ARIトレイ・ロブロ監督は古田敦也をどう紹介したのか?

古田敦也さんが、米国MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスのスプリングトレーニングの臨時コーチとして招聘されました。

https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12145-2191194/

ダイヤモンドバックスの監督を務めるトレイ・ロブロが、2000年にヤクルトスワローズでプレーした縁で、同僚だった古田さんを招いたものです。

ロブロ監督が、集まった現地のメディアにどのように古田さんを紹介したか、振り返ってみましょう。


My favorite story from Spring Training... D-backs manager Torey Lovullo renews friendship with Japanese teammate. They didn't speak in person for 23-years, until Atsuya Furuta arrived a week ago. @12SportsAZ @GaijinBaseball @sundaylive_tv @tokyoswallows https://t.co/8oau2mTjYV pic.twitter.com/djuL0d389a

— Cameron Cox (@CamCox12) February 22, 2023

トレイ・ロブロ:
私は、とても信頼できる友人関係を築いたと思います。
そして、その国を離れるときに、ある種の心配をすると思うのです。
出会った人たちに、どんな印象を与えたのだろうかと。
それから23年後、私はかつてのチームメイトのひとりに招待状を出したことを誇りに思っています。
もう一度言いますが、この野球というゲームでたくさんの良い人たちに出会えば、その友情は大切なものです。
私はこの特別な選手(古田のこと)に話しかけたときのことを、2000年5月に広島の球場でラインアップから自分の名前が消えたときのことを思い出します。
日本球界のスーパースターだったこの選手に、私は自分の現役が終わりに近づいていること、年を取って使い物にならないこと、そしておそらく数年後にはアメリカに戻って監督になること、もしそうなったら、何らかの形でスタッフに加わってもらえないか、と説明したんです。
そして、かつてのチームメイトであり同僚、今では友人でもある古田敦也さんが、ゲストインストラクターとしてこれから2週間、参加してくれることになり、私は本当に光栄に思っていますし、謙虚な気持ちにもなっています。
そこで、このジャージを彼にプレゼントしたいと思います。
(古田に来るように促し)どうぞお越しください。さあ、どうぞ。

ということで、メールを通じて、友人関係を通じて、彼を探し出して、招待して、ここ数日、ここに来てもらっているというのが私の自慢です。
彼は2週間はここでキャッチャーを指導することになりますが、彼のことを調べてみて欲しいのです。
(背中に"FURUTA" と書いてあるジャージを指差し)ここに彼の名字が書いてあるのを見たら、彼のことを調べてみてください。
(日本のプロ野球における)彼の成績を評価してください。
ようこそ、アメリカへ。ようこそ、ここにいてくれて。

古田敦也:
(笑いながら登場)
やあ、皆さん。
お会いできて嬉しいです。
こんにちは、ダイヤモンドバックスファンの皆さん。
私が古田です。
プロ野球選手として東京ヤクルトスワローズというチームで18年、プレーしました。
監督も2年務めました。

ロブロ:
私は2000年に彼と一緒にプレーしましたが、彼は歩くコンピューターでした。
私は彼に言いました。彼が知らないうちに、私がどれだけ彼を観察し、どれだけ感銘を受けたかと。
そして彼の頭の中にあるものを引き出して、それを我々のチームに与えたいんです。

古田:
私たちは、「ああ、ロブロが夢を手に入れたんだ!」 と驚いています。
彼はとても努力家で、日本の野球のためにとても真剣にやっていました。
彼のスタイルが大好きです。ここで彼をサポートできるなんて、本当に幸せです。

(ロブロに向かって)チャンピオンリングを手に入れたら、チャンピオンリングを日本に送ってください。約束できますか?

記者たち:
(爆笑)

ロブロ:
約束しますよ。

古田 :
OKです。

ロブロ:
OK、ありがとうございます。
(ロブロと古田、ハグをする)

こんな感じですが、このスピーチを聴くと、ロブロ監督がスワローズ在籍時に、古田さんに対して如何に尊敬の念を払っていたかがわかります。
ロブロは記者たちに、「彼の名前で成績を調べてみてくれ、本当にすごいんだから」とまで念を押しています。

ロブロは1988年にメジャーデビューして以来、ユーティリティの内野手として、ほぼ毎年のようにチームを移籍して7チームを渡り歩いた、いわば「ジャーニーマン」ですが、キャプテンシーの高い選手でした。
35歳となった2000年にスワローズでプレーし、開幕当初は打率3割近い成績をキープしていましたが、5月に入ってから成績が急降下。
結局、そのシーズンは29試合の出場に留まり、そのまま退団、現役を引退しています。

