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好きなことを好きと言える気持ち、抱きしめてたい


その昔、父親が車を運転すると、BGMはたいてい槇原敬之だった。

好きなことを好きと
言える気持ち
抱きしめてたい

どんなときも(槇原敬之)

何度も何度も聴かされた「どんなときも」の、このフレーズが印象に残っている。

*

わたしは、クラシック音楽が好き。
わたしは、日記を書くことも読むことも好き。

ずっと自覚していたのに、高校生くらいまでは、親にも友人にも大してその熱量は伝えられず、コソコソとひとりで楽しんでいた。

クラシックなんて誰も聴いてないし、日記なんて、メンヘラの代名詞といいますか、なんとなく「痛い」と思われるだろうと思っていたし。

確かに、合唱コンクールで伴奏したり、人前でピアノを披露することは多かったから、「ピアノが弾ける音楽好き」という印象をもたれていただろう。

それから、作文を書いて表彰されることが得意(表彰されるが得意とは、模範の文を書く能力があるということ。文才ではなく、模範文の作成。)だったので、「国語が得意」という印象を持たれていたかもしれない。

しかし、わたしの熱量は、そんな程度ではなかったはずだ。

毎週のように図書館でクラシックのCDを借りてはウォークマンの中をクラシック曲で埋め尽くし、YouTubeでピティナの入賞者記念コンサートの同世代の演奏を聴きまくり、楽譜屋さんに行けば何時間でもうっとりしていられる。ピアノのレッスンは大好きで、行きたくないと思ったことなど一度もなし。

ノート術の本を片っ端から読み漁り、わずかなお小遣いでほぼ日手帳やトラベラーズノートなど高価なノートを買い集め、収納術に関するブログや、同世代の子の日常ブログを読み漁り、自分も日記を書く。そして、どうかどうか、現実世界の知り合いと繋がりませんように、と怯えながら、日記の内容をブログに書き起こし、更新。

部活動やら勉強やら、学校行事やら友人とのマックでの駄弁りやら、バタバタとした騒がしい日常の中に、わずかな時間でもひとりの時間を捻出し、ピアノを弾き、音楽を聴き、ブログを読み、ノートを書いていたあの頃。

その日常の、尊いことといったら。

あの時のわたし、好きだなあと思う気持ちを、現実世界で関わる誰に自慢することもなく、誰に認められることもなく大切にしてくれて、本当にありがとう。

そうして大学に進学し、卒業し、社会人になり、自分も周りも多感な時期を抜けて、アイデンティティを確立させ、周りのことなど一切気にならなくなった今、ピアノの動画をインスタグラムに載せてみたり、ピアノサークルに所属してみたり、日記を書いていることを友人に話したり、公開したりしてみた。

そうしたらおもしろいことに、

ももちゃんのピアノが大好き!と高校の友人たちが声をかけてくれて、自分のインスタグラムでピアノの動画を拡散してくれた。

高校の時ほとんど話したことのなかった人から、いつもピアノを楽しみにしてるから、よかったらもっと載せて、と言われたことがあった。

同じくらいクラシック音楽が好きなクレイジーな人たちと繋がることができた。憧れていた連弾曲や2台ピアノの曲に、気軽に取り掛かることができるようになった。

俺もピアノ始めたよ!と言ってくれる職場の同期がいた。

職場の同僚たちが演奏会に来てくれた。

大学時代の友人が、ノート真似していい?わたしも書くね、と、日記を見せてくれるようになった。

また別の大学の時の友人が、おすすめのノートを教えて、買い物付き合って!と言ってくれた。

就活の自己分析時に大いに役に立った過去の日記を、職場のキャリア教育の際に学生にみせるなどして、活用することができた。


好きなことを、ただただ好きなんだとだけ言っていたら、かつてひとりで楽しんでいただけのものを、誰かと共有できるようになった。

日常が確実に華やかになった。

それから、好きなことを、目を輝かせながら「好きなんだ」と教えてくれる人が増えた。例えば、イモリとか、鉱石とかルービックキューブとか。それはそれは深い世界。

‘’好きなことを好きと言える気持ち、抱きしめてたい’’

槇原、いいこと言うな。

2024年のやりたいこと100個の中に、エッセイを書くこととエッセイ集をつくることを掲げました。

好きなことは胸を張って好きと言っていいんだともうわかったし、やりたいことは、とりいそぎ取り掛かってしまった方がいいと思っている。

だから、日々わたしの日常を華やかにしてくださっている周りの友人知人に、自分からこのnoteの存在を教えることにした。

これまでに日記帳に書いてきたことや、なんてことない平凡な日々の中で感じたことなどを気ままに書きます。

日記帳の写真を載せたりもしたい。読んでくださる人の日常や思考を、ちょっとでもやわらかく華やかにできたら嬉しい。


もちろん、見るのが辛いような日には、そっと閉じて、ブロックして、ご自愛してください。
(エッセイを読むのは、書き手の心の露出をダイレクトに受けとめる行為だし、増してや現実で関わる人の心の露出を受け取るのは、なかなか体力がいると思うので…)

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