見出し画像

102:二次元性が多重に認められる場所

今日も引き続き,F2の映像について考える.昨日は床に敷かれた「砂浜」の写真について書いたけれど,今日は「ドライバーズポイント」のリストと「F2」のロゴについて考えてみたい.

「ドライバーズポイント」のリストと「F2」のロゴがディプレイの共に最前面に貼り付けられているように表示されている.ロゴの方がリストよりも前面にある感じがある.ロゴは「透かし」として入れられているので,こちらが最前面にあるという設定だろう.リストがなくなると,左下にロゴは「透かし」として,ディスプレイに存在している.

ディスプレイの向こう側には奥行きを持った「空間」が展開されている.「F2」のロゴはその空間には属さずに,別のものとしてディスプレイのガラスに張り付くように施されいて,ロゴが貼り付けられた「レイヤー」を形成する.奥行きを示す映像の一部としてロゴがあるのだから,ロゴも奥行きの空間の一部になりそうなのだが,ロゴは貼り付けられた「レイヤー」をつくり,レイヤーのこちら側と向こう側とを分けている.

そこに「ドライバーズポイント」を示すリストが入ってくる.リストはロゴとは異なるレイヤーをつくる.二つのレイヤーが重なり,その向こう側に奥行きを持った空間が広がり,そこに「砂浜」の写真が展開して,ドライバーがその上でくつろいでいる.ロゴとリストは奥行きを示す映像にそれぞれ別のレイヤーをつくり,平面を意識させて,文字を表示する.薄くて奥行きを持たない画像が奥行きを持った映像に貼り付けられている.

このように書くと何を見ているのだろうと思ってしまうのが,テレビのテロップ,コンピュータのインターフェイスでは,このようなことはよく起こっている.奥行きを示す映像の手前にこちら側と向こう側とを分ける仮想平面をつくる画像や映像がシールのように貼られる.『マンガ視覚文化論 見る,聞く,語る』で,中田健太郎は次のように書いている.

シールが貼られてあるのを見ると,人はそのしたに隠された平面があることを,ふつうは疑わない.それは原則的には,もとの平面性を否定したりしないし,また三次元性という別次元のうちに解消しようともしない(いわゆる「デコシール」や「ぷっくりシール」などは,ここでは措くことにして).かといってシールは,また剥がすこともできるわけだから,貼りつけられる平面のうちに完全に包摂されてしまうわけでもなかった.それはもとの平らな地肌のうえに,あらたな平面性を膜のように,レイヤーとして重ねていくのである.三次元性とは異なるしかたで,二次元性が多重に認められる場所が開かれるのだと言ってもいい.pp.338-339
中田健太郎「切りとるフレームとあふれたフレーム」

テレビやコンピュータのインターフェイスでは「シール」を貼るように文字,画像,映像が貼られては,剥がされている.あまりに普通に行われているけれど,このことは結構不思議なような気がする.二次元な場に三次元の映像を表示するディスプレイが「二次元性が多重に認められる場所」となっているからである.そして,シールであれば10枚くらい重ねると,その「多重さ」が二次元を三次元に変えていくけれど,ディプレイで重なり続けるレイヤーはいくら重なっても,そこに厚み=三次元性が生じることはない.しかし,そこに「厚み」を感じるような感触を持つ感覚も生まれているのではないだろうか.その感触とともにある「厚み」が「光学接着樹脂」として,画像と映像,画像・映像とモノなどをくっつけながら,二次元と三次元とを同居させようとしていると考えてみたらどうだろうか.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?