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073:大元では現実とコンピューティングは分離していると考えられてきたけれど🧐

「1:Representation───HCI and Its History of Representation-Driven Interaction Design」を読んだまとめ.

HCI分野の一つのパラドックスとして,コンピューティングやインタラクションが本来は物質的なプロセスなのに,非物質的のように考えられてきたこと挙げられる.パンチカードまで戻れば,コンピューティングはもともとフィジカルなものだったのが,現在では家や車にセンサーが埋め込まれてこことから,再帰的に物質的形態をとるようになってきた.コンピューティングは抽象的,非物質的に見える.しかし,フィジカルとデジタル双方のマテリアルがコンピューティングを可能にしていることを覚えておかなければならない.

マイケル・ワイバーグ[Mikael Wiberg]は,このパラドックスをうまく利用してマテリアルと表象とのあいだを行ったり来たりする.では,コンピュータがフィジカルでありながら,抽象的,表象的に扱われるのは,なぜなのだろうか.それは「コンピュータが世界を表象するためのマシン」であって,コンピュータは世界をシンボルとして定義していく装置であり,その結果,コンピュータを経由することで世界と表象との分離が起こるのである.

A physical symbol-processing machine ───A paradox?

コンピュータはフィジカルオブジェクトとして実装されて,抽象的な処理を行うというパラドックスをはらんでいる.

Keeping things apart! ─── A history of representations, symbols, and metaphors

上記のパラドックのもとで,ヴァーチャルとリアルとの違いが導入されるだけでななく,フィジカルとデジタルとの違いも導入されていく.しかし,フィジカルとデジタルとの橋渡しをしようとAR, MR,埋め込みシステムなどが生まれている.だが,これらのシステムは前提として,現実とコンピューティングとは別のものとして考えているので,大元では現実とコンピューティングは分離している.たとえば,ARは現実に「別の現実」=コンピューティングを「足す」ということを意味している.

Establishing bridges─── Linking the physical and the digital world

けれど,データと表象とはもともとコンピュータと世界とを橋渡ししてきたのである.データは世界に存在する何かのデータであり,表象もまた世界に存在する何かの表象であり,コンピューティングが独自に生み出すものではない.そして,近年,この橋渡しがモバイルコンピューティングなどでダイレクトになりつつあり,世界のなかで,世界ととともに,世界を通してコンピューティングされるようになってきている.さらに,コンピューティングと世界とを橋渡しするものとして,メタファーが利用されている.「ボタン」を画面に表示するということは,フィジカルなボタンの機能を理解していることを前提にしている.

Moving from the physical world to the digital world ─── "Skeuomorphic design" as the design paradigm for grounding interface design in the physical world


スキューモーフィズムはフィジカルなフレーバーをインターフェイスデザインに与えるけれど,表象を中心にしてインタラクションデザインの流れの中にある.スクロールにおける「重力」表象もその一つと考えられる.重要なのは,どのようにフィジカルな世界を,世界とコンピュータ内の再-表象(the re-representation in the computer)とを橋渡しする表象へと翻訳するかである.

「コンピュータ内の再-表象(the re-representation in the computer)」というのが気になる.例えば,映画で人が落ちる表象は「重力」を表象しているとすると,スクロールでの「重力」「感性」の模倣は,映画などで表象された「重力」を再-表象しているということだろうか.もしくは,「重力」を示す数式が一つの表象であって,それを元にスクロールという行為で「重力」を再度表象するというなのだろうか.

最後に,ワイバーグは「「マテリアリティ」を物質の構成とユーザ/人々とのあいだの絡み合いだと考えるところから始めたい」として,次の三つの原理を挙げる.

・インタラクティビティを理解する
・インタラクティビティとの関係でマテリアルを理解する
・インタクティブな構成をデザインする

マテリアリティのなかに行為主体としてヒトが入ってくるところは,認知考古学者のランボロス・マラフォーリス〔Lambros Malafouris〕が『モノはどのようにマインドを形成したか───マテリアルとの関わりについて理論〔MIT—A Theory of Material Engagement〕』で提唱した,ヒトとモノとが絡み合う関係から石斧のかたちなどが生まれてきたとする「マテリアルとの関わり理論」と近い部分がある.私は以前,マラフォーリスの理論を「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」というAppleの「Designing Fluid Interfaces」を分析するときに使った.

人間と物質的世界との関わりにおいて,決められた役割もなければ,行為する存在と行為を受容する存在とのあいだに鮮明な存在論的隔たりがあるわけでもない.むしろ,そこには志向性とアフォーダンスとで構成された絡み合いがある. p.150

マラフォーリスの理論を経由して,ワイバーグを考えると行為するヒトも計算処理するコンピュータとのあいだに鮮明な存在論的隔たりはないということなって,その隔たりのなさが「非物質的物質=マテリアル」の存在を生み出すのではないだろうかと考えたくなってくる.ここは再読を進めていって,もう一度考えてみたい.

次は,「2 The Material Turn───On the Material Turn in Interaction Design」を読む.

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「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」は『UI GRAPHICS』で読めます🙏


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