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016:情報を接着する

立て続けに3つあるトークの準備のために「インターフェイスを読む」を再読した後で,akiramotomuraさんが私のテキストをスケッチとともに考えているnoteのテキストも再読していた.自分の考えがakiramotomuraさんのテキストとスケッチを経由して,また,自分に帰ってくるのが面白かった.

akiramotomuraさんは次のように書いています.

水野氏は、フランソワ・ダゴニェの言葉を借りながら、モノ(物体)に持続という概念を絡めて考えるということは、そのモノ(物体)が統一されたものである必要性がないと述べている。
例えば、机の上にただ静止しているスマートフォン(ハードウェア)を見れば、それを単一のモノ(物体)として捉えたくなる。しかし実際には、その微動だにしないスマートフォンは、コンピューターネットワークの中でそのノードとして常に情報を接着(受信・発信)している。これを可能にしているのが、接着剤としてのソフトウェアである。そして、そのソフトウェアは単一に統一されたモノではない。

自分がテキストを書いているときにはソフトウェアはハードウェアを接着するということが眼の前の広がっていたのだけれど,「情報を接着する」という言葉を読んで,視界が開けたように気がした.ソフトウェアはハードウェアに情報を接着する.ソフトウェアという接着面が,ハードウェアというモノと情報とを結びつけていく.ソフトウェアがモノだけではなく,情報も接着する.モノも情報も分け隔てなく接着するからこそ,ソフトウェアはこれまでにないサーフェイスをつくることができる.

ソフトウェアはモノと情報とを一つのサーフェイスに接着して,プリミティブなモノをつくりっている.それはヒトの行為に反応する半ば自律的な存在となっている.

もちろんGUIに生命は必要ない.しかし命とはいかないまでも,ユーザーの操作に適切に反応し,振る舞ってくれる存在でなければならない.それがより自然かつ聡明な反応で,ユーザーを適切に導けるような自律的な機能を持っていたらなお良いであろう.
モーションのデザインによって,こうした自律性を表現することが可能だ.すなわち,操作対象のシステムに表情の変化や身振り手振りを与えるのである.いわばこれは,無機物に命を宿らせるようなものである.動くことによって,捉えどころのないブラックボックス的なシステムにキャラクター性を与えるのだ.

UIとモーションの関係,鹿野護(1)/森田考陽(2),UI GRAPHICS -世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン

モノのサーフェイスが半ば自律的に動くことを考える必要がある.このときに,サーフェイスが「ユーザーを適切に導けるような自律的な機能」を持った場合,ヒトの行為ではなく,サーフェイスの動きがヒトの行為を導いていくようになる.ヒトのマインドの流れに沿った,もしくは,マインドの流れをつくるような自律的なモーションを持つサーフェイスをつくることが,アップルが提案したDesigning Fluid Interfaceで示されている.

このように考えると,Googleのマテリアルデザインは「厚みのないピクセル」を「マテリアル」として意識できる環境をつくることが目指されているような気がしてくる.ガラスとピクセルからなる「マテリアルオネスティ」をダイレクトに示すのではなく,「厚みのないピクセル」という存在しないものに対して,環境を構築すれば存在しないというわけでもなくなるという意識をつくりあげることが目指されていると考えると面白い.


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