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105:与えられた二次元画像を,二次元の形として知覚する

私たちは,三次元の世界に生きており,いつでも,目の前にある世界や物体を三次元のものとして知覚しようとする.脳はそのような機能を持つように適応しており,絵や写真やコンピュータ・ディスプレイ上の画像のような二次元画像を解釈する際にも,三次元のものとして理解しようとする.これらの二次元画像が出てきたのは,洞窟の壁画で1万5000年前,最初の写真は19世紀,コンピュータ・ディスプレイはここ50年である.脳の進化の歴史から考えれば,ごく最近のことだ.その結果,私たちは,与えられた二次元画像を,二次元の形として知覚するのではなく,三次元の世界に埋め込まれ,三次元世界の法則にしたがう立体として知覚する.pp.189-190

脳の進化の結果,二次元のディスプレイを二次元の形として知覚するようになってきたのではないだろうか,ということを考えた.あるいは「奥行き」を持った「三次元」ではなく,「向こう側」をつくるサーフェイスが複数存在する特殊な「二次元」が,コンピュータ・ディスプレイに現れているのではないか.

脳の進化を裏切るわけではないが,ディスプレイが示す二次元画像を三次元に変換することなく,二次元のままで把握しようとする回路があらたに出来ていて,それらを示す作品が現れてきていると考えてみたら面白い.

脳が二次元を三次元に変換するのではなく,二次元を接着している「光学接着樹脂」として機能してみると考えてみること.しかし,これでは脳に機能を負わせすぎなので,コンピュータと結びついたディスプレイが「光学接着樹脂」として,三次元に変換されることを拒む二次元をつくり,重ねて合わせ,接着していると考えてみたい.脳の進化を別様にするというか,二次元画像を二次元の形として知覚するような試みが行われている.それは絵画の歴史でもあるけれど,コンピュータとディスプレイは「操作の履歴」を差し引いた二次元画像を提示することで,視覚と触覚との絡み合いのバランスを変えたあらたな画像・映像をつくり,脳がどうしても三次元性を感じ取ってしまう部分に別のかたちで作用できるようになっていっているのではないだろうか.

像経験が受動的に生起する理由は,知覚においても重要な役割を果たしている受動的な立体視の機能が,像物体においても働く点にある.像物体は,知覚においても立体視のために用いられている「単眼奥行き手がかり」を豊富に含む仕方でできあがっている.これが,平面である像物体上に立体感や奥行きが感じられる理由である.しかし,絵画や写真は平面なので,両眼視差による立体感は感じられない.ここにも,ある種の拮抗・抗争がある.そのため,像を実在物と取り違えることはないが,立体感や奥行きの「感じ」が受動的に生起することは止められないのである.p.46
田口茂「受動的経験としての像経験───フッサールから出発して」

哲学者の田口茂はフッサールを介して「画像」を分析し,画像を経験する「像経験」における立体視の受動性を強調する.コンピュータ・ディスプレイは「立体感や奥行きの「感じ」が受動的に生起することは止められない」という部分に採用するような画像をつくり,あらたな「像経験」をつくっているのではないだろうか.

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