ロブロ本人が、2000年5月の「広島の球場」でのエピソードを克明に語っていますが、おそらく、5月下旬の福山市民球場、広島市民球場での3連戦のことだと思われます。
福山市民球場で行われた5月23日の試合で、スワローズが1-2と1点ビハインドで迎えた9回、二死でロブロは代打で登場して三振に倒れています。
その後、残り2連戦でロブロの出番はありませんでした。
ロブロは開幕して2か月で自らのプレイヤーとしての限界を悟ったようですが、わずか短期間で、日本の野球、そして、同じ1965年生まれの古田さんのプレーに感銘を受けているのです。
ロブロは、「彼は知らないだろうが、私は古田に張り付いて、繰り返し、繰り返し観察していた」と言っています。

2000年当時、日本のプロ野球からはMLBには投手として野茂英雄さん、佐々木主浩さんなど9名がプレーしていた程度で、野手のイチローさん、新庄剛志さんが渡米する前年のことです。

日本の野球ファンですら、MLBと比較して、日本のプロ野球全体のレベルに懐疑的だった時代に、メジャーリーグを経験していたロブロがここまで日本のプロ野球、そして古田さんの野球選手としての能力に評価を払っていたのは驚くべきことだといえるでしょう。

ロブロは現役引退後、指導者の道を目指し、マイナーリーグの監督やメジャーのチームのコーチを経て、ボストン・レッドソックスのベンチコーチを務めていた2015年、シーズン途中から代行監督に就任し、念願の監督業に就きました。
その後、2017年からアリゾナ・ダイヤモンドバックスの監督に就任、低迷していたチームをいきなりポストシーズンに導く手腕を見せます。

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/mlb/2017/07/23/___split_6/index.php



その頃、ロブロはすでに監督という仕事に興味を抱いており、ヤクルトでの経験を事細かくノートに記していた。

「日本での経験は、私に新たなたくさんのことを教えてくれました。練習の仕方、ゲーム中の細かな気遣い、いろんな状況に備えることの大切さなど......起こりうる可能性があるすべてのことに対しての対処法を教えてくれました」

そしてロブロはこう続けた。

「私は、日本野球の徹底した教え方が好きだったんです。ただ、本塁打を打てばいいということだけじゃない。守備や走塁の細かさ、そして勝つことに対してのこだわり。日本の野球は、私に新しい知識を与えてくれました」


ロブロは実際に監督として、メジャーの試合で、スワローズで習ったプレーを実践に移します。
守備で迎えた一死一、二塁で、バントの小フライを内野手がわざと捕球せずにダブルプレーを狙うという「トリックプレー」です。

「ヤクルトで練習したプレーのうちのひとつでした。アメリカではこういったプレーについて話はするのですが、実際、練習することはほとんどありません。私が日本で学んだことは、練習はプレーのレベルを確実に引き上げるということです。だからキャンプ中、こういったプレーをただ話すだけではなく、実際に練習することにしたんです。ここでは言えませんが、ほかにもいろんなプレーを練習してきました。常識的なプレーであっても、練習するのとしないのとでは違います。実際にそういった状況に直面したときに、驚かず対処できるんです。練習することの大切さも日本で学んだことのひとつでした」



ロブロはもっと早く、古田さんをコーチとして呼びたかったようですが、コロナ禍で遅れてしまったようです。
古田さんは、ロブロがMLBで監督をやるとまでは思っておらず、当時、ロブロの「オファー」を社交辞令と受け取ったのか、"NO, NO"と答えていたようですが、こうして、ロブロが義理堅く約束を守って、古田さんをコーチとして招聘したのは「本気」だったということでしょう。

それにしても、日本人メジャーリーガーならいざしらず、古田さんは渡米経験もなく、普段は英語を使う機会もあまりなさそうですが、ネイティブの記者たちを目の前に、ここまで英語でスピーチできるのも、堂々たるものです。
(勿論、多少は準備はしていったでしょうが)
しかも、記者やカメラの前で、「(優勝したら)チャンピオンリングを日本に送ってくれよ」とジョークを飛ばす余裕もあり、関西人としての面目躍如と言ったところです。

古田さんは野球解説者はもとより、ビジネスパーソンとしてはカラオケ大手の"DAM"を運営する第一興商の社外取締役を務めたり、民放のドラマでも俳優を務めたりする傍ら、古巣スワローズの臨時コーチを務めているものの、やはり「本業」からは長らく遠ざかっている恰好になっています。
そろそろ、復帰していただきたいものです。


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