見出し画像

煙草は"良い子ちゃん"の武器(前編)

小さい頃から所謂「いい子ちゃん」だった私。

20歳になるまではお酒にも手を出さず
駅前の喫煙所の前を通るときは
いつもしかめっ面をしながら通るほど煙草を毛嫌いしていた。

しかし私は自分がいつか煙草を吸うであろうことを知っていた。

それはきっと両親が死んだとき
この世に生きる理由が見当たらなくなったときである

両親は私に愛を教えてくれた
小さい頃の私は
毎日仕事に行き、自分のためではなく私達のためにお金を使う父と母が
よくわからなかった

父と母はなんのために生きているのか
幸せなのか
なぜ人のためにそこまで尽くせるのか
私には分からなかった

私はそんな両親を笑顔にしたかった
朝ごはんを作ってみても
そんなに喜んでいる感じはなくて
どうしたら喜んでくれるのかいつも考えていた

私は運動も勉強も得意だった
私が優勝したり良い高校に受かったとき
両親はすごく喜んでくれた

だから頑張れた
私の原動力はいつも両親だった


そんな私は先日初めて煙草を吸った。
ここまで両親で引っ張っておいて恐縮だが
両親は生きている。

理由は一言では言い表し難いのだが
自分の存在意義が分からなくなったことが大きい
人生に絶望し、「死にたい」と思った

だけど私には自分で命を絶つほどの勇気はない
そんな私が次に考えることといえば
「いかに寿命を縮めるか」である

良い子ちゃんな私にとって
煙草は最高の道具だった


人生絶望経験者はもしかしたら共感してくれるかもしれないが、
人は人生に絶望すると
涙を流した後は
わけもなく近所を彷徨う

「もう全部どうでもいいや」

公園のベンチに座りながら唐突にそう思った私は
スマホでたばこの吸い方やどの銘柄がいいのかを調べ出した
コンビニでどうやって煙草を注文するのかも調べた

一通り調べ終わった後、
近くのローソンに入り目当ての銘柄の位置を確認しながら
ライターを探した

「〇番お願いします」

思っていたよりも簡単に買えてしまった
煙草の箱は思っていたよりも軽かった

ただ私はまだ吸うのを迷っていた
一度手を出してしまえばもう戻れないと思っていたからだ

歩きながら色々考え
両親が悲しむだろうなという理由から
私はその日吸わずに家に帰った

ただ煙草は
まだ人生への絶望という悲しみから抜け出せていなかった私にとって
お守りのような存在を果たしていた。


後編へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?