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日記の継続に根気は要らない


何かを続けるという時

根気よく という言葉が使われる


私は 根気というものが無い


根気よく続けようと思うと
飽きてしまう


根気よく継続 には、
単調なお決まりの作業が連想される



以前は日記を書く事が続かなかった

まず、3日と続かない



けれど、
ある時から継続して日記を書く事が

苦痛でなくなった


多分 その理由は 
私の好きな備忘録という意識が持てたからだ




会社で仕事をする中で
複数の関連性のない作業を
並行して進める必要が出てきた時


個々の進捗を忘れないように
二重、三重に、備忘録的な進捗管理をしている



日記や日々の生活の記録にも
この意識が活用できるようになった


このところ、
日々の食事や毎日の日記(5年連記の日記帳)を
3年以上継続できている


以前の自分では考えられない記録更新だ


けれど、苦にはなっていない



今の自分にとって
日々の食事や行動記録、簡単な日記は
全て将来の行動のための備忘録なのだ



いつどこを掃除したか
一昨日何を食べたか

3ヶ月前の自分のメンタルは?
体調は?


詳しくなくても簡単な記録が
振り返った時、
今の自分の行動に役に立っている


日記とは本来そういうものだったの
かもしれない


誰かに見せるわけでも無い
自分のための記録に過ぎない


要するに
日記を続ける事ができているのは
今の自分にとって 必要だからだ


根気が良くなったとか
そういう事では無いと思う




ピラティスも続いていた時は
レッスンに行けば
体がスッキリとして
元気になるから



逆に言えば
続かない事は 
今の自分が 本音では
必要としていない事かもしれない


必要は継続の動機づけだ


心から本人が必要と思えば
継続できる

元々の性格や資質の問題ではない


私は飽きっぽくて根気がない


けれど、必要だと思う事は
続ける事ができる


60歳を過ぎて、自分というものが
少しわかったような気がする

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