史書、口伝や風土記といった様々なベースとなる情報は、恐ろしく計算されているのか(もしくは神の御業なのか)はわかりませんが、決して歴史の真実に辿り着くことはできないように難解にはぐらかされていますよね。

著名な書籍をお書きになったような歴史の先生に学んだわけでもなく、私なりに得た知識と現地に足を運んで自分の目で確認したこと、そして、最終的にはどうしても辻褄の合わないことに辿り着いたこと。真実に近いはどうかは別として、そう考えなければ辻褄が合わず、そう考えると全ての辻褄が合う。といった内容になっております。

昨日、玉置神社に行かせていただいた時に、確信しました。

この神社は、天皇家(アマテラス系)の神社ではないと。
でも、天照大御神と神武天皇が本社に祀られています。
通常、天皇家に深い関わりのある神社の鳥居は伊勢神宮の内宮と同じ神明鳥居で、菊のご神紋がどこかにあります。
でも、鳥居は神明鳥居ではなかったし、十六菊のご神紋もありませんでした。
そして、リーフレットには、

◎神武天皇東征の際熊野に上陸後八咫烏の先導にて、この地で十種神宝(とくさのかんだから)を鎮め武運を祈願されたと伝えられています。
◎紀元前37年崇神天皇、王城火防鎮護と悪魔退散の為、早玉神を奉祀されました。依頼、玉置と名づけられました。
◎うんぬんかんぬん、つづく…

動画の中でも「宮(ぐう、みや)」と言わず、「社(やしろ)」と言っていましたし、出雲大社教の社も、稲荷神社もありました。

ちょ、待って!
崇神天皇は、第10代で、AD3世紀~4世紀頃の天皇ってことになってるよね。
古墳時代の天皇だから、古墳もあるよね。それが、紀元前37年???

ちょ、待って!
十種神宝(とくさのかんだから)は、饒速日(ニギハヤヒ)=大歳(オオトシ)=スサノオの息子=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)が天尊から持って来たものだよね。

初代・神武天皇と第10代・崇神天皇は両方とも「ハツクニシラススメラミコト」と言われてるよね。

ということはですね、

神武天皇=崇神天皇=ニギハヤヒ=徐福だったってことで、神武の東征話自体が創られた話だったんじゃないかなって思ってしまった訳です。
そりゃ、あきませんわな。
だって、神武天皇が物部系(渡来系)だったなんて言ったら、日本の国体自体が根底から覆されることになっちゃいますもんね。
日本の国体(國體)が定まったのって、調べてみたらつい最近だったんですよね。


崇神天皇一代で、功績大きすぎるし、それに比べて天照大御神の正統な流れである神武天皇初代統一王なのに、事績的にもなんか影薄な感じするし。

国体(こくたい、國體)とは、国家の状態、国柄のこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系天皇日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。

国体論は、幕末水戸学によって打ち立てられ、明治憲法教育勅語により定式化された。国体は、天皇が永久に統治権を総攬する日本独自の国柄という意味をもち、不可侵のものとして国民に畏怖された。

Wikipedia「日本の国体」より引用

「幕末に、水戸学によって」って…。

その時に天之御中主之神(アメノミナカヌシノカミ)も隠されちゃったし、ニギハヤヒも隠されちゃったし、いろんなものを統合して、「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」と外宮の「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」として祀る ❝ことにした❞ のではなかろうか、という考えに至りました。

教科書に書かれず、親からも語り継がれることなく、日本の信仰は「八百万の神」や「出雲の国譲り神話」なんかでまやかされ、「神宮(伊勢神宮)」と「出雲大社」の2大政党みたいな雰囲気を醸し出し、江戸時代から始まったご利益信仰で「〇〇の神様」で「ご利益は〇〇」みたいな信仰になり、稲荷神社で祀られている神様と伊勢神宮の外宮で祀られている神様は同じ「豊受大御神」(=ツクヨミでもある)なのに、稲荷神社は商売繁盛の神様と勘違いされて「お稲荷さん」とどこにでもあるような鳥居だけに軽くあしらわれる。

それにしても、なんで稲荷神社の神階が「正一位」なんだろう?って過去に一度でも思いませんでしたか?
私は気になって気になって仕方がありませんでした。
稲荷山の頂上に祀られている神様は、名前は違うけど、鞍馬山でいうところの尊天であり、「それ神は唯一にして御形(みかた)なし。虚(きょ)にして。霊有り。」と稲荷大神秘文に、神は霊だって書かれています。

これだけ、アニメにもヒントがちりばめられ、歴史考察好きな人やYouTuberがいろいろと考察し、実際に足を運んで自分の目で確かめるようになっていたら、幕末に作られた「万世一系の天皇」という国体は、若者たちによって、たちまちのうちに崩されていくのだろうなぁ。。。と思った。

玉置神社だけでなく、もうニギハヤヒは隠しきれないところまで表に出てきてしまっている。
ニギハヤヒがこれだけたくさんの隠れた場所で、名前を変え、様々な場所で見え隠れし始めてしまったら、もう止められないんじゃないかな。

でも、だからこそ、

「全部、嘘だったんか!!!!!!!!」とショックを受けたり、嘆いたり、私のように絶望したりするのではなく、

結局、一つの神様(神なるもの)を3つに分けたり、7つに分けたり、最終的には八百万(無限)に分けて見たけれど、全てであり、一つだったんだから、ま。えっか。

という状態になれば、一番いいのになぁと思います。
古代から日本には、間違いなく世界中の人々がやってきて、文化や技術や宗教や知識が入ってきています。その中にはもちろんユダヤ(の色が濃いが)もいますし、中国の道教もゾロアスター教もヒンドゥー教も、古代キリスト教(景教)も、ぜーーーーーーーーーんぶ混ざり込んでいます。
そして、土着にあった自然信仰とも融合して、今の日本のカタチが創られてきたことに、誇りを持って、日本という国を護ってきてくださった先人たちに敬意と感謝の気持ちを持って、

そーやったんや~
そーいうことやったんならしゃーないなぁ~
でも、日本ってすごい国やんなぁ~
うちら、その血やDNA受け継いでんねんなぁ~
未来に向けて、どの国の人たちもリスペクトして平和でおれるように、自分らのこともリスペクトしながら、仲良くしていこうな~

って、なったらいいな。

もう、ええやん。
敗戦国なんやから。これだけやられちゃってるんだから。
YAP遺伝子はちゃんと受け継いでるけど、天皇家はアマテラスから下った神武天皇からの万世一系じゃありませんでしたって、そろそろばらしてもええんちがうかな。

って、早いか、まだ(汗)。

でも、これだけ回答に間違いがありますのに、間違ったことを子供らに覚えさせるのって、どうなんやろねぇ…

どの情報をベースに深掘りするかで、話はやおよろずに展開していきます。
全ての歴史が正確な状態で解明されることなどありません。
だから私の考察はあくまで私が感じて考えたものに過ぎないのと同時に、著名な人々の考察だって同じことです。
どれだけ研究しても、ベースとなる文献に書かれた内容が真実かどうかなんてわからない。

これからの時代に大事なことは、正しさの振りかざしではなく、互いを認め合い、譲り合い、尊敬し合いながら、調和していくことだと私は思う。

あっ!
恐ろしく長い文章になってしまいました(汗)

今日は最後まで読んでくださった方は、そうとうな歴史マニアか、歴史考察マニアだと思いますが、ありがとうございました。

あくまで、エンタメとして、お楽しみくださいませ。
何が正しくて、何が間違ってるなんて、だれにも分からないことですから。

明日からは、また普通の記事に戻ります(^^)

ほな、またね。ありがとう。







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