054:「真実」がドロドロに溶け出した認識

認知の枠組みがドロドロに溶けしまった場合,何も認識はできなくなる.けれど,ヒトの認知がドロドロとなっても,コンピュータの認識の枠組みが重ね合わされていれば,どうにか世界を認識できるのではないだろうか.だから,今もコンピュータの認識の枠組みで世界を見ているだけで,もうすでにヒトの認知の枠組みはドロドロになっているのかもしれない.

ヒトの認知が「蛹」のようにドロドロになっているとすれば,「ドロドロ」という少しネガティブな感じの感覚ではなく,全くあたらしい枠組みを得るための準備期間だと言えて,ポジティブな感じが出てくる.ヒトの認知がドロドロになり,コンピュータの世界認識の枠組みがそれを受け止め,ひとつの形態をつくる.そこから,ヒトの認知がコンピュータの枠組みを破って,あらたな形態となって,世界に出てくる.コンピュータの枠組みとの重ね合わせを経由した先にあるヒトの認知の形態はどんなものなのだろうか.

このようなことを考えていると,ヒトがスマートフォンを持つようになったことは大きな転換期だと考えられる.一人一台,肌身離さずにコンピュータを持つようになったこと.それも全世界的に持つようになった.ヒトがコンピュータと種として密着するようになったと言えるだろう.個のレベルの認識の変化ではなく,種のレベルで認識が変わろうとしている.このことが「ポスト・トゥルース」という状態を引き起こしていると考えてみると,まさに「真実」がドロドロに溶け出した認識であり,その枠組みはコンピュータがつくっているとことになる.ヒトはここからドロドロになった「真実」とともに,あらたな形態を探っていくことになるのだろう.


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