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汚れは新陳代謝②

②アマテラスときどき瀬織津姫

1-2【新陳代謝②】

こんばんわ。今日はとてもきれいな満月です。

昨日の続きです。
前回は、「掃除=排泄」というお話をしました。


排泄が毎日ちゃんとできてると、健康であるばかりか、毎日快適に過ごすことができます。
健康で毎日が快適だと、不機嫌になることも、メンタルが凹むことも少ないし、例え重力波(ネガティブなこと)が押し寄せたって、フっ!吹き飛ばせるくらいの免疫力だってあります。

気持ちや心が「やらなきゃオバケ」に脅かされることもないから、常にポジティブな気持ちで何かに取り組むことができる。
そう、メンターが仰っていた「ゼロポイントに戻す」というのは、

何かをする→元の状態に戻す。
(元の状態=清潔で整っている状態・自分の一番調子の良い状態)

ってことだったんです。
いわゆる、楽器のチューニングですね。
常に、すぐに演奏できるように整えておくということ。

自分の身体で例えると、「ノンストレスで、すぐに活動が開始できる状態」にしておくということです。

毎日掃除をしていても、クイックルワイパーのシートには、

「こんなに汚れますか、一日で!?」

というくらい埃や髪の毛や猫の毛でシートが汚れます。
目立たないから汚れてないのではなく、生きている(生活している)限り、毎日確実に汚れは溜まります。
人間のアカ(垢)みたいなもんですね。

だから、生活の一部に ❝ 必ず ❞ 取り込まなければならないものだったんです。
セットだから。
でも後回しにしたり、多少溜めたとしても、お仕置きはないし、挽回できる代物でもあるから、って、侮ってたんですよね。(少なくとも私は)

朝起きて、顔を洗うように、掃除からスタートしなければならなかったんです。もともと、昔家を守っていた女性は当たり前にやっていた。
玄関前を掃く、玄関の扉を拭く、玄関を掃除する、トイレ掃除をする、窓を拭く、ハタキで埃を払う、窓を開けて空気を入れ替える。
全部、やっていました。

これは、身体の健康的にも、心身を整えるためにも、願望を叶えるためにも、人に親切にできる心の余裕のためにも、理にかなったことでした。

そうです。新陳代謝です。
新陳代謝は、この世の全てのものの活動です。
全てのモノは生き物も工業製品も全て、あらゆるもの全て、生まれて、変化(活動・使用)しながら、無になります。例外はありません。
そして、また次のものが生まれるのです。

片付けや掃除を、人間にとって最大に重要な「排泄」と捉え、「新陳代謝」をしていると考えれば、やらずにいるだけ、「不浄」「不調」「不幸」「諍い」「争い」「お金がない状態」「イライラ」「不安」といった、ネガティブなものを引き寄せて溜まっていくのです。

これって、各種宗教の教えにも、引き寄せの法則的にも、スピリチュアル的にも、ゼロポイントフィールド的にも各種あらゆる法則に全て当てはまると思いませんか?

「ワクワク」も「トキメキ」も「アファメーション」も全て良いこと。
でもそれらは排泄ができてからの話です。
便秘状態でいるのに、良いことだけを取り入れることに一生懸命になるのは、この世の摂理にかなっていないと思うのです。

だから、掃除や片付けが「幸せを呼び込む」ということが書かれた書籍がたーっくさんあるのですね。
本を読んでモチベーションあげても、三日坊主で終わっちゃう人は、是非この「摂理」を頭に浸透させてくださいね。

生きること(生命活動をすること)と汚れることはセットだから、最初から「汚れたものをキレイにする、整える」ということも、セットで時間配分をしておかなければならないということ。

そうすれば、澄んだ水の流れのように、汚れ(よごれ、けがれ)が溜まることはないし、心や波動も常に軽い状態を保つことができるから、わざわざ高いお金出して、セミナーを受けたりしなくてもいいし、ああでもない、こうでもないと悩む必要もなくなります。
(セミナーで生計立ててる方には申し訳ないけれど。)

「そうは言っても」

はい。圧倒的な人はこのように言います。
その後に続く言葉は何でしょうか?

「時間がない」「余裕がない」「他にやることがたくさんある」

ですよね。

そう言っている間は、結局ずーっと、この世の摂理に反し続けることになるんですよね。

呼吸と同じように、先に吐いてから吸うように、
当たり前だけど、片付けや掃除(浄化・排泄)をしてから、次のことに取り組む。
そのようにこの世の仕組みが❝できている❞ のです。

店内や商品が埃まみれのお店と清潔に保たれているお店では、どちらのお店でお金を落とそうと思いますか?

外でトイレを借りる時、トイレが二つあったとして、片方は汚れてて、片方はキレイで清潔だったら、どちらを使用しますか?

なのに、自分の家は汚いことが許せちゃう。って、おかしいですよね。

「神様」がいるいない論争はさておき、
自分と神様(神なるもの)と全ての「モノ」が同じであり、一つ、ということは、今目の前にある「モノ」も自分の身体の一部ということです。

自分の身体をケアしたり、メンテナンスするように、「家」も「モノ」も常にいたわってあげましょう。
それらも全て周波数でできていますから、ひとつひとつのモノたちを丁寧に扱って、この世に生まれた時(あるいは新品の状態)にしていってあげると、必ず対象物も「嬉しい」「ありがとう」と喜びます。
すると、少しずつだけど、キレイになるとご褒美ポイントは必ず溜まり(波動は上がり)、間違いなく良い方向(幸せな状態)に導かれます。

そういう風に、世の中の仕組みができているのです。
(神様はそのように創られたのです)
プログラムを書く人ならわかると思いますが、最初に設計しますよね。
この世に普遍的に在り続けるものは、神様が創られたプログラム(自然の摂理)ということです。
地球ができてから、ずっと無くならない面倒なこと。
これは、イジメなんかじゃありません。
人間がそれをすることによって、確実に「良き」ことになるための法則だったんです。

私は、
アマテラスは「生命・活動エネルギー」
スサノオを「人間活動」
ツクヨミを「摂取と代謝と休眠」
セオリツヒメを「元に戻す力(清め・禊ぎ・祓い)」

と解釈しているのですが、そう考えると、日本や世界の神話の神様は、全てこの世に「在る」実在を分けて表現されているのではないかと思えてくるのです。
そして、八百万(やおよろず)であり、一つであり、全体であり=わたしである。
ということ。

一瞬未来の自分が喜ぶ方を常に選んで行動する。


これは、とても全ての成功・幸福・願望実現のために、理にかなって有益なことです。

ずっと先の自分が喜ぶ方を優先する前に、「今」、一秒後の自分が喜ぶ方を喜んでやる。
というステージに立って演じていると思えばいいのです。
これができていると、本当に幸せな状態が持続します。
たとえ横やりが入ろうと、重力波使いの人間が自分を貶めようとしても、ステージは続いているから、また元に戻るように「目の前」に集中するのです。
だって、便秘は、嫌ですから~。

つづく。

私の戻る場所は「光に向かって、感謝しつつ、はげむ」です。
あなたの戻る場所は何ですか?

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日から、また新しい一週間が始まりますね。
それぞれの道、それぞれの段階で、良い風を自分ではない何かに吹かせられるよう、がんばっていきましょう。(情けは人の為ならず、ですもんね。)

~祇是未在~


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