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捨ててこそ空也  梓澤要著 その一

捨ててこそ空也、この本の題名に以前から惹かれていました。空也とは何者なのか、解決しました。今年の春に[空也上人と六波羅蜜寺]特別展が上野の国立博物館にてあり、そこで京都、六波羅蜜寺の所蔵している、[空也上人立像]にお目にかかりました。六体の仏様が口から吹き出している、なんとも強い印象を与える姿でした。早速本書を取り寄せて読み始めました。

空也上人は、醍醐天皇の皇子なのになどうしてか親王宣下をされず、ほっておかれた。祖父の宇多法皇のみが気に掛けていました。にさいの時、同じ年の藤原氏所生の皇子が皇太子に、立てられた、政敵の菅原道真を太宰府へ追放した、藤原時平が僅か二歳の甥をごり押しして立太子させた。空也上人の母は、勝気で才気走った人、美貌の母は帝の寵愛を自負していましたが、受領の娘が息子の帝位を望むこと自体、帝や周囲には身のほど知らずの思い上がりと映り、醍醐天皇は以後見向きもしなかった。もう一つは空也上人幼名五宮[常葉丸]は菅原道真が太宰府で憤死した年に生まれたので、自分を道真の怨霊の標的年に生まれた恐れた。道真を追放した時平が急死、道真の左遷を撤回させようとした宇多を阻止した蔵人頭も死んだ。これで菅公の怨霊が鎮まったわけがない、いずれ帝やお血筋に、繊細な五宮の神経が、このような声を聞いて耐えられるか、乳母の命婦たちは、不安を感じていました。五宮は、空理の名を持つ祖父宇多法皇の下で仏法を学び始めた、経典を読ませ、自ら解説してくれる。ときには東寺や比叡山延暦寺の僧を呼び寄せて講釈させ、五宮の疑問に答えさせる。ある日歌会に来るように法皇に呼ばれた、名高い歌人たちはもとより貴頸がこぞって参集するので孫の五宮を披露目させようと呼び寄せた。五宮は和歌は嫌いではないし、作るのも苦ではない、現に参加者らは法皇におもねりもあろうが、お若いのに艶やかな趣きと褒めちぎり、そのくせあれがと、意地悪い好奇と詮索にさらされて、来たことを後悔した。歌会始が終わり宴に、なった時に庭に出てそのまま車寄せへまわって邸を抜け出した。牛車に揺られていると、涙がこみ上げた。五条の土手にさしかかったとき、異臭に気づき、嗅いだことのないにおいに、車を止めさせた。それはの野捨ての亡骸を燃やしているにおいであった。ともの道盛が止めるのも聞かず牛車を降りて、近づいていった。茫然と見つめていた五宮は鼻をつく異臭にその場で、うずくまりいやというほど吐いた。それでもなお足が引き寄せられた。このような遊行僧の一団は喜界坊が率い、捨てられた遺骸を荼毘にふすだけでなく,井戸掘りや橋の架け替えなどをして、庶民を救っていた。嫉妬と羨望で追い詰められた母は五宮を虐待し、不安と恐怖を抱えながら成長したという、その母親が自害をする。父にも母にも疎まれ、どこにも居場所がないと感じて、祖父の宇多法皇の説く仏教ではなく喜界坊たちの活動こそ救いがあると考えて出奔、地を這うように暮らしながら念仏を学んでいくことになりました。五宮が二十一になった時の春に、東宮が死んだと風の噂で聞いた。同い年の異母兄弟である、彼が東宮に、立てられたことが自分の運命の分かれ道だった、今では遠い世界の他人事、突然死だったから、また菅公の祟りとおびえた。旱魃や疫病に、あいかわらず見舞われていました。。この年も旱魃による飢饉が民を苦しめた。餓死者の骸がいたるところに転がっている。その秋、五宮が病に倒れた。出奔から五年もともと華奢な体であったのが、生まれから一度も裸足で地面を歩いたことがない、白い足の裏が皆と同じに硬く分厚くいて、病もせずにこられたにもう限界に達した。