【祝・80歳】ボブ・ディランとベースボール・野球をつなぐ「点と線」


今日5月24日は、ミュージシャンのボブ・ディランの80回目の誕生日である。
私はボブ・ディランのつくった膨大な楽曲をすべて聞いたわけでもないが、彼が日本にライブツアーに来る度に、ライブ会場に駆けつけるほどにはファンである。

ディランの野球好きは有名で、2004年には米国のニューヨーク州にある野球殿堂を擁するクーパースタウンを皮切りに、米国内のマイナーリーグの球場を数十か所、廻るライブツアーを敢行している。

そして、ディランは日本のプロ野球とも接点を持っている。
えのきどいちろうさんがかつて文春野球コラムでも書いているが、ディランは2014年春の日本ツアーで札幌を訪れた際、4月12日に札幌ドームで行われた、日本ハム対西武戦をお忍びで観戦している。

ボブ・ディランが札幌ドームにやってきたあの日のこと
文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019
https://bunshun.jp/articles/-/14415

その試合は、日本ハム・大谷翔平と西武・菊池雄星という、花巻東が生んだ、のちの日本人メジャーリーガー二人が先発として投げ合うという話題のマッチアップであった。ディランがお忍びで観戦したいというので、当初、貴賓席があてがわれたが、ディランが「よく観えない」と言ったということで、わざわざ、一般客と同じバックネット裏まで下りて観戦し、しかも、自ら希望して、名指しで陽岱鋼と中田翔の選手名入りタオルをお土産に持ち帰ったという。
その試合、彼らのプレーを観て気に入ったのだろうか?
というのも、その試合、3回に中田翔は先制のタイムリー安打を打っているし、陽も先頭打者として3安打を放っている。もしかしたら、二人の活躍は、ディランの印象に残っていたのかもしれない。

では、ディランには、メジャーリーグで贔屓のチームがあるのだろうか?
ディランは、五大湖周辺のミネソタ州出身なので、ご当地のチームといえば、前田健太が所属するミネソタ・ツインズか、デトロイト・タイガースだが、あるインタビューでは本人曰く、「デトロイト(タイガース)が好き」だという。
好きな監督は「オジー・ギーエン」を挙げている。ギーエンは2000年代当時、シカゴ・ホワイトソックスの監督を務めており、2005年には88年ぶりのワールドシリーズ制覇をもたらし、井口資仁のボスだった人物である(監督としての手腕は高かったが、失言・暴言が多い人物だった)。
また、好きな選手については、直接的な言い方ではないが、当時、まだ現役だったヤンキースの遊撃手、デレク・ジーターを挙げている。
「デレク(ジーター)のことを嫌いな人なんているのかな。誰よりもチームに入れたいよね」と、ディランらしい、まわりくどい婉曲的な表現ながら、ジーターのことを称えている。

ディランは1991年に、未発表のスタジオアウトテイク曲ばかりを集めたアルバムを発表した際、「キャットフィッシュ(Catfish)」という1975年に録音した楽曲を収録している。

「キャットフィッシュ」とは英語で、「なまず」を指す。なまずの髭が猫の髭のようだからだが、だが、ここで言う「キャットフィッシュ」というのは、かつてのメジャーリーガーである、「キャットフィッシュ・ハンター」という投手のあだ名を指しているのである。

キャットフィッシュ・ハンター(Catfish Hunter)は本名をジェームズ・オーガスタ・ハンターというのだが、趣味がナマズを釣ることだったことから、ハンターが所属していたアスレチックスのオーナーのチャーリー・O・フィンリーが、「おまえはキャットフィッシュ・ハンターだ」と呼んだことが由来らしい(名作ドラマ「太陽にほえろ」で、七曲署に赴任してきた部下の刑事にあだ名をつける、石原裕次郎扮する「ボス」こと藤堂俊介係長のような人である)。

ディランがつくった「キャットフィッシュ」の歌詞は冒頭からこんな感じだ。

気だるいスタジアムの夜
キャットフィッシュがマウンドに立つ
「3ストライク」と審判が言う
バッターは戻って座らなければならない

キャットフィッシュ、百万ドルの男
キャットフィッシュのようなボールは誰にも投げられない

(略)
カロライナで生まれ育った
小さなウズラを狩るのが好きで
100エーカーの土地を持っている
狩猟用の犬も売っている。

レジー・ジャクソンがプレートに立つ
カーブしか見えない
スイングは早すぎても遅すぎてもダメだ
キャットフィッシュが出した料理を食べよう

ビリー・マーティンもニヤリ
フィッシュが試合に出れば
毎シーズン20勝
殿堂入りも夢じゃない
キャットフィッシュ、百万ドルの男
キャットフィッシュのようなボールは誰にも投げられない

では、何故、ディランは、自身の歌の題材に「キャットフィッシュ・ハンター」を採り上げたのだろうか? ハンターのことがお気に入りの選手だったのだろうか? 