この遊行僧の一団を率いる喜界坊たちが都へ帰りまずは養生してからだを治せと言ってくれた。都へ帰ると、御所を退いて三才から育った母の実家は荒れ放題の空家になっていた。上がりこんで昔の自分の部屋で疲れたからだを休めることにした。翌日乳母の秦命婦を嵯峨野に会いに行くと、昔のままに温かい手で迎えてくれた。命婦はここでからだを癒すよう、熱心に勧めた。春が過ぎ野山が新緑に染まった中、五宮は尾張の願興寺ㇸ向かった。今一度仏法をしっかり学んで、苦しむ人々を救いたい、仏の教にその答えをあれば確かめたいと決心がついた。南都の寺に行けば何処であれ必ずや法皇のの耳に入り、元の世界に閉じ込められるのは真っ平、そこで学ぶ仏法は、貴蹟のためのものすべての人が等しく救われる仏法を見つけたいのだ。この願興寺にて受戒して[空也]とこの時から名乗る。師の悦良がここではなく播磨の国にある峯合寺ㇸ行、そこに一切経がある。そこで仏法を学んで、自分のなすべきこと進む探せと。峯合寺ㇸ来て四年目の秋、都の秦命婦から醍醐上皇崩御の急報、三カ月前に内裏の清涼殿に落雷があり、上郷達が死傷したとの噂がこの山寺にも伝わった。醍醐帝がそれを機に病に伏したことで、当寺からも叡山の要請で加持祈禱に優れた僧が禁裏の祈禱所に出仕したと耳にした。宮廷も父帝も無関係、自分には無縁の世界。乳母の命婦から崩御されました、とあるだけだった。しかし空也は矢も楯もたまらず京ㇸ向かった。崩御は五日前、宮中を追われ行方知れずになった身なのに、父帝の顔も知らないのだ。それなのに少しでも父帝の側に行きたい。夢中で駆けて四日掛かるところ二日でたどり着いた。初七日の法要が行われているはずだ。朱雀門は開け放たれていた。衛士の制止を振り切って入り込んだ。たちまち囲まれ腕をつかまれた時、一人の上郷がかけよってきた[実頼、お前か]今をときめく摂政関白の嫡男を呼び捨てにしたのに驚き、この薄汚い坊主がただものではないと悟ったらしくてをはなした。藤原実頼が案内にたち、法要の行われている清涼殿ㇸ[ご焼香なされませ]と指さした。空也は正面の階を駆け上がった。喪服に身をつつんだ公卿たちが居並んでいる。全員、はっと息を飲んだが、きずく余裕もなくわらじ履きのまま奥に進んだ。位牌の前には二十人の僧が埋め尽くし、一段高い中央には宇多法皇が、共に大きな声で法華経を読経している、法華経は生前の罪業を消し去る滅罪の経典、空也は立ったまま合掌し、声を張り上げて読経に合わせた。その時法皇の声が止まった。そして静かに振り返ったその目が埃まみれの僧衣をまとった若い僧の姿をとらえた。読経が終る前に焼香を済ませ、そのまま階段を降り立ち去ろうとした。お待ちください、声に振り返ると、実頼が慌てふためいた様子で駆け寄って来る、振り向くと背後の清涼殿の大屋根が黒く焼け焦げていた。あれが落雷の被害か、実頼は息を切らしたまま、空也の前に跪いて、[法皇様がお呼びにございます。わたくしと共にお越しください][自分は世を捨てたただの沙弥なのでお会いせぬと申し上げてくれ]しかし実頼は僧衣の袖をつかみはなそうとしなかった。[是非にとの仰せ、法皇様の御為に、お願いいたします]法皇様は気が弱くなったけっしてお年のせいばかりではないかと、人々は皆、道真の怨霊に恐れおののいている。気丈な法皇も例外ではないというのだ。あのお方が、自分は道真に恨まれる筋合はないと豪語していたのではないか。悪霊など呪法をもって退散させてくれようくらいの気迫は、あるはずではないか、お気弱くならました。空也は会うことに承知した。法皇のところで共に過ごしていた時から十余年、少年から大人に、皇子から貧しい沙弥、実頼は吐息をついた。[実頼、自分が呼んだと言ったな][それがしから秦命婦ㇸ伝えましたので][私に来るように][いえ、ただ、お知らせしてくれと頼んだけです。