どうも定かではない。

だが、それを探るヒントが、ディランの発言の中にある。
ディランはインタビューで野球について尋ねられた時、こんなことを答えている。
「野球チームのまずいところは、選手がみんなトレードで出たり、出されたりすることさ。自分が好きだったチームには、自分が好きだった選手はもういなくなってしまった。それでは、お気に入りのチームであり続けることはできないだろ。お気に入りのユニフォームみたいなものだよ」

キャットフィッシュ・ハンターは、カンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)に投手として入団し、1965年、19歳1か月でメジャーデビューした。翌年は20歳の誕生日を迎える前に、開幕投手を務めた。3年目からは8年連続でシーズン二桁勝利を挙げ、しかも、7年目からは4年連続でシーズン20勝という大投手に成長していた。その間、アスレチックスが西海岸のオークランドに移転した1968年、ハンターは完全試合も達成し、1972年にはアスレチックスの40年ぶりのワールドシリーズ制覇にも貢献した。チームは翌年もワールドシリーズ2連覇、そしてさらに翌年1974年、ハンターは最多勝と最優秀防御率のタイトル2冠でチームはワールドシリーズ3連覇と、まさにアスレチックスの黄金時代を支えたのである。
アスレチックスはまさに絶頂期を迎えていたが、ここで大きな問題が起きる。名物オーナーのチャーリー・O・フィンリーが、選手たちの活躍に年俸で報いようとしなかったからである。
しかも、ハンターは「契約通りに給与が支払われなかった」として、調停委員会に申し立てを行った結果、球団の契約違反が認定され、すべての契約事項は無効という審議が下された。ハンターはMLB史上初のフリー・エージェントとなったのである。
当然ながら、複数のチームがハンターをめぐって、争奪戦を繰り広げた。その結果、29歳のハンターは、5年という長期契約、かつ当時としては破格の年俸となる375万ドルで、ニューヨーク・ヤンキース入りすることになった。ハンターのそれまでの年俸は10万ドルであったので、ほぼ7.5倍である。


ハンターはヤンキースに移籍すると、最初の1975年のシーズンでいきなり25勝を挙げ、2年連続となる最多勝のタイトルを獲得、キャットフィッシュを手に入れたヤンキースはビリー・マーティン監督の下、「ミスター・オクトーバー」ことレジー・ジャクソン(二人とも「キャットフィッシュ」の歌詞にも登場する)らと共に1977年、78年のワールドシリーズ制覇に貢献した。だがその後、若い頃からの長年の登板過多が祟ったのか、急激に衰えを見せ、ヤンキースとの5年契約が切れた1979年のオフ、33歳という若さで現役に別れを告げた。現役生活は15年、ちょうど500試合に登板し、通算で224勝(166敗)、防御率は3.26である。
ディランの預言通り、1987年に野球殿堂入りを果たしたが、1999年にALSが原因で53歳で亡くなっている。

ディランが歌った「キャットフィッシュ」の歌詞にはこのあたりのくだりが登場する。

フィンリー氏の農場で働いていたが、老人は金を払わない
ので、彼は手袋を鞄に詰めて自分の腕を取り、ある日、彼は逃げ出した

ヤンキーたちがいるところに来て
ピンストライプのスーツを着て
カスタムメイドの葉巻を吸って
ワニのブーツを履いて

フィンリー氏とは、前述のアスレチックスのオーナーのことである。
手袋というのは実は野球のグローブのことだろう。
「ヤンキーたち」とは、アメリカ人、アメリカ北部に住む白人、北軍の兵士、ニューイングランド人、などとの意味のスラングである。
ここから転じて、ニューヨークを本拠地にするヤンキースというチーム名になったわけだが、「ピンストライプ」とは、ヤンキースのユニフォームの縦縞のことだ。
つまり、1974年オフの、ハンターの電撃移籍のことを歌っていたのである。
この曲が録音されたのは1975年なので、見事に符合する。

では、ディランはこの曲で何が言いたかったのか?
投手として大活躍しているのに年俸的に不当な扱いを受けていたハンターに同情していたのか、それとも、カネにあかせてヤンキースに移籍したハンターを揶揄していたのか。

正直、よくわからない。ディランのことだから、そのどちらでもないのかもしれない。

話を戻すと、ディランがノーベル文学賞を受賞したと発表されたのは、2016年10月13日だが、その年、北海道日本ハムファイターズはリーグ優勝して、ソフトバンクホークスとのクライマックスシリーズファイナルステージを戦っている真っ最中であった。

奇しくも、その日は中田翔がタイムリー2本を放ち、陽岱鋼も一時、勝ち越しとなるタイムリーを放っていた(試合は逆転負け)。

そして、ファイターズは日本シリーズに進出し、広島カープを破って日本一となった。


いまから7年前、札幌の地でディランの目の前で好投した大谷翔平も日本ハムを離れ、海を渡ってメジャーで二刀流で活躍し、ディランが選手名入りタオルをお土産に持ち帰ったという陽岱鋼はFAで巨人に移籍し、チームに残っていた中田翔も最近、一軍登録を抹消され、その処遇を巡って不穏が噂が囁かれている。

好きな野球チームから好きな選手がトレードでいなくなる。
ディランも、市井の野球ファン同様、そんなことで胸を痛めていた。
そういう複雑な思いが込められた歌が「キャットフィッシュ」なのかもしれない。

そして、まかりまちがって、ディランが大谷翔平の活躍をテレビで目にして、ベーブ・ルース以来の二刀流の登場に触発されて、”SHOWTIME”という曲をつくってくれたらなあ、と思わなくもない。

誕生日おめでとうございます、ミスター・ディラン。
Happy Birthday, Mr. Bob Dylan!
May you stay forever young!


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