あなた様は必ず駆け付けてこられると父帝が亡くなられたのを知りながら来ようともなさらぬような、五宮さまはそんなお方ではないと信じていた]という[今日の法要に間に合ってようございました。縁の薄い御父子であられましたから、それゆえせめて、今生のお別れをなさっていただきたいと][ああ、わたしもそう思った。その一心だった]応えた空也の声は、ひどく暗かった。小半刻ほどして、宇多法皇が疲れ切った様子でやってきた。御簾を上げるように近侍に命じ、空也にそばへ寄れと手招きした。[久しいの、五宮]以前と同じ力のある、声と、この目、以前は頼もしく怖くもあった、いまは人を威圧する声に聞こえる。[いまのわたしは空也と申す沙弥にございます]自分自身でつけたというと、[空也とな。空なりか]自分の最初の法名が空理だったことを思い出したのか、法皇は小さく笑った。そして一気に言い放った。[お前の弱さに腹を立てたおのれの、氏素性、出自から逃れるすべなど、この世のどこへ逃げてもありはせぬのに、そんなこともわからぬほど、愚か者であったか。そう落胆した。どこの誰の子に生まれるかはその者の前世からの宿業だ。苦しんでいるのは、ようわかっていた。不憫でならなんだ。朕がせめて安穏に生きていくすべを与えて考えておったに、お前はそれすら察しなんだか]と孫の顔を睨み据えた。[だが、いつかは朕の手の届くところから消えていなくなる、自ら去って行く。予感がしていた]そう言うと溜息をつく、そして訊かれた[仏法は、何を教えてくれた][まだわかりません][そうよそれほど容易いものではないの][いつかわたしがおのれを捨てる切ることができましたら、そのときにはきっと、わかることと][仏法は人間のためにある。現世の福徳と災危消除、死後の安心その三つに利益があってこその仏法だ。違うか][否定はしませんそれのみが仏の教えとは思いませぬ、苦しむ人々を救うために、おのれの全存在を賭す。そのために出家をいたしました。断じて自身のためにではありませぬ][皇子の身を捨て、父帝を捨て、この祖父を捨ててまで選んだ道か、結局おのれのことしか考えておらぬではないか][捨てたのではありませぬ][お救いするためにその方法を見つけるために、そのためにはまずおのれを捨てるしかないと、思い定めてのこと][ほう、朕を救ってくれると]疑念、期待、嘲りと、相反する幾つもの色が法皇の顔に浮かび、揺れ動く。[あなた様だけではありませぬ。わたしはすべての人を救いたいのです。今、その方法を懸命に探しております。かならず見つけます]言い切り、空也は黙り込んだ。そのまま法皇も黙りこくった。そろそろお暇を、と告げ、立ち上がった。もっと話したい気持ちと話したくない気持ちが交錯した。部屋を出て行こうとしたとき、[父を恨むな]法皇がぽつりと言った。[母のこともだ、二人を恨んではならぬ][誰も恨んではおりませぬ。ただ、哀れと存じます]振り返らず答えた。[道真のやつめ、忘恩の輩め]突然法皇が肩を震わせ、吐き捨てるようにつぶやくのが耳に入った。空也はふり返り、鋭い声で[上皇のご崩御も、世人の受難も、天災や疫病も、すべては、断じて怨霊の仕業なのではありませぬ。お考え違いなさいませぬよう][お祖父上様、御身をおいたわり召され、御幼少の新帝をお守りくださらねば]いたわりの気持を込めて言ったが、法皇は視線を落としたまま、答えなかった。もう二度とここへ来ることも法皇とも会うこともないであろう。そう思いながら御所を後にした。乳母の家にも立ち寄らず、そのまま峯合寺ㇸ帰った。

二へ続